私は母の作る卵焼きが大好きだった。少し醤油辛くって、少し甘い母特製の味。
お弁当に入っていたら、最後に残して少しずつ食べたし、必ずお弁当のおかずに入れてね!とリクエストした。
本当に本当に大好きだった。
ある日、私は母の彼氏(父親の間違いではない。彼氏だ)に卵焼きを作るように指示された。
彼は何かにつけて子供に指示する人だった。彼が吸うタバコとウィスキーを買いに行くのは時代もあり、私達姉妹の役目だった。そして彼の飲むウィスキーのコップに氷を入れるのも私達姉妹の役目だった。鍵で閉め切った部屋が開き、充満したタバコの煙と共に声が聞こえる。
「タバコを買って来なさい。」「今日はウィスキーを買って来なさい」「氷」
子供だった私達姉妹はそれに従う以外の術を知らなかったし、お使いを頼まれている間は鍵で閉め切った部屋が開くので母と話せる!という事だけでその指示に従っていた気がする。
氷を入れる指示は彼が家にいる間は何回も出された。その都度何かをしていても中断して氷をコップに入れた。
母が仕事の間に来た彼に自分達が使う部屋を「今すぐ掃除をしなさい。」と言われた事もある。しかし中学生だった私はそれにも従った。
あの頃を思い出すと自分はなんの為に過ごしていたのか分からなくなる程だ。
ただ、母に嫌われてしまう事が心底恐ろしくて、必死でいい子を演じていたように思う。
内心では、母の彼氏は大嫌いだった。見た目も中身も何もかも嫌いだった。幼稚園児の子供がここまで人を嫌って殺してやりたい、いなくなればいいなんて思う事があるのだろうか?と思うくらいには嫌いだった。家庭があるくせに、母に偉そうな態度をとるとこも、子供がいるくせに、私達の家庭に入り込んで父親面するとこも。何もかも。
人をあそこまで嫌いになったのは後にも先にもこの時が初めてだった。
あの人がいたおかげで私は誕生日もクリスマスも大嫌いになった。姉と誕生日が近いから、と誕生日パーティーを誕生日ではない日に合同で開催され、変わり映えのしない晩ご飯とケーキを食べると母と彼はまた部屋に籠るのだ。クリスマスも同じだ。
そして誕生日当日には、お祝いもされず、何事もなく1日が過ぎる。何も特別な事がなかった。
しかし少しでも不機嫌にすると母が「あんたの為にしてくれてるのだから、不機嫌にするな」と叱られた。なので私は笑顔を浮かべて「え?全然機嫌悪くないよっ♪」と言った。そして部屋に籠ったのを見計らって布団に潜りわんわん泣いた。
5歳の時から小学校高学年まで私はほぼ毎週土曜日は布団に潜りながら寂しさに耐えて毎回毎回飽きもせずにわんわん泣いていた。
平日は一緒に寝れると思っただろうが、母は夜の仕事をしていた為平日も一緒には寝られずしまいには朝帰りもあったりと、小さな頃はそれはそれはほぼ毎日のように泣きながら眠りについていたくらいだ。
で、本題である。
彼に指示された卵焼きを作り、彼に出す。
すると彼はその卵焼きをいたく気に入り絶賛した。
私が焼く卵焼きが食べたいからと高級な卵を買って来た事もあった。そして毎回毎回作らされた。その度に絶賛していた。
ある日母が彼の卵焼きを焼いていた。それは私が作る卵焼きと酷似していた。母は彼の為に、と私の作る卵焼きを真似し作ったのだ。すると、上出来、と言い放つ彼に母は満足そうな顔をしていた。
それ以来だと思う。
私が母に卵焼きをリクエストしても前みたいな味の濃い卵焼きは出て来ず、ほぼ卵の味しかしない美味しくない私の作る卵焼きに似た卵焼きを作るようになったのだ。
お弁当に入っていても美味しくない。母の味はこれじゃない。こんな卵焼き、食べたくない。そう思ってから母に卵焼きをリクエストする事がなくなった。私の大好きだった母の卵焼きがしんだのだ。