『電波少年シリーズ』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の演出・プロデュースを担当した、日本テレビ放送網編成局ゼネラルプロデューサーの土屋敏男さん。
2005年にはインターネット動画配信サービスとして第2日本テレビを立ち上げ、現在はそれぞれの人生をドキュメンタリーとして残す事業を展開するLIFE VIDEO代表取締役社長も務める。
土屋さんはテレビ全盛期の時代をどのように歩んできたのか。また、インターネットやスマートフォンの登場で、これからメディアはどのように変化していくのか。
2015年3月にLINE代表取締役社長を退任し、現在はC Channel代表取締役社長を務める森川亮さんと往復書簡を交わしながら、これからのメディアを探る。「お金儲けをするなら、メディアはやらない」という森川さんのメッセージを受けた土屋さんのアンサーとは――。
テレビ局を志望したきっかけは学園祭
ぼくが日本テレビに入社したのは、もう38年前(昭和54年)のことです。大学時代、学園祭に引き入れられて、かっこよくいえばコンサートのプロデュース(要するにチケット売り)を経験したことで、自分で企画を立ててやりたいと思うようになりました。当時、大学の各クラブにあった春歌を披露する「クラブ対抗歌合戦」を企画したところ、思いのほか反響があったのです。
これがきっかけで、ぼくはテレビ局を志望することにしました。頭の良かった同級生は日本興業銀行とか日本長期信用金庫とか東京銀行に就職していたので、周りからは変わり者だと思われていました。
当時は『朝日ジャーナル』読んでいる人が真面目で、ぼくみたいに『週刊プレイボーイ』読んでいる人はバカなんじゃないのと思われていた時代。電車のなかで『週刊少年ジャンプ』読むのもかなり勇気いる行動でした。
当時はテレビがいちばんおもしろそうでしたが、いまはインターネットの世界がおもしろいと思っています。なんだか、38年前のあの気分と似ています。いま大学生だったら間違いなくC Channelでインターンしていたと思います(笑)。
ネットの登場を思い出しても、テレビに大きく影響を与えたように思います。ぼく自身も、ネット投票で次のメンバーを決めるなど新しい番組づくりをおこなうことができました。
だれも予想できなかった電波少年の大ヒット
それでも、ネットには足りないものがあると思っています。当時、テレビ局員は「カタギじゃない」という意識がありました。入社した当初からそう言われていたので、やっぱり、ものをつくるときには、会議で決められないものにこそ可能性があると今でも思います。
たとえば、テレビ局の報道であれば自分たちがジャーナリストであろうとする。日本テレビとして報道すべきなのかどうかを判断する。もちろん、そこにはジャーナリズムとビジネスとの間で戦うことはあると思います。視聴率というビジネスモデルの元でやっているのですから、視聴率を取るものと伝えるべきだという両軸があるけれど、実はそのどちらも理屈じゃないと思っています。
電波少年が視聴率30%獲得するなんて、誰も思っていなかった。会社もぼくもなんで数字が取れているのかわからなかった。でも、当たった。そういうことを経験的に知っているから、テレビ局では「やりたい」気持ちで任せてもらえたと思うんです。
対照的に、インターネットはアメリカから来ていることもあり、ものすごくビジネスの色が強いです。だから、まず問われるのはビジネスになるのかどうか。常にビジネスというものが先行しているから、ページビューや滞在時間などさまざまな指標のデータを取り、広告につなげていく――。
でも、そもそも、ネットは数字が出すぎている気がします。
ネットはテレビよりも根性が必要?
ネットに比べたら視聴率なんかアバウトな数字でしょう。結局、いまだに4月と10月に各局が新番組をスタートする。みんな視聴率を取ろうとするけれど、いまだに当たりはずれがある。結果、「またダメだったね」と言い合う。そんな繰り返しの先に本当に新しいコンテンツは、基本的に数字と切り離されたところで生まれると思っています。
テレビが幸福だったのは、チャンネルの数が限られていたことです。チャンネルを変える時間はあれど、結果的にどこかの局が選ばれる。電波少年は期待されてなかったけれど、一瞬のインパクトでおもしろいと思ってもらってそれが積み重なっていった。
でもネットは、チャンネルが多すぎて埋もれていくから、根性出して、おもしろいことを粘り強く続けないと選んでもらえません。
テレビの場合、たまたま、作っている人間はビジネスを考えずに儲かる時代があったのが良かったのだと思います。本来、メディアは儲からないですが、ビジネスよりも先に「なにかおもしろいことをしでかしてやろう」という思いを持っていました。
日本のテレビの歴史が60年くらいあるなかで、これまで見たことなかったテレビをつくりたい、そう思って、アポなしロケやヒッチハイクをやってみたわけです。
インターネットこそが見たことないものを作るテクノロジー
ヒッチハイクにしても、ソニーの「Hi8(ハイエイト)」というビデオカメラがあったから実現したことです。新しいテクノロジーがあるから新しいロケ形態も企画も生まれてきた。新しいツールを手にいれて、いままで観たことないものをつくるという思いが、たしかにあったのです。本当はインターネットこそ見たことないものを作るテクノロジーだと思います。
やっぱり、新しいことは、多数決の中からは生まれません。だからいま、クレイジーな挑戦者とクレイジーな投資家が求められています。それが組み合わさったとき、世界的なコンテンツが生まれるのだと思います。
スティーヴ・ジョブズもそう。誰も相手にされなかった。でもその結果、奇跡的に世界的なプロダクトを生み出すことに成功しました。みんなが「これ当たるよね」と言い合ってスタートしたものからは、歴史的な革命はありえないのです。
テレビの世界でも、高視聴率を取るものは突然変異のように出てきます。だからまだクリエイティブが尊重されているけれど、ネット業界ではまだまだ小さな得点を確実に掴もうとしているような感じがします。となると、未来が明るくはないのかもしれないです。
森川くんにはメディアの未来がどう見えていますか?
森川亮さんの2通目につづく。
日本テレビ放送網株式会社 編成局ゼネラルプロデューサー兼LIFE VIDEO株式会社 代表取締役ディレクター。1979年3月一橋大学社会学部卒。同年4月日本テレビ放送網株式会社入社。主にバラエティー番組の演出・プロデューサーを担当。『進め!電波少年』ではTプロデューサー・T部長として出演し話題に。その他の演出・プロデュース番組として『天才たけしの元気が出るテレビ』『雷波少年』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』など。また、「汐留イベント」プロデューサー、岡本太郎「明日の神話」プロジェクトプロデューサー、「間寛平アースマラソン」総合演出等を担当。2005年「第2日本テレビ」立ち上げ。2012年「LIFE VIDEO.jp」設立。Twitterアカウント:@TSUTIYA_ON_LINE
(取材:徳瑠里香、佐藤慶一、藤村能光[サイボウズ式]/文:佐藤慶一/写真:岩本良介)