2006/10/03

■性・クンダリニー・解脱・タントラ・密教とは

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■「発端」

ヨガというものを始めて、まだ4、5年目のころ。瞑想中に、自分の股のあたりに、「性欲」のようなものを感じた。
もしかして、これは・・・、と思って、びっくりしていたら、性欲のようなものは、いったんグーッと「勢力」を拡大し、次に、スーッと消失した。
一体いまのはなんだったのか??
・・・・考えてみたが、わからない。
その2,3日後も、瞑想しているときに、また同じようなことが起こった。
やはり、その性欲のような感覚は、いったん勢力を拡大し、次にスーッと消えた。
消えた直後、視界が「蒼く」なった。これは、眉間のところを生体エネルギーが通過する際の、独特の現象だ。これまで私は何度も体験している。
後日また、何度か瞑想してみると、「まず股に性欲みたいなものが生じ」、「次にそれが体内を上昇し、眉間のところを通ってさらに上昇し、頭上の空間に抜ける」・・・らしいということが、徐々にはっきりしてきた。

■性欲(エネルギー)は体内を上昇し、頭上に抜ける

性欲、というと、性行為で解消するものと、普通思われているのではないだろうか。
しかし私は、以上の体験を何度もして(私が四十歳代はじめの頃)、「性欲というのは、体内を上に移動して、頭のてっぺんから外の空間(天の方向)に出るものだ」ということを、確認した。
わざわざそれをしようとしてしたのではない。そこまでモノ好きではない。ただ私は、その時点ですでに、かなりヨガや瞑想をやりこんでいたので、そういうことになったのだと思う。

ということは、こういうヒトは結構多いと思う。

さて、性欲の処理はセックスでするものだということに、世間的にはなっているようだ。だけどそれは、「ヒトというのはそうするものだ」という情報(先入観)を、生まれてからこれまで、もう、いやというほど外部からインプットされてきたことの結果にほかならないと思う。

ところが、「性欲(あるいは性欲エネルギー)」の処理ルートは「それだけ」ではない。

以前、なにかの本で、「セックスしたあと頭痛がする」という女性の文を読んだことがある。それは、私が以上書いたことを裏付けていると思う。セックスエクスタシーに達するときに、炸裂したそのエネルギーの一部が頭部方向に移動するためだろう(その量に、個人差は、ある)。移動しずらい生体環境の人も、いる。

性欲(エネルギー)は、頭部方向に向かう(向かえる)、ということである、つまり、べつに私じゃなくても。
それが、頭痛につながる人もいる。

■「勝手エクスタシー

以上書いたように、股にあるエネルギーが体内を上昇して頭の外に抜けるのは、当時は、私が「ちゃんとした瞑想」に入っているときに限られていた。
ところが、「ちゃんとした瞑想に入っていない、中途半端な状態」だと、これが実をいうと、素晴らしいことが起こってしまっていた。
まず、股にたまった性欲・・・らしきものは、深い瞑想に入ってないと体内を上昇することが「できない」。
その場合、どうなるか?
股で勝手に「炸裂」して解消されてしまうのだ。簡単にいうと、「セックスエクスタシー」が自然発生的に起こってしまう。
結論をいうと、股に停滞した(性)エネルギーは、ある程度深い瞑想という手段がないと、股の部分で解消・消失する、ということ。よくあるセックスエクスタシーとして、解消されるということ。男だったら、射精という結果になるだろう。
それが、人間一般の生理。地球人類共通の生理。

だから、・・・・、驚くべきことである。いや、驚くべきことだった、当時の私にとって。
ただ静かに座っているだけで(ただし中途半端な瞑想で)、セックスエクスタシーが勝手に起こってしまうのだから。これは、人類の夢といってもいいのではないだろうか?

最初、自分に「それ」が起こったとき、私は「トクした」と思った。その次に、「私は、人類の夢を、快挙を、なしとげた!」と思った。あくまでも下世話な反応である。
しかし、一応はヨガをやっている身なので、次の瞬間、考えた。

「では、股で炸裂すればセックスエクスタシーとなり、頭のてっぺんから外に放出すれば大気と同化するエネルギーであるもの」を、もともと性欲だなどといえるのだろうか!? 
また、”それ以前”の問題として、「股に溜まって性欲と感じられるエネルギー」は、一体どこからどうやってくるのだろう(なぜ、どうやって人間の中に生じるのだろう)?
それが私の、課題となっていった。

■生物繁殖のため、股にエネルギーがたまる。

通常は性欲と感じられるエネルギーなり「力」なり「感覚」・・・。
これは、実は、体内の片側に満ち、眉間のところで体のもう片側と連結し、そののち、股に蓄積する「ある種のエネルギー」なのだ、私の自己実験によれば。
それは、生物の自然現象として、そうなる。人間はつねに、自分の外気と内気(自分の気)を接触し交換していて、体の中でそれがルートに沿って移動し、股にたまるようになっているようだ。
股にエネルギーがたまると、人間はそれを性欲と認識あるいは「錯覚」し、セックスするので、だから人類が絶滅しないようになっている(のでしょうね)。
もちろん人間は、生まれてからこのかた、商業的に、性行為の情報ばかり浴びせられているので、「股に溜まった何かの感覚 イコール 性欲! キタ~ッ! さあ、処理しなくては!」ということになってしまう。そしてけっきょく、男も女も、下(股)で解消する、セックスエクスタシーとして。
というわけなので・・・、普通は、性欲(性欲エネルギー)を頭頂に誘導しようという発想と結びつかないし、それで当たり前である。(でなくては、人類は絶える)

しかし、その対極の、股にある性欲(エネルギー塊)を頭部に誘導し外気に放出する方法こそが、古来からの宗教的な目的、秘儀として、秘密のベールに包まれている部分なのである。

ヨガの世界でいわれるクンダリニーエネルギーを操作するには、とりあえず、「性欲(のモトともいえる)エネルギーを(頭上に向かって)流す通路を開通させること」が必要、なんです。
わかりにくいでしょうけれど。

もちろん、この神秘性を利用して人を利用する宗教は後をたたない。
が、教祖自身、このことを体感としてわかっている人物は、まずいないのではないだろうか。男の宗教家が、興味本位で、女の信者を操ったり金儲けのために利用することが多いのではないだろうか。

ところで、性欲を、股から発散するか、頭上から天の方向に解き放つかの最初の分かれ目は、おそらく、中学生頃ではないだろうか。より具体的には、その個人にとって、股で抱えているのがやっかいなほどのエネルギー(性欲)が、人生で初めて股に生じたとき。
人は本能的に、それをどうにかしなくては、と思うに違いない。
というより、自分が危機的状況になると思う。
そして、セックスに関する先入観を与えられてないピュアな子供なわけだから、なにをどうしていいかわからないうちに、股に生じたある程度の量のエネルギーが、体内を頭部に逆流して、信じられないような体験をする場合があるだろう。

そのとき、股から脳につながる生体エネルギーのルートを開くことにつながり、そこを、クンダリニーエネルギーが爆走する可能性がある。
危険なことであーる。

それはそうとして、現代人、文明人の「性欲」は、世界的にほぼ確実に、「商業的な意図をもった男たちの作為」によって半ば強制的に生じさせられている。
「セックスは、商業的に仕組まれた計画」にすぎないのである。そういった情報に、まず脳が反応し(エクスタシーはキモチいいだろうな~、と)、次に下半身が条件づけられ、体が”外部から与えられた先入観の罠”にはまるわけである。
しかもこれは、すでに「条件反射化」している。ちょっとでも性に関したイメージが頭に浮かぶと、「やりたい、出したい」と思う人が多いのではないだろうか。
情報、メディアに、すっかり洗脳されているわけだ。
しかも、男を性行為に誘うような情報の発信者は「女」と思われているかもしれないが、実は「男から男へ向けて」が、大半である。

このこと、わかってる?男子諸君。

それはたとえば、女の文章を偽ったHメールや、風俗系広告などを見れば明白だろう。男が、男に対して、商業的に発情のシステムを仕掛けているにすぎない
男って、なさけないもんだ!同性に仕掛けられているんですよ、性欲を。それを・・・、女がそれを欲している、と、勘違いしていく、おめでたい生き物。

「宗教団体に洗脳されるのは良くない」と思っている人であっても、「性の情報」に、そこまで洗脳されているのなら、似たりよったりである。
結局は、男は女により発情させられているのではないし、その逆も、しかり。単に、商業的に発情を仕掛けられているわけである、それも世界的に、地球の長い歴史の中で。
もしそれに気づかず、自分はセックスが好き、などと思うのであれば、滑稽この上ない。

一方、女たちは、そういう男にでも従わないと、男に嫌われて孤独な人生を送ることになるし、変人と思われるだろうし、ときには仕事、生活にまで影響が・・・というわけで、面倒と思いつつも演技して「男に合わせている」ことが多いのだと思う。
これは、男女の、いびつな関係ではないだろうか。そんなこともあってか、世の中、離婚だらけ。
とはいうものの、人間からそのような「動物的な部分」がなくなれば、人類は滅亡するかもしれないので、世間一般的には、性欲や発情のしくみを考える必要はないと思う。(バカになって、よろしくやっていれば、人類は継続します)

しかし、本気でヨガだの瞑想だのをやろうとする人は、まず、についてしっかり検証する必要があるだろう。

手前みそですが・・・、現時点で、この件に関して正面から取り組んでコメントした人間は、私くらいかもしれない・・・。宗教と・・・性の関係は、あるのかないのか? 私にも、その答えを出してくれる人は、いなかった。
男の視点は間違っているし(世間の情報に洗脳されきっている)。

■早朝エクスタシー

性欲エネルギーを頭部に導いて、頭頂から天の方向に放出するという方法は、古来、世界的に興味をもたれてきたと思う。もちろんそれは、「ひじょうにクローズド(閉じられた)」な宗教的世界である。密教の中の密教である。密教の本など研究している行為の反対側の、実践宗教行為、である。

「グルが頭に手を当てて・・・」という、たとえばシャクティパットみたいな行為は、「性を超えた生き物になること(解脱)」を目的としてはいるようだが、ちゃんとできているグルなど、滅多なことではいないだろう。まあ、皆無といえるだろう。第一、それだけじゃ解脱には結びつかないんですが・・・。そのあと、開いたルートにクンダリニーを通す必要があるんで。

話は戻るが、先ほど述べた「極楽お勝手エクスタシー」は、深い瞑想者以外は、早朝に起こりやすいと思う。
これは、眠っているときには、意識が、瞑想にかなり似た「半睡眠・半覚醒状態」に入っているのと、夜明けは体内のエネルギーが活性化しやすいからである。
ということは、つまり、体が、性欲に対して「行動」を起こさない状態になっているので、行動することなしに、性欲(性欲エネルギー)は股で勝手に「炸裂」する。
そのとき、男性ならば、夢精が起こるだろう。年齢に関係なく、起こる。体内に溜まっているエネルギーが、目がさめていれば性欲として認識されるものを、眠っているため、無駄に騒がなくても勝手に放出される(夢精)というわけである。

私は女でございます。
ある時期、たぶん2年間くらい、早朝お勝手エクスタシーが起こりやすかったことがある。それはそれは驚いたものだ、人間って、こんなしくみ・・・。
おどろいたのなんのって。
私が、瞑想中に勝手エクスタシーが起こるのも、まったく同じ原理だ。
深い瞑想に入っていると、眠っているような意識だけの状態になるので、性欲エネルギーがたまっている場合、勝手炸裂(エクスタシー)が起こりやすい。さらに、その時点で、自分自身をもっと深い瞑想状態にストンと入れると、「気が濃くなった」体の中を、股に停滞している性欲エネルギーが上昇し(気体なので基本的には上昇)、頭のてっぺんから、外気に放出される。
ことのとき、エネルギーは、いわゆるスシュムナー管を通っている。

ただし、そのとき上昇するエネルギーの量は、個人差があるはずで、私の場合は、それほど多いとは思えない。なぜかというと、エネルギー量を”ふやす”ことに興味がないからである。
ただ、そのように量が少ないのに、私の中を「昇ってゆく」のは、”通路(スシュムナー管)”がある程度ととのっているからだと思う。
そして、性欲エネルギーを頭上に導くたび、通路はさらに拡大、整備されてゆく。
そうやって、エネルギーを頭上から放出すると、私は大気と同化し、「すべて」になる。というか、自分にはそう感じられる。すごく心地いい瞑想状態になる。
この感覚を知ったら、こっちのほうがずっといい、セックスエクスタシーなんかよりも。素晴らしい解放感と、スッキリ感がある。

一部の宗教家は、これを解脱と言うのかもしれない(もっと、「あいまいなこと」を、解脱と称する人もいる)。
チガイマス、というか、解脱という言葉に振り回されているだけ。
私は、そんな陳腐なことを言う人が減るように、という思いもこめて、本文を書いている。

言葉に振り回されるより、まずは、性欲エネルギーを操作することです。その道を整えることです。

クンダリニーエネルギーの体内移動は、それをすることによって安全に行われるのです。
それはまた、別の作業となります。

■子孫は残らない(人類の希望に満ちた未来は、ない)

私が書いていることは、地球の歴史的には「秘儀」、「門外不出」、「口伝」という分野に入れられていたのかもしれない。
性欲エネルギーの、頭上への「放出昇華」。それは、男も女も関係ない。どちらでもできる。
なぜかというとそれは、あくまでも「体内での、幽体、気のレベルでの作業」だからである。物理的な性器(あるいは性器どうし)を使ってやる作業ではないから、である。
つまり、人間は、個々人の股に蓄積したエネルギーを頭部に引き上げ放出する、という行為で、性欲の奴隷ではない、オスでもメスでもない存在になれる。繁殖動物を卒業する、というわけである。(べつに卒業しなくてもいいんだけど)
しかし、「それ以前の状態」では、「男女は同等」、である! どちらも、「ただ、それ以前の生き物」である、という意味で。

クンダリニー

ヨガや宗教の奥義に興味のある方は、クンダリニーとかクンダリーニという言葉を知っているかもしれない。とくに、クンダリニーの「覚醒」とか「上昇」ということに、関心が集まっていると思う。
それを成し遂げれば「解脱する」と、表現している人もいるようだ。
ですが私は、解脱などという、そのような古臭い、権威主義的な、特権意識的な、はっきり言ってクサイ言葉は大嫌い。
その言葉を利用(乱用)して、他人をいいようにしてきた宗教家がどれほどいることか! だからできれば、私までその言葉を使いたくないのだけど・・・、その言葉を使わないと、「同じ社会のモノサシ(通念)」で事象を説明できにくくなるので、あえて本文でも使っている、クンダリニーとかクンダリーニとかクンダリニ。←ゴミに等しい言葉であーる。

とにかく、解脱というのが具体的にどういう状態か全くわからない人たちが、「解脱願望」「解脱妄想」にとりつかれているのではないだろうか。そして、クンダリニーが覚醒したり上昇すると、超人となり、素晴らしいことばかり起こるように書いている、そういう”未体験”の人が多い。
何がどうということもない人間の生体システムを、そのように“誇張”してしまうと、かえって良くない。”競争心”は強いが、社会性はない人(多くは男性)が、クンダリニーの神秘性を利用して、尊氏とかグルとか聖者づらして、大衆を利用するだけである。

むろん私も解脱などしていない。なぜかというと、体内の性欲エネルギーの道を頭上まで整え、その道をクンダリニーを上昇させて放出し、「解脱」といわれるような作業をしたところで、それはあくまでも一時的なものであり、わりとすぐ、元に戻るからである。(というより、他人から見たらまったくなんの変わりもない)

というか、モトに戻らなかったら、大変です!!

そのまま”脱しっぱなし”であると、意識が肉体を操作しにくいこともあり、時間とともに、ふつうは、もとの「肉体優勢」の状態に戻る。ただ、"脱しっぱなし”の”慣性”はできてゆく。
したがって通常は、肉体を持っている人間で、完全に解脱している人はいないはずである。
ただ、もしその時点で物理的肉体の死(肉体の放棄)が伴えば、「すこし長期の解脱」になるかもしれないが、それさえ、何がどうなったか、その先どうなるか、確たることは誰も言えないはずだ。

確たることが保証も説明もされていないのに、解脱、解脱という言葉が先行し、振り回されるのは愚の骨頂。見苦しい欲のかたまり。

■秘儀、性の儀式セックス宗教とは?

ときどき、一部の宗教団体で、秘儀性の儀式フリーセックス奨励などがおこなわれていると報道されることがある。
おそらくそのような宗教は、男女がなんらかの形で、お互いの「気」なりを交換することを、宗教的に有効という考えが根底にあるのだろう。そのような宗教のリーダーの中には、じっさいに霊視して、男女のエネルギー交換の状態を「観ることができる(霊視できる)」ため、確信をもっている人もいるかもしれない。
ですが、私はこう言いたい!
「エネルギーの交換、交流など、世界中、地球上どこでも、あらゆるところでおこなわれている!」、と。
なにも男女間のセックスにこだわることはない、ということである。

たとえば、私がデスクの上に手を置いたって、デスクと手のエネルギーの交流はおこなわれている。私が犬の背に手をのせたって、おこなわれている。人間どうしが手をつないだって、同じ屋根の下にいたって、いなくたって、それは行われている! もちろん、パソコンの中でだって、おこなわれている。
パソコン技術者は、パソコンを解体しての修理の前に、水道の蛇口やドアノブをしばらくのあいだ触り、自分の体内エネルギーを放出しているじゃないの! これは、蛇口とのエネルギー交流、ですよ。パソコンの内部についているメモリ部分をさわるときだって、同じことをしなくてはならないし。
他人と手を握り合うと、体熱を感じる。それこそ(熱)エネルギーの交流。誰かが座ったあとの座席は温かい・・・、そういうのも同じこと。他者や外部とのエネルギー交換など四六時中おこなわれている。であるからして、性の交流などにこだわることはない。
もし、セックス宗教を通して宗教の到達点にたどりつくのであれば、普通のセックス好きの人は、かなり進化した生き物になっていていいはずだ。ところが現実は、いつまでたっても凡人、といか、意識は一般よりも低いことが多々ある。

では・・・、なんで、あいも変わらず、男性のリーダー主導型のセックス宗教が後をたたないかというと、要は、彼らが「性エネルギーの操作を知らない、できない」という、単純な理由からだと思う。それでいて俗世間並みの欲だけはあるから、セックス宗教を遊ぶ方向にいってしまうのだろう
または、自己顕示欲と、競争心を満たすために、善良な市民(というか馬鹿な人々)に「性」という危なそうなものをつきつけ、反論のしにくい状態をつくり、思うままに操作しているのだろう。
バカな人々は、ダメなリーダーをつくり、支える・・・、ということなのである。

タントラ密教とは?

タントラという分野があり、そこではセックスも奨励されているようだ。インドのどこかには、有名な、男女交合の彫刻もあるそうだ。カジュラホだったか?(私は、ヨガをやっているのにヨガの知識にうとい。その他の知識にも、うといけど・・・)。
チベット密教の資料にも男女の交合図があるようだ。
もっとも、インターネットを見ていると、本来の資料とはぜんぜん違う、ただのエッチ系の「男女の交合図」を売っているところもあるようで、おかしい。
ところで、そのようないわゆるタントラ的、「宗教的な、男女の交合」は、私にいわせれば、肉体を使って実際にやるものではない、実は。
そうした交合図は、個人の中で、股のエネルギーが、上昇するエネルギーに転じて(比喩/シャクティ)、頭部のエネルギー(比喩/シバ)と結びついたときに「脳内で観えるビジョン(映像)」、なのである。つまり、”脳内映像”なのよ。
私もそのような交合図の映像を見ている。最初は、「あ、これは宗教の図で観たような・・・」と思ってびっくりした。
もし、現実の男女が肉体を使ってそんなことをしたら、修行の観点からは、単なるエネルギーロスになるだろう。
だから基本的には、タントラ的な男女交合は、脳内に観るビジョンなのである。
男女の物理的な交合で修行をできなくもないことではあるが、現実的に交合しなからそのビジョンが見えるくらいの人だったら、最初から面倒な物理的交合などやる必要もない、という、そういう、ほとんんど無駄なことなのである。
遊びとしてやるのはかまわないが、宗教的、ヨガ的には、「やってること」と「目的」の両立のしようのないのが、タントラ的男女交合。
ヨガ、宗教の世界には、男根崇拝シバリンガ崇拝、という伝統もあるが、どうもしらけてしまう私である。
どうでもいいオチンチンの偶像など崇拝しているようでは、身の回りにあるいろいろなもの(たとえば水晶とか太陽光とか優れた修行グッズとか)に、”男根”以上のケタはずれの素晴らしいパワーの宿っていることを見過ごしてしまう。それでもよければ、「男根崇拝」でもすればいい。なぜかというと、それ以外のことがわからないのならば、しかたがない。それが、趣味にあっているのならば、しかたない。

理由はただそれだけ

私は、以下のことを伝えたい。

宗教の「可能性」に興味があるなら、
座って、
ただ自分を、徹底的に鎮めるだけでいい。
いままで仕入れた知識も、
自分が知性と思っているものも、
仕入れた情報も、
全く役に立たない
自分から、
雑念と力(りき)みをとことん落とすこと。
それはもう、徹底的に落とすこと。
落としたと思っても、まだ落とすこと。
さらにどんどん落とすこと。
これでもかこれでもかと、落とすこと。
死んでいるのかと思うくらい、落とすこと。

すると、
想像を絶する体験が起こり、
繁殖のための力が体内を「上昇」し、
動物としての体から、
天に向かって、抜け出す。

どうです、1円もかからないでしょう!

これでまず、クンダリニーエネルギーの通り道ができる、のです。
あ~、先は遠い。(とばかりも言えないんだけど)
しかも、何度もくり返す必要があります。通り道整備を。

ただし私は、以上のようなことを、やればいいとか、やるべきだとか、やるのが偉いとか、そのようなことを伝えようとしているのではない。そこは間違えないでほしい。

クンダリニー操作は、ある意味、くだらないことである、健康目的以外には。
と、私は思っている。

■では、どうやって具体的に?

実際にどうすれば、股のエネルギーを頭の外へと誘導できるのだろう?
陳腐な解脱をめざすには、まずこれが必要。

各自が、そのへんにあるヨガなどの本をいろいろ見て、いろいろやってみればいいことだと思う。ピンとくる人には、ピンとくる。こない人は、こないのが無難だからである。
ありきたりのヨガの本には、性エネルギーのことなど書かれてはいないと思う。書かれている本があったら、それは、古臭い宗教のドロドロの世界かもしれない。
人体操作の基本であるはずなのに、なさけない。

大切なのは、何かをやったとき、あるいは、何もやらないときでも、「自分の中の何がどうなっているか」ということを感知する能力だ。これは、ひょんなことから身につく。私もそうだった。あるとき突然(といってもいいくらい)、手の平の感覚が鋭くなって、「体内のエネルギーの移動を感知する力」が身についたのである。そして、”操作”もできるようになった。さらに、それを夫に教えたら、夫も2週間くらいでできるようになった、と思う。当時は、二人して驚いたものだ。
私自身は、かなり鈍感なほうである。霊視能力は基本的には、ない。超能力もない。ただ、体内のエネルギーの動きが多少わかるだけだ。それも、毎回、というわけでもない。体を動かしてポーズをとる「ハタヨガ」については、さらに不器用! これについては問題だと思っている。

■何もしないときに、起こる

股に停滞したエネルギー(性欲エネルギー)を、体内上昇させて、頭上に放出するには、実は、逆説的だが、自分自身に対して全くなんの操作(あるいは行為、努力)をしないときに起こる。私自身は、そうだった。
しかし・・・、「ほんとうになんの操作も行為もしない」ということが、いかにたいへんか!! このことはいくら言っても言い足りない。「なにもしないこと」を「持続する」ことの大変さ!う~くるしい~・・・。と、七転八倒になってしまう。
というのは、人間はつねに何かを考えたり、思ったり、体のどこかに力が入っているものである。
考える、思う、というときは、実は力を使っているのである。それは、操作であり行為である。
自分に全くなんの操作もしない、ということは、「深い瞑想」がいちばんそれに近い。ただし、眠ってしまっては、体内エネルギーを上昇させるための「意志を行使すること」ができないので、眠るのは、だめである。

ところが一般的には、深い瞑想に入るには、練習が必要である。そうでない人も多いかもしれないが、私はかつてそうだった。それはもう、哀しいくらい・・・。
瞑想とは・・・・、肉体から、眠っているときのように「力」がすっかり取れていて、それでありながら「意志」を行使できる状態、である。意志を行使するためのわずかな、かすかなエネルギーは残しておく。
この状態になるには、自分の体からはもちろん、心からも徹底的に力(ちから)を抜く作業をする。
抜いて、抜いて・・・、自分が、空(から)のようになったとき、こんどは自分に、気が満ち始める。
そして次第に体のあちこちに満ち、股の部分に集中し(性エネルギーに等しい)、飽和状態になると、体内を上昇しはじめる。たぶんこれは、重力の関係だろう。

修行の程度によるが、その後、いわゆるスシュムナー管を通ってか、頭頂から天の方向に放出される。放出されなくて、どの位置かでとどまれば、人さまざまの体調不具合につながる。
体の一部分がゴロゴロしたり、熱が出ることもある。

これは、練習を積み重ねると、少しづつは前進する。徐々に、大きなエネルギーが上昇する体になっていく。人間の体の中心部には、天と地をむすぶ引力の道が縦にあるようだが、その部分が強化(幅広化)されてくるからだろう。このことは、クンダリニーが上昇しやすくなることにつながる。クンダリニー上昇時の危険が、少なくなる。

クンダリニーは、いつ突然、活性化するかわからない、”ものひどい”ものです。

ところが、そんなことしているからといって、現実生活で何が変わるわけではない。
ここが問題。
逆に、そんなことにうつつを抜かしていると、ろくなことにならないだろう・・・。
郵便受けを見たら、請求書がどっさり、なんて。
私自身は、もともとの目的がクンダリニーの覚醒や上昇などではなく、体調の調整でヨガをはじめたので、クンダリニーを覚醒させるというようなことには全く熱心でない。クンダリニーヨーガにも、まったく興味がない。
「自分の気の通り道が整って、健康になればいい」、という、現実重視派なのである。ただ、それが熱心すぎて、なんだかへんな方向に・・・。

私が性エネルギーやクンダリニーについて書けるのは、健康志向が強すぎる、という、単にその結果である。

■「本式覚醒」は?

性欲(エネルギー)が頭上に向かう通り道を、クンダリニーエネルギーが通る(別作業として)。

私は、人生に何度か、クンダリニーが激しく活性化したことがある。そのうち一回は、ヨガの修練とは全く関係なしに、すごい精神的ショックでクンダリニーが一気に活動を始めた。人身事故の現場を見て、全身総毛だったのがきっかけだった。
私の知人も、路上で無惨な死体を見たときに、全身が異常な状態になり、何か月も収まらなかったという。さらにへんな話で恐縮だが、別の知人は、家族の首つり死体を見てから体調を崩し、高熱が続き、1年後に死亡してしまった。医学的には原因不明、ということだった。
死体(それも凄惨な)という、人間の最期の姿を見ると、自分の中でそれまで押し殺し、しまっておいた根源的なエネルギーが、衝撃で「活動」を始めてしまうのだろう。ある意味、死体と同調してしまう、というか・・・。見た人間の生体システムの何かの封印が解かれてしまうのだろう。
何も知らずにそんなことが起こってしまって、その後の「収め方」を知らなければ、ただごとではない事態になるかもしれない。家族の首つり死体を見てから高熱が続き、一年後に死亡した私の知人など、その一例だろう。

ただ、幸いなことに、そのころ私はすでにヨガ、瞑想をわりと熱心にやっていたので、ショックで覚醒したクンダリニーエネルギーは、無事、頭上に抜けた。!!

その瞬間に上昇させようと努力しなくても、それまでの努力で、結果だけが出るのです、いざクンダリニーが覚醒、活性化してしまったときは。

■指導者、について

ヨガや宗教の道を歩むために、指導者が必要になると思う。実は私も、何人かの指導者についた。一過性の講習も受けた。しかし「その団体を住みかと決める」気持ちには、間違ってもなれなかった。
指導者というものについて考えてみると、それは、言葉もしゃべるし、エネルギー的にも人間のそれを持っているので、「通じややすい」とはいえる。
が、それだけに、指導者の自己顕示欲やその他の、悪しき影響を受けることが非常に多いものだ。双方人間なので、相手の個性が「伝播」しやすい、というか、しやすすぎる。そこが便利ではあるけれど同時に、指導者を持つことの問題である。
自分もその指導者の複製のようになっていくのが、わかる。
私は、その自分にイラ立つ。

そのあたりを十二分に自覚している人であれば、指導者につくのもいいかもしれないが・・・。その場合も、定期的に「自己チェック」が必要だろう。「いつでも自分は、自立できるか。この団体から離れられるか」、と。

ただ、指導者とは、実は「人間」だけではない。特定の植物、水晶、その他の自然物、「土地の力」でも、私が本項に書いたような状態へと導いてくれることがある。すぐにとはいかないにしても。下手な指導者より、はるかにいい場合がある、というか多い。
「自然物」には、人間のような自我がないので、気持ちよい。人間としての自我は持ち合わせないで、パワーや効能だけが、ある。
現代では、幻覚性植物は使用が禁止されているが、過去においては、自然界にある幻覚植物やらキノコ、太陽、水晶、土地など、要するに「自然界にあるもの」が、私たちを、ただの繁殖動物を超えた生き物へと導いてくれたのだと思う。すなわち、自然界にあるものが、グルの役割をしたのだろう。
私自身は、それこそ、水晶だけに頼ってやってきた。それも、すごく安いもの、である。

ヨガや宗教のグルなど探しまわるより、もういちど、「自然物」と、濃くつきあってみてはどうだろう?
たとえば、コットンを濡らして、その上に豆粒のような種をまく。「水」を与えると、別の生き物と化し、芽が出て、育ちはじめる。その様子を観察する。
種子の中に、生命が成長する情報がすべて詰まっていることがわかる。
そういうことに心が深く同調するとき、体が、ああ~、という感じで、ゆるんでいく。
感動することが、体の緊張を取る。そして、物理的な人間であることから、心(気)が優勢な人間へと、変わってゆく。各経絡(エネルギーライン)は、開かれてゆく。
その積み重ねが、気の濃い体をつくる。

そして、ほんとうに気の濃い体になると、内部に、気の正しい通り道ができてゆき、同じく気であるクンダリニーが活性化したときに上昇しやすくなる。上昇、する。

・・・・・・・・・・・・・・

私自身は、かなりハードワークな人生を送ってきました。普通の女性の5倍くらい働いたかもしれません。いまも・・・生活のために。
仕事は好きです。大好きです。儲けるの、大好き!
ですが、ビジネスを一歩離れれば、身近な自然界の素晴らしさの中に埋没してしまう性格です。

みなさん! 植物や太陽や動物の素晴らしさを、決してあなどらないでください。
じっと観察してください。大切にし、同調してください。
自分に必要なエネルギーは、”人間がつくったものではないもの(自然物)”に、満ち満ちています。
とことん、味わいましょう。
大切にして、この地上から、そういうものをなくさないよう努めることです。


自分が食べる野菜も、たまには自分で栽培しましょう。

そういう生き方が、あなたを気の濃い体へと導き、
宗教の高みに行く可能性と方向を、自然に教えてくれます。


END

当ブログの内容の転載(二次使用)、アレンジしての流用を堅く禁止いたします。二次使用が発覚した場合は実名を出します。

※文がうまくまとまらなくて、何度か書き直したため、スムーズじゃない表現になっています。どういう文体にするか決まらないまま書きはじめてしまったため。
新聞の記事のような文章のほうが、時代を超えて受け入れられるか、などと考えてしまいました。
ご容赦ください。