2008/08/13

雑記帳 (1年か2年ごとに更新”予定”)

■きょうは、2013年9月21日です。

前回の書き込みから相当たったと思って、自分撮りをして、いざアップロードしようとしたら、まだ10か月くらいしかたっていませんでした。失敗、失敗。

Yoga2013921
いちおう、筆者健在の証しとして、左に写真をのせます。
本日9月21日の東京は、とっても暑いです。
手に持っている水晶は、このブログトップページに載せているのと同じものです。

健康状態、心身の状態とも良く、気になることといえば、どうも自分の骨格、筋肉が、”下降ぎみ”だということです。
これは、顔筋や骨格のずれが、加齢と共に外見的にも如実になってくるということでありまして、少なからず気にしているのですが(美容上)・・・、まあ、誰でも、多かれ少なかれ起こる現象でもありますから、しかたないといえばしかたなく・・・。

Asahi921


書いたついでに書きますが、自分では何年か前に気づいていたことではありますが、近年話題になりはじめた”爆弾低気圧”(←検索を)という気象現象。
この爆弾低気圧が、いつもの場所いながらにして瞑想を深める上で非常に役に立つということに私は気づいておりまして、ちゃんとした気圧計を買って、部屋に設置はしておりました。しかし、爆弾低気圧効果に気がつくまで、なんど失神したことか・・・(半分ほんと。気圧に影響され、翻弄されて、自己コントロールできなくなり、意識が遠のきます)。
・・・でも、なんでそうなるかということにこだわっていれば、いつしかちょっとしたことがわかり、そんな苦労も無駄になることはないのかもしれません。

あと、私はこのブログで、「性の欲求や願望は、外部からの洗脳による」と、しつこく書いたような気がしますが(よく覚えてない)、近年は、「他人はカンケーねえ(洗脳はされねえ)」という人々が増えているようなので、私が書いたことも、カンケーなくなってきているような気がします。
悟ったお方が増えている、ということでしょうか。??

世の中、すごいスピードで変っています。

・・・2014年3月15日に、以下の文を追記しました・・・

この上に書いた”気圧”のことが、その後も気になって、以下を書き加えます。

私が持っているのはempex(エンペックス)アトモス気圧計 ですが、いつまで売っているかわからないので、ご自分で好きなのをお探し下さい。

私の場合、気圧が1030hPa(ヘクトパスカル)くらいのときは、体調が安定しています。というか、物理的な肉体が稼動しやすいのです。
ですが、あらら、体調がちょっと・・・、というときに気圧計を見ると、1000hPaに近づいている(つまり数値が下がっている)ことが多いです。
ただこれは、肉体的・物理的な体調がイマイチという状況でありまして、反面、アストラルボディ(幽体)は優勢に転じています。瞑想には向いています。
台風や急激な悪天候、爆弾低気圧の際は、これがさらに900hPa台になります。瞑想にはひじょうに向いていますが、向きすぎて、私の場合、意識を失いそうになることもあります(瞑想である以上、これは失敗です)。

ヨガ行者が修行することで知られるヒマラヤの、その頂上付近は、300hPa~400hPaくらいだといわれます。もちろん行者はそこまで昇らないでしょうけれど、おそろしいまでの”幽体優勢”の環境です。要は、”死んでおかしくない気圧環境”です。幽体は、肉体から抜けやすいはずです。
死んでしまわないよう、そこまで高いところに行くことを避けて、やや低地の、ほどよい気圧で修行すれば、幽体優勢の世界にかなり入りやすいのは、言うまでもありません。

一方、私みたいな横着な人間は、東京の自宅いながらにして、年に何度か訪れる幽体優勢の気圧を待つ、ただ待つ、ということになっております。

以上書いたような”幽体優勢”とはどういう状態であるか、という、具体的かつ細かいことについては、私は書けるのですが、ややこしいことを苦労して長文で書いたところで、理解かつ体感でいる人はめったなことではいないと思いますので、ここでは、それは割愛します。
(マントラが、なぜ、どのようにいいか説明するのを省きたい、という私の気持ちも、それと同じです。マントラを唱えたら願望がかなった、というような人に説明する意味も意義も感じませんし)。

ヒマラヤや高山がヨガ修行(山岳修行)に向いている理由は、気圧のほかにも、湿度や、赤道からの距離などがかかわっていると思われますが(私の想像では)、そのうちの気圧だけとっても、日本いながらにして似たレベルのものを体験できる可能性は、あります。
逆にいえば、それが体感できるレベルの人で、変性意識(瞑想意識)になりやすい人でないと、高山修行をしても、効率のいい効果につなげられないのではないかと、私は思います。


■本日、2013年1月2日です。

どうも緊張します。
・・・前回から1年2か月ぶりくらいの書き込みです。
今回も、私の生存の証?としての写真をアップロードします。
クンダリニーに関して”あれこれ”やっている、ついでに暴言を吐いた人間の人生の行方を、みなさまにお知らせする義務があると思っています。
で・・・いまのところ、とくにバチも当たってないようです。本人にその自覚がないのか・・・。
かといって、人生が好転しているわけでもないようです。
要は、人生に、世間並みの変化しか起こっていません。
そんな結果でもよいという人は、クンダリニー操作だのを、おためしください。
さて、以下に、写真を載せます。

写真、上から・・・【1枚目】昨日(元旦)の新聞の表紙です。 【2枚目】年末に写した写真で、手に持っているのは、このブログの表紙に載っている水晶の写真です。つまり、当ブログ制作者にしか撮れない写真です。 【3枚目】その写真の新聞部分の拡大です。4,5日前の、2012年12月27日の新聞です。 【4枚目】おまけの写真です。マリテフランソワーズジルボー(というブランド)の服が好きで、ときどき買います(オークションで・・・)。

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最近つくづく思うのですが、ヨガって・・・ほかの言葉でいえば、”注意力の研ぎ澄まし”だと感じています。
注意力、っていうのは、健康、経済(生計)、人間関係、将来設計、行動中の自分・・・と、それはもう、あらゆることに向けられるはずです。その、あらゆることに対して、注意力をいかに研ぎ澄まして、自分にとって良い生き方ができるかかってことが、ヨガを別の言葉で言い変えるとすると、私にはしっくりきます。

現在62歳になる私自身への教訓としてそう思いたい、という面もありますが、現実問題として、それくらいの注意力を払ってないと、落とし穴がいっぱいある、この世の中だと思います。
それを考えると、60歳代、70歳代、それ以上の年齢でも、”自分にとって(望むところの)良い生き方”をしている人は、私は、ヨガ的なことができている人だなと、思います。

本日、2011年10月25日です。

Blog1_4前回の書き込みから2年以上たっているではありませんか・・・。
しかし、私自身の生存の証しとして、いままた書き込んでおります。
今回は、以前から数年にわたり計画倒れしておりました”自分撮り”をやっと実行し、ここに、私めの部分写真をのせてみました。手に持っているのは、TOPページに写真が出ている水晶です。

とにかく、もう何年間も修行せず、人生、ラクをすることだけをめざしている人間ですから、つまり現在もまったくラクができてない状態であり、霊能力のあるかたなどが私の写真を見れば、堕落ぶりにあきれてしまうかもしれません。
だからといって、どうとも思いませんが。

本年2011年の3月11日には、東日本大震災がありました。
私が住んでいるのは、東京の太平洋側だったのですが、すごい揺れで、自宅前の道路は陥没してしまいました。その修復工事のときに陥没箇所をのぞくと、地中で水道管がはずれて、道路の下が”池”のようになっており、驚きました。

人間、いつなんときどうなるかわからない・・・、そのことを肝に命じて生き、行動することが、宗教的な生き方であると、改めて認識しました。
被災地の方々の心痛は、いかばかりでしょうか。
また、3.11を事前に予知した人も目だっていないようですので、世間でいう”霊能”も、自然界の過酷な現実に対して役に立たないようなものだと思いました。
ひき続き、”霊能者”様を信じず、めざさず、生きようと思っています。

(上の人物写真の、新聞の日付部分を拡大してのせておきます)

Blog2
この先は、たいへんシビアな話になりますが・・・。
原発事故などで大気中に放出された放射性物質の消滅まで(いろいろな種類がありますが)、何十万年、および何百万年レベルの、時の経過が必要ということです。
ということは、ひじょうに高濃度で広域に放出された場合、人類が死に絶えることも、可能性としてはあることで、その場合、人類は消滅するか、または天文学的な時が経過するまで地球への再登場がありえない、ということになります。
ですよね?
であれば、です。
「解脱して、地球への輪廻転生を断ち切る」などとがんばらなくても、人類の地球での生命活動(輪廻)は一方的に絶たれることになります。
もしも、皆様が、”解脱”などとうかつに口にする指導者に会いましたら、まず、そのあたり、一体どうなるのかを質問し、指導者としての資質を確かめられることをおすすめします。

それでも解脱をめざしたい方は、ウマシカとして十二分以上の素質がおありですから、お止めはしません。

さて。
心の具合やお身体の具合の悪いかたは、とにかく”静寂”と十分な睡眠を心がけることを、おすすめします。
ヨガや瞑想は、やりかたによっては(というより、ほとんどの場合)、自分に緊張を強いがちですから(ふつうの人がやると)、そんなことになるよりは逆に休養し、心身をリラックス、解放させた中で、自然に起こる癒しを待ちますよう、お祈り申し上げます。

■本日、2009年8月13日・・・です。
↓この下の「いい感じで修行している人」という記事から、もはや2年と1か月たった現在・・・、この文を書いています。
私なんか、もう死んじゃったと思われているかもしれません。バリゾーゴンのバチが当たって・・・。
ところが、あいも変わらぬマイペースで生きております。バリゾーゴンはバチが当たらないという事実を、みごとに実証いたしました!
ワーイ! みなさんも参考にして下さいね (*^^)v

ただ、自分が過去に書いたことに、たいした関心もないので・・・、本日は、書いたとたんに、これにておしまいです。
しばらくさようなら。


・・・・・・・・・・・・・・・
以下は、2006年7月26日までの雑記です。


■いい感じで修行している人

私の知人に、なかなかいい感じでヨガ瞑想修行しているかたがいますので、そのかたのプライバシーはのせないようにして、ここでご紹介します。
そのかたは、ちょっとユニークな方法で、修行というかクンダリニーの上昇操作に取り組んでいます。その”方法”にオリジナリティがあり、「体の、ある部分の"力”を、徹底的に抜く」、という方法です。
私はその方法を聞いて、クンダリニーの操作にたしかな効能のあるメソッドだということがすぐわかりました。巷では話題にもならないその方法を選んだことに、感心します。そして、彼はその方法に”賭けて”いるようですが、良い方法(メソッド)というのは、それひとつで十分だと、私も思っています。逆にいえば、巷で、「こうやればクンダリニーが覚醒し、上昇する」という方法をいくつやっても、だめなものはだめなのです。おカネなんか積んだって、ダメなものはダメなのです。
また、その彼が、自分のメソッドと状態だけを信じて、他人との議論になどはまらずマイペースでやっているのも、エネルギーロスを最小におさえていて、いいと思います。掲示板で、あーだこーだなどという、不毛なことにエネルギーを費やしていません。
その彼は、サイキック、幻想(幻覚)的な状態にはならないといいますが、私としては、そういうのは薬物とか薬草でも起こせるような”脳内”の問題なので、強く求めなくてもよいのではないかと、思っています。(ご本人は物足りないかもしれませんが)


■「祈り」に効果はあるか。
宗教関係者は、”祈り”に効果があると思いたいでしょうけれど・・・、それについて私は、以前から、どうだかねーと思っていました。
”この件”に関連して、ペンシルバニアのジョン・テンプルトン財団ということろが面白いレポートを発表しています。
1800人の心臓病患者を、3つのグループに分けて、”祈り”に効果があるかどうかの実験をしたそうで、次のようなグループ分けです。
・自分のために他人が祈ってくれていることを知っていて、実際に祈ってもらった患者グループ
・祈ってもらっていることは知らないものの、祈ってもらっていた患者グループ
・祈りは行われずに、そのことを知らない患者グループ
一方、祈る側は、「手術が成功して早く回復し、合併症が起きないように」、と祈ったそうです。
その結果は、次のようだったそうです。
「手術の成功については、祈りの効果はみられなかった。逆に、祈りが行われていることを知っていた患者の59%が30日以内に合併症を起こしたという、むしろマイナス効果がみられた」
マイナス効果ですよ・・・。
しかしこの財団では、”祈りには、効果のある可能性もある”という発表も、過去にはしてはいるそうです。これもあくまでも、可能性・・・という表現ですよ。

けっきょく、「現実的な実験結果としては、祈りに効果があるという結論は出なかった」ということです。
日本人よりは外国人のほうが宗教心があるでしょうから、祈りのプロ?であると思われますが、それにして、この結果です。
こうした結果を、祈りに効果があると”思いたい人”も、事実として受け止めるべきだと思います。
それでもなおかつ、祈りや遠隔治療に効果があると主張したい人は、その”しっかりした裏づけ統計や説明”を示すことが、最低限必要でしょう。まああくまでも、祈りの効能を社会にむけて主張、説明したい場合に、ですが。

などなど言っている私は、実はこれまで、何度も何度も”祈った”ことがあります。いえ現在でも、祈らずにはいられないことが多々あります。
その効果は・・・というと、っている本人の自己満足と気のまぎらわしと、癒しであることは・・・・、確実ですワ。つまり、祈ることにより、私自身は多少は救われている、ということです。”私自身”が、ですよ。

人間には、同朋や自分を助けたいと思う気持ちはあるでしょう。それは生き物としての本能的な感情でしょう。私自身も、そうです。
ですが、私は、自分を助けるのか他者を助けるのか、そのあたりがはっきりしない”祈り”の乱用と”お誘い”はごめんです。

祈りの通りにものごとがはこぶと、人は、「祈りがとどいた」といいます。
祈りの通りにものごとがはこばないと、人は、「祈りむなしく・・・」と、いいます。

いい加減なこと、いわんといて!(少しは真面目に考えろ!)


■住職が買春

寺の住職であり、同時に保育園長であるオジサマ・・・というか、もちょっとお歳をとった73歳の男性がですね、15歳少女を相手に買春したカドで逮捕されたそうです(2006/3/10)。
(”買春”を”売春”と書くと事態が逆になりますので、ここはじゅうぶん注意して書かなくてはなりません・・汗)
寺の住職とはあきれた・・・、というむきもありましょうが、この住職はどうだかわかりませんが、一般的には、修業的なことをすると、よけいに精力(性力)がみなぎることがあります。ただ、それは、修行の<ある時点で>、でですが。
心身の修行ということをいろいろすると、お体が元気に健康になりまして、体内の気(エネルギー)も活性化してきます。その体内エネルギーが、集合・停滞する位置は、人間の体の中で”お股”なのです。ですから、修行者の場合、お股が元気になりやすいのです。これは、男も女も同じです。
ただ、一応、修行なり悟りなり解脱をめざしているのであれば、”そっから先”どうするか、です。そこで終わっては、修行者ではなく、凡人のレベルなのです。
では・・・、さようなら。
だって、お股に集結したエネルギー(性欲)をどうすればいいかっていう答えを書いちゃうと、人類が絶滅しますからね。
凡人を超え、修行者として前進するヒントとしては・・・、性欲をかかえながら、そのままにしておくこと、です・・・。
そこに”道”が開けます、別の道が~!!(ただし運がよければ)
あたり前すぎてすみません。 、この当たり前のことができないので、修行がすすまない人がほとんどなのです。寺の住職、しかり。
詳しくは、当サイトの別のページをご覧ください。

■指をつまんでカルマ浄化
先日、手指の一本が痛かったので、別の側の手で痛いところの関節をつまんだら、脊髄の中のエネルギーが、さ~っと流れるように下降し、足先まですっかり掃除?されました。それがすごくよくわかりました。ただ、脊髄の内部にも複数のエネルギーラインがあるようで、そのうちの一部でしたが。
この面白さにはまってしまって、手指を順番につまんでは脊髄を”浄化”しはじめました。
最初は、人差し指をつまんだだけでずいぶん脊髄の中が”動いた”ので、喜んでいたのですが、次に、はたと思いついて、別の指の関節をつまんだら、こんどは脊髄の中の別のエネルギーラインの浄化がはじまったので、次から次へと指をつまんで、さらに別の側の指もつまんで、すっかりはまってしまい、はっと気づいたら2か月たっていました。・・・。
(みなさんはこんなことにならないようにお気をつけください。)
ところで以前、健康関係の雑誌に、「手指の爪の両側をこするとガンまで治る」という記事がありました。
ですが実際は、こすらなくても、つまむだけでいいんですね。
やってみると、脊髄が浄化されますし、体の”幹”(免疫系)に当たる部分がクリーンになり、活性化されて強化されるので、雑誌に書いてあったようにガン他が治るということは、それほど重症でなければじゅうぶんありえると思います。
ただ、指の関節をつまむだけでいい・・・といってしまうと、オカルトっぽくと受け取られがちなので、であれば、一般向けには、健康雑誌の記事にあるように「指をこする」というのが、妥当なところかも。”社会性”のある表現、といいますか。
ところで、ヨガというのは、上達するにしたがって、はた目には”何もやってないように”みえるのが困りものです(たとえば、指をつまんでいるようで、実は、脊髄のカルマを浄化している)。
これじゃあ他人に尊敬もなにもされないでしょうから、収入や、タレントヨガ指導者をめざす人は、そんなことせずに、かっこよくキメポーズでもとったほうがよろしいか、と、おすすめする次第でございます。