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1997年10月10日、一人の男性が宝飾店にやって来た。
彼は岡村勲(67歳)、職業は弁護士、日本弁護士連合会の副会長を努めたこともあるベテランだった。
岡村さんが妻・眞苗さんと出会ったのは、司法試験に合格した26歳の時、彼女はまだ大学生だった。
その後、2人は結婚。以来、弁護士として多忙な生活を送る岡村さんを眞苗さんは、ずっと陰で支え続けた。
そんな妻を労ろうと、数日前、食事に誘った。
その時、「あなたと結婚して良かったと思っているわ。あなたは?私と結婚して良かった?」と聞かれたが、照れくさくて返事が出来なかった。
その時のお礼になればと思い、結婚して初めて指輪をプレゼントしようと思い立ったのだ。
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ところが、その夜。
眞苗さんは自宅の玄関先で、何者かに殺害されていたのである!
事件から7日後、容疑者が逮捕された。
容疑者の北山(仮名)という男には、全く心当たりがなかった。
その男は6年前、ある証券会社に株での損失を返せと恐喝めいたことをしてきた人物だった。
支店長は、すぐに弁護士に相談、その相手が岡村さんだった。
証券会社に落ち度が無いことを確認すると、「毅然とした態度で拒否すべき」と忠告した。
その後、男は恐喝事件を2件起こし、逮捕された。
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だが、出所すると、岡村さんを逆恨みし、殺害を計画。
宅配便を装い襲撃した。
しかし、岡村さんは不在だったため、男の怒りの矛先は、あろうことか眞苗さんに向かった。
岡村さんは、故郷である高知県に埋葬する前に、眞苗さんの遺骨と共に、彼女にゆかりのある場所を巡った。
眞苗さんの育った家、通った学校、若かりし頃2人で行った公園。
3日に渡り、思いつく限りの場所を訪ねたものの、妻を失った絶望は消えなかった。
そんな岡村さんをかろうじて繋ぎ止めていたものは、これから行われる裁判の行方だった。
妻の最後はどのようなものだったのか、それだけはどうしても知りたいと思った。
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翌年、第一回公判が開かれた。
弁護士になって38年、被害者の遺族として傍聴席で裁判に臨むのは、もちろん初めてだった。
すると・・・法廷では省略された言葉が飛び交い、傍聴席から聞いているだけでは、理解不能だった。
さらに、公判の日程も一方的に決められてしまう。
その上、被害者遺族は発言できないため、妻を侮辱する言葉にも、黙って耐えるしかなかった。
当時、被害者遺族は全くの部外者扱いされてしまっていたのだ。
そして、判決の日。
検察側は死刑を求刑、岡村さんも、当然死刑を望んでいた。
しかし、判決は無期懲役。
納得のいかない判決だった。
岡村さんはかつての自分の姿を思い出した。
それまで岡村さんは、被告に求刑より軽い判決が下されたときは、弁護士としての満足感を感じていた。
そこに、悲惨な被害者いたことなど、考えもしなかったのだ。
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愛する妻を亡くした絶望、40年近く打ち込んできた弁護士という仕事に対する自責の念。
岡村さんは、大きな二つの十字架を背負うことになったのである。
そんなある日のこと、妻の友人から手紙が届いた。
そこには、生前のエピソードが書かれていた。
それは地域の集まりでの出来事だった。
眞苗さんは、自己紹介で「私の趣味は主人です」と言ったという。
妻の笑顔が胸に浮かんだ。
そして、岡村さんは、こんな辛い思いを誰にもさせてはいけないと決意した。
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事件から3年、岡村さんは70歳で犯罪被害者の会、通称「あすの会」を設立。
たくさんの犯罪被害者の前で自らの思いを発信。
あすの会の会員は日に日に増えていった。
そして、司法制度の改革を目指し、政治家や役人への働きかけをスタートさせた。
岡村さんが最初に訴えたのは、犯罪被害者の権利。
これまで、傍聴席で見守るしかなかった犯罪被害者が、法廷の柵の中に入り、裁判に参加できる制度を提案した。
しかし、専門家達から予想以上の反対意見がでた。
実は、今から23年前、最高裁で裁判の在り方をしめすある判決が下されていた。
その判決で、「裁判は国の秩序を守るためのものであって、被害者のためのものではない」と名言。
それ以来、法廷は検察と被告が争い、裁判官が判決を下す場であって、そこに被害者の居場所が無いというのが、司法の世界の常識となっていた。
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そこで岡村さんは、被害者が裁判に参加できる制度が確立されているドイツを訪問。
その実情を自分の目で確かめることにした。
そして、被害者が参加して裁判が失敗することはないという確信を得た。
新制度成立の確かな手応えを感じた岡村さんは、更なる行動に出た。
署名活動を始めたのだ。
犯罪被害者のための裁判の実現を専門家ではなく、直接国民に訴えた。
その地道な運動の輪は徐々に大きくなり、署名活動は全国に広がっていった。
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そして、1年半にわたる署名活動で、実に55万に及ぶ署名が集まったのだ。
それらを携え、岡村さん達が向かったのは、首相官邸。
小泉総理大臣(当時)の元に直接訪問し、犯罪被害者の現状を懸命に訴えた。
すると、小泉総理は犯罪被害者の権利回復に付いて取り組むことを約束、大きな一歩だった。
だが、専門家達からは尚も反対意見が相次いだ。
深夜に及ぶ会議資料の作成。
反対意見の多い会議へのストレス。
70歳であすの会を立ち上げ、岡村さんはすでに76歳、体力的には限界に達していた。
だが、立ち止まる訳にはいかなかった。
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岡村さんは、会議で自分の思いをぶつけた。
そして、1年にも及ぶ検討会は終わった。
これを元に、政治の方針となる計画案が作成される。
内閣府から基本計画案が送られてきた。
そこには、法廷への参加も被害者への保証も全て盛り込まれていた。
さらに、「裁判は被害者のためにもある」とはっきり書かれていた。
最高裁の判例を覆す言葉だった。
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そして、2007年6月20日。
いくつかの修正が加えた後、被害者が裁判に参加できる制度など、岡村さんの思いが盛り込まれた法案が圧倒的多数で可決された。
それは、日本の裁判の在り方が変わった瞬間。
眞苗さんの事件から実に10年が経過していた。
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最愛の妻を自分のせいで失うという絶望。
弁護士人生を否定せざるを得なかった苦しみ。
その大きな十字架を背負ってもなお、生き続け、走り続けてきた。
そんな岡村さんが大切に持っているものがあるという。
それは、あの日選んだ指輪。
そこには、最愛の人の名前が刻まれている。
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新たな制度が施行されて4年。
これまで、3,300人を超える犯罪被害者が裁判に参加。
その数は年々増加している。
そして、岡村さんは、故郷・高知県で眞苗さんの17回忌を執り行った。