2015年2月刊『宗教と政治の転轍点』塚田穂高 著
「図書新聞」8月29日号 評者 櫻井義秀(北海道大学大学院文学研究科教授)
転轍とは線路を切り替えることである。宗教運動が政治に関わるやり方は何によって切り替えられるのか。著者によれば運動が内包する宗教的世界観によって政治関与に留まるか、教団独自の政党を結成して政治進出を目指し、政教一致のユートピアを構想するかがきまるという。本書は戦後の宗教運動のうちで政治関与と政治進出を試みた神社神道(日本会議含む)・解脱会・崇教真光・創価学会・浄霊医術普及会・オウム真理教・アイスター・幸福の科学を事例に政界と教団の関係、選挙運動と結果を詳細にあとづけた力作である。
これまで宗教と政治をめぐる研究は、戦前の国家神道や宗教弾圧、戦後の靖国神社や地鎮祭における政教分離をめぐる裁判、そして創価学会を母体とする公明党の研究が代表的なものだった。しかし、現実の選挙を見るならば、今でも日本共産党などの一部の政党を除き、ほとんどの政党政治家は既成宗教・新宗教を問わず、選挙区内の宗教団体や全国規模の教団から支援・後援を獲得しようとしており、政治家にとって教団宗教は票田としてまことに魅力的な存在なのである。
内容を簡単に見ていこう。塚田は安丸良夫の民衆宗教論に着想を得て、日本の天皇制を護持する正統派ナショナリズムに連なる宗教的異端(神道を除く新宗教)が保守合同の宗教運動に入り、まったく異質な宗教的世界観を有するナショナリズムが理想社会の実現を目指して政界進出を図ったと考える。
神社本庁は神道政治連盟を結成し、靖国訴訟・元号法制化・国旗国歌法制定などの運動を展開し、自民党公認候補を推薦・応援した。生長の家も生長の家政治連合を結成し、これらの政治関与宗教運動は「日本会議」に結集し、ここでも伝統宗教・新宗教の責任役員が名を連ねた。本書では日本会議や解脱会・崇教真光の新宗教が取り上げられている。
ところで戦後の新宗教は完全な信教の自由を謳歌し、自前の候補を立てて政治参加を企図した教団が少なくなかったが、政党の結成と独自候補擁立を最後まで諦めなかったのが創価学会だった(中野毅『戦後日本の政治と宗教』原書房、二〇〇四年)。保守合同の政治運動とは相容れない宗教理念と理想社会像を有するからだ。二代会長戸田城聖の王仏冥合論による政教一致路線は、三代会長池田大作の時代に言論出版妨害事件を契機として軌道修正され、現在の政権与党連立による政治参画に姿を変えている。
浄霊医術普及会では参議院議員選挙に比例代表制が導入されたことを契機に野澤明一が一九八三年に「世界浄霊会」を設立し、オウム真理教は松本智津夫が「真理党」を結成して一九九〇年の衆議院選挙に出馬した。化粧品製造販売会社アイスターの創業者西山英一は一九九五年に宗教法人「和豊帯の会」を創設、「女性党」を作って参議院選挙に幹部を出した。幸福の科学は大川隆法総裁が「幸福実現党」を二〇〇九年に設立して選挙に幹部を出馬させた。これらの教団から当選者は出ていない。塚田は四教団の政治進出を導いた指導者の宗教理念と活動戦略を教団の刊行物や各種メディア情報を用いて細かく分析しており、貴重な資料を提供する。
最後に、本書の分析のハイライトからいくつかの論点を提示しておきたい。本書ではナショナリズムに七つの指標を設け(①日本文化や伝統性・固有性の重視、②天皇・皇室の崇敬、③救済対象としての普遍的人類観の有無、④日本の経済的優位観、⑤戦前の体制・戦争観、⑥西欧文明と日本の対置、⑦ユートピアにおける日本の役割)、教団ごとに異同を調べ上げて政治関与の保守合同政治・宗教運動と独自政党成立の政治進出運動に分けた。
評者が塚田の分析をさらに要約的に示したのが上の表である。
ここからわかることは、①天皇制や修正主義的歴史観に基づいて日本の宗教文化を説くのは神社神道のみであり、保守合同の教団であっても経済論や世界観は独自なものである。②幸福の科学は日本の優秀性と人類史的役割を強調するが、創価学会以下他教団は日蓮仏教、日本的霊性、ブリコラージュ的教説、ネットワークビジネス的色彩がそれぞれに強く、必ずしもナショナリスティックとまで言えないのではないか、ということである。
換言すれば、戦後日本における宗教運動の政治関与と政治進出にナショナリズムという世界像から迫るのは興味深いアプローチではあるものの、説明力が必ずしも十分とは言えない。むしろ、塚田が本書の分析では対象外とした教団と政治家たちの「利害状況」、すなわち保守合同運動においては政治家側から教団へのアプローチ、独自政党設立の教団では指導者の政治的野心と動員される信者たちの共同幻想や現世利益なども重要だろう。
いずれにせよ、本書を通して戦後日本の宗教と政治にかかる新しい知識が蓄積されたことは間違いない。基本的な研究書、啓発的な書籍として書架に置くことを勧めたい。
『信濃毎日新聞 』2015年6月21日付朝刊
■宗教と政治の転轍点 塚田 穂高著
注釈がびっしりと入った学術書だが、下手に触るとやけどをしそうなホットな題材に真正面から食らい付いた。テーマは現代日本の宗教と政治。両者の関係に、国家意識の観点から光を当てた。
「正統」的宗教ナショナリズムとしての神道政治連盟、保守合同運動としての日本会議など、既存の政党や政治家を支援する「政治関与」の分析と、公明党の支持母体である創価学会、幸福実現党を結党した幸福の科学など、独自の「政治進出」の事例を検討。オウム真理教にも一章を割いた。
国学院助教の著者は、膨大な資料を読み解きつつ、政治と宗教が交錯する現場を歩き回った。ジャーナリズムがほとんど手を付けてこなかった領域に踏み込み、政治への関与と進出の分かれ目である。「転轍点」がどこにあるのかを見極めようと奮闘する。その筆致は鋭い。30代の気鋭の宗教社会学者が世に問う意欲作。(花伝社、3780円)
『仏教タイムス』 2015年5月21日号 新緑読書特集
【書評】宗教組織の政治への進出と関与 評者:橋詰邦弘(共同通信社編集委員・論説委員)
政治記者一年生が必ず通過しなければいけない関門は「総理番」だ。首相の起床から就寝までを追いかけ、その一挙手一投足をウォッチする役回り。私も若かりし26年前、この総理番を経験した。時は、自民党内で盤石の基盤を構築しながら、リクルート事件が襲い、竹下登首相(故人)が退陣に追い込まれたまさに政局の大激動期。永田町の右も左も分からず、走り回った記憶の中で、鮮明に刻まれている場面がある。
竹下氏の後継となった宇野宗佑首相(故人)も、参院選を目前にあえぐ。リクルート、消費税導入、牛肉・オレンジの輸入自由化という自民党への「逆風三点セット」が重くのしかかった上、女性スキャンダルも発覚したのだ。その宇野首相が突如、立正佼成会、妙智会、生長の家の各本部を訪問、翌日には官邸に浄土宗など仏教系十宗派の幹部と全日本仏教会、神社本庁、世界救世教、仏所護念会の各役員らを招く。遊説のお呼びもかからない大将が選挙のためにせめてできることは何か―。最高権力者の館を法衣姿の僧侶らが〝闊歩〟する光景はその答えでもあったが、ある種の衝撃を受けた。その後の記者生活でも、「政治と宗教」は頭の片隅から離れなかった。
塚田穂高さんの「宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学」は、こうした私の問題意識を真正面から受け止めてくれた。戦後政治史を記したものは多々あるものの、宗教組織が政治にどう関わっていたか、という現象面の記述にとどまっていたのではないか。しかし、本書は組織が「政治関与」あるいは「政治進出」を選択した具体的なケースを検証し、各宗教の教義などに浮かぶ国家意識=ナショナリズムを分析することによって、解き明かすユニークかつ野心的なアプローチを採用した。
国家意識を計る物差しとして①文化・伝統観②天皇観③対人類観④経済的優位観⑤大戦観⑥欧米観⑦ユートピア観―の七つを提示、他と共有しがたいユートピア観を有する組織は「政治進出」、正統的宗教ナショナリズムに引き付けられる性格を持った組織はそれと親和的な党や政治家を支援する「政治関与」の道をそれぞれ歩むという「転轍点」を明確に導き出している。
自民党をバックにした「四月会」が創価学会を激しく攻撃する事態に悩む公明党は、「非自民」の政治路線を転換。1999年に自民党と手を結び、「自公蜜月」時代が到来し、私もその歴史と併走してきた。
ただ塚田さんも指摘しているように、安倍晋三による極めてイデオロギー色の強い集団的自衛権の行使や安全保障法制の整備をのみ込む姿を見ていると、創価学会が政治進出を決断した当初の動機や目指したものとは明らかに変質したようだ。組織の維持というベクトルの比重が飛躍的に増し、「転轍点」の大きな要素になっている気がしてならない。塚田さんのさらなる研究を待ちたい。(A5判・416頁・価3500円+税)
『朝日新聞』 2015年5月17日 付
評者 原武史(明治学院大学教授・政治思想史)
◇政党作る団体に切り込む行動力
泡沫(ほうまつ)候補という言葉がある。選挙で当選する見込みがきわめて薄い候補者のことだ。彼らは、たとえ一時的に話題に上がることはあっても、時間がたつにつれ忘れ去られてゆく。政治学の世界でも、泡沫候補に関する研究というのは皆無に等しい。
本書は、宗教政党に属した候補という限定付きながら、昭和から平成にかけての泡沫候補に関する初めての本格的な研究である。もっとも本書は、その研究自体を目指してはいない。戦後日本の宗教運動を、独自の政党を作らず、既存の政党を支持するだけの「政治関与」型と、独自の政党を作って選挙に立候補する「政治進出」型に大きく分け、両者の事例について考察しているからだ。けれども圧倒的に面白いのは後者で、各教団の内部資料を集めるばかりか、選挙に打って出る宗教政党の会見にまで出席するなど、ただならぬ努力が費やされている。政治学者が避けてきたテーマに切り込もうとした著者の研究姿勢は、高く評価されるべきだろう。
創価学会、浄霊医術普及会、オウム真理教、アイスター(和豊帯〈わほうたい〉の会)、幸福の科学が、「政治進出」型に属する宗教団体として取り上げられる。このうち、創価学会を除く四つの団体は、国政選挙への挑戦を何度か試みるものの、議席獲得には遠く及ばないまま今日に至っている。この点ではすべてが泡沫候補と呼ぶべきなのだが、言うまでもなくオウム真理教と幸福の科学の著名度は突出している。本書では、1990年の総選挙での惨敗を機にオウム真理教が陰謀論的思考を深めてゆく過程や、2009年の政治進出と連動して幸福の科学で「霊言」が復活する過程についても、興味深い分析がなされている。
こうした分析を踏まえると、同じ「政治進出」型の宗教団体に属するにもかかわらず、なぜ創価学会だけが泡沫候補を出さずに政界に進出できたのかという疑問が、改めて湧いてくる。けれども本書は、この疑問に十分にこたえてはいない。「政治進出」型の宗教団体は、いずれも日本の伝統尊重や天皇・皇室への崇敬を中核とする「正統」的宗教ナショナリズムからは距離を置く「異端」性をもっているとされるが、この仮説だけで創価学会とオウム真理教の間に横たわる振幅の大きさを解明することはできまい。
本書を読んでいると、文章の表現などに良くも悪(あ)しくも「若さ」が目につく。だが、若さゆえになし得た研究ともいい得る。幸福実現党の会見に一人乗り込んだ著者の勇気と行動こそが、本書を生み出した原動力になっていることは間違いない。今後のさらなる研究に期待したいと思う。
〈評〉原武史(明治学院大学教授・政治思想史)
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花伝社・3780円/つかだ・ほたか 80年生まれ。国学院大研究開発推進機構日本文化研究所助教。東京大大学院博士課程修了。専門は宗教社会学で、新宗教運動・政教問題・カルト問題などに取り組む。共編著に『宗教と社会のフロンティア』など。