気になる案件をはてな匿名ダイアリーで見つけたので言及してみる。
匿名ダイアリーを書いた25歳の男性は、今まで「純愛」をしたことがなく、成人女性にはない「清純さ」を小学生の少女に感じて惹かれているようです。
色々引っかかるところが多い文章だったので、私なりに考えてみました。
「純愛」ではない恋愛とは?
「純愛」をしたことがないと主張するということは、「純愛」ではない恋愛はしたことがあるように思われる。
ここで増田(25歳)の言う純愛とはそもそも何なのかよく分からない。
何となく付き合ったとか、妥協して付き合ったとか、それほど好きじゃないのに付き合ったとかだろうか。
体だけの関係もあったかもしれない。
これは恋愛体質の女性が「本当に好きな人とは付き合ったことがない」と主張するのに似ている気がする。
どこかに身を焦がすような恋や本物の愛があって、自分はそれを手にすることが出来ないと嘆いている状況。
そんな映画やドラマみたいな恋がそこらへんに溢れているわけがないことぐらい分かりそうものだけど、それでも願ってしまう、求めてしまう気持ちも分かる。
女に見初められることを待つ男
結局中高大と純愛を経験することなく、これからは年収や社会的地位が「男の魅力」と不可分なものになるステージに立ちつつある。
でも、自分がそういうゲスな異性に需要と供給がマッチするまでひたすら比較されることに耐え、あわよくば結婚するというルートに入ったのが悲しい。
増田(25歳)はベルトコンベアの上に商品のように乗せられ「ゲスな女性」に吟味して比較されながら選ばれるのを待っているだけだと嘆いていることが分かる。
自分からどこかにあるはずの「純愛」を見つけようと行動を起すことなく、ただ需要と供給がマッチする女性に選ばれるのを待っている状況は地獄でしかない。
清純さの象徴としての少女
彼女らは男を年収や勤務先で目利きしない代わりに容姿で男子を選び、恋愛をするだろう。
その容姿中心の選択や、打算的な性質は成人女性のそれと全く変わらないものだと昔誰かが言っていたのを思い出した。
ロリコンが感じる「清純さ」のようなものは幻想なのだ、と。
それでも。
それでも、成人女性にはない清らかさを感じてしまったのだ。
ここまで分かっていても、まだ少女に清純さを求めている。
そもそも清純さとは何なのか?
清らかな心か、美しい容姿か、処女であることか、屈託のない笑顔か。
清純さの象徴として少女を手に入れたいだけではないの?
少女をひとりの人間として見ていない、自分の欲望を満たしてくれる清純さの象徴としか見ていない、そこに人格はない。
生身の人間ではなく、お気に入りの可愛い人形と同じ感覚。
ありのままを愛して
増田(25歳)の根底には、年収や社会的地位で選ばれたくない、ありのままの自分を愛して欲しいということ。
大人の女性にありのままの自分を愛してもらえなかったからといって、それを少女に求めるのは無理な相談です。
私が勝手に出した結論
増田(25歳)の大好きな「清純さ」を少女たちから守りたいなら、今すぐ二次元に行くこと!
以上です!
- 作者: ヤコブビリング,Jacob Billing,中田和子
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