今日、パート先の社員が失踪したと聞いた。印字された書置きを残して退社したらしい。書置きには「素晴らしい職場」やら「人々に感謝」やら「これからを応援」などと綴ってあった。職場の人々は誰一人としてその社員の辞意を知らなかったらしく、書置きのみの意思表示だったとか。50歳前の社会人、しかも勤続25年超でそんなことってあるのかと社会のイージーさに驚愕した。専業主婦を長くしている間に私はてっきり社会はもっとキッチリしたものだと思っていた。失踪社員を失ったあとも通常の業務は滞りなく過ぎて、代替社員はほどなくして補充される予定らしい。ちなみに代替をダイガエと読む人が多い気がする。言語は多数派に流れるものなので私もダイガエと読むほうが良いのかと迷っているが、「確信犯」ほどに新たな方が浸透している風ではないと思うのでまだしばらくはダイタイと読もうと思う。
失踪社員の話で今日は持ち切りだった。失踪社員は社内ではある程度の地位にいたはずで、ある程度の影響力をもっていたはずなのだが、彼のもとで働いていた人々が抱く印象は出鱈目だった。ある人はハンサムで朗らかと言い、またある人は徳光和夫似の神経質と言った。私は忘れっぽいナベアツ(3で馬鹿になるあのナベアツ)だと思っていた。
人ってほんと置き換えが効くし、人に与える印象も適当だ。もっと楽にいこう。ありがとう、失踪社員。
書置きの最後は「風の吹くままに身を任せ」と書いてあった。