『博多うどんはなぜ関門海峡を越えなかったのか』
サカキシンイチロウ(2015)
博多うどんの探求に執念を燃やす、ふにやんまです。
注)博多うどんがピンとこないかたは過去の拙稿をご参照ください。
本書が博多うどんファンにとって画期的なのは、
①「半径1時間30分のビジネスモデル」という副題から分かるように、単なる博多うどん好きの素人(私ですね)ではなく、飲食コンサルタントの手によるルポである。
②博多うどんに対して冷静な判断力を失っている、福岡在住のフリーク(私ですね)とは異なり、客観性・公平性が保たれている。
③地元でも謎の多い「牧のうどん」についてきっちり取材した初の本である(たぶん)
の3点です。2015年12月25日初刷の新しい本ですが、福岡都市部及びその近郊の、うどん好きなら必見の本だと言えるでしょう。
日本中の美味しいものが集まる東京。そこに何故、博多うどんだけが無いのか?筆者の疑問はそこから始まります。
讃岐うどんの店はたくさんあるのだけれど、博多うどんの店はありません。いやいや、博多うどんの店だって、何軒かありますよ・・・・、と教えてもらって行った店は、ことごとく、博多うどんを標榜こそしているものの、私が博多で感動したそれとは似ても似つかぬうどんばかりでした。
こんなふうに言う人が現れます。(中略)
「東京で評判を聞かないってことは、おいしくないってことだと思うんですよねえ」
ああ、悔しくて仕方がない。そんなことはないのです。博多うどんはおいしい。そうはっきり私は宣言します。
なめらかで、柔らかいのに決して伸びているわけじゃなく、汁を吸い込み、この上もなくおいしいうどん。一度経験すれば、絶対、博多うどんが好きになるはずです。
そして筆者はただ食べてきただけで、博多うどんが何者なのかをまるで知らない「いち博多うどんファン」から、食のコンサルタントとしてのプライドを賭けて脱却を図ります。そのルポが本書です。
出汁はとてもデリケートです。ひいた直後がもっともおいしくて、時間が経つと劣化します。
できれば一日、二、三回。それが無理というならせめて一日一回は出汁をひかないと(後略)
出汁を配送用のケースに入れて、車で運んで何時間まで耐えられるかという実験をしてみたところ、おどろくことに五時間ほどしか持たないことがわかりました。密閉式の器に入れても、車の振動でタプンタプンと出汁が揺れてしまい、出汁が空気と触れ合うことでどんどん酸化して、五時間ほどで風味が消え、酸味が出てきてしまうのです。
出汁!そんなに繊細だったなんて。知らなかったとはいえ謝りたい!良かった、子供の頃から出汁を飲み干す癖がついていて!
そして博多うどんの代表的チェーン「牧のうどん」の本店を、まず客として訪ねます。
茹であがったうどんはそのまま丼の中に取り分けられます。これが博多うどんの基本的な茹で方で、茹でたうどんは水で締めません。
讃岐うどんも最近はぶっかけだとか生醤油だとか、冷たい麺にタレをかけて食べるうどんが主流になりましたが、その理由は分かります。
讃岐強い歯ごたえは、水で締めてこそ際だつ食感ですが、水で締めたうどんは、強い歯ごたえを手に入れるいっぽうで、出汁となじまないほどの頑なさを手に入れます。
味にメリハリがあって、旨みが強く、麺にからみやすいタレは、作りやすく保存も効きます。日本中にこれでもかというほど多数の店を造った製麺所スタイルの讃岐うどんチェーンも、もしぶっかけうどんが主流でなければ、こんなに楽々と店を増やせなかったに違いありません。
なるほど。だから〇〇製麺のメニュー表の構成はああなっているんですね。かけうどんとか、いかにも「売れなくてもいいもんね」的な素っ気ない写真です。湯溜めうどんがおそらくギリなんでしょう。釜玉、ぶっかけ、生醤油が幅を利かせている訳がよく分かりました。
「牧のうどん」本店に戻ります。
時間が経つと出汁をグイグイ吸い込み、そして膨れて量が増え、食べたはずのうどんがまるでなくならないどころか、ぼやぼやしていると増えてしまうように感じるほどです。
博多の人たちは「牧のうどん」のことを「魔法のうどん」と呼んだりします。
「出汁を吸い込み、いつまでたっても減らない魔法のうどん」なのですね。
そして食べ歩きを経て、「牧のうどん」公式取材へ!
「牧のうどん」を調べれば調べるほど、秘密のベールに包まれた会社のように思えてきました。そもそも、ほとんどメディアに露出をしていません。博多の友人に聞いてみても、「そういえば『牧のうどん』ってテレビに出ることがまずないよ」
公式ウェブサイトがあるわけでもなく、ウィキペディアにもほんの簡単な説明しかされていないのです。
ホームページが無いのは知っていました。全店リストとなると、ファンが作った店舗マップが代わりを務めている状態です。
コンサルタントとしてだったら、私は、今の時代に自社のウェブサイトを持っていないのは、この世に存在していないのと同じだと言うでしょう。
それでもあれだけ繁盛しているのですから、地域の人に愛されているということなのでしょう。
そう、「牧のうどん」はネットで調べていくような店じゃないんですよ。どこに店があるのか、福岡都市部の人間だったら大体頭に入っている。暮らしの中に当たり前のものとして入り込んでいる。そんな存在なんですね。
一切の秘密なし!
「取材に来られる方ってたくさんいらっしゃるんんですか?」と訊ねると、「誰も見たいなんて言ってこないから、取材なんてほとんどないですよ」
写真撮影はかまいませんか?と聞くと「どんどん撮ってください」。しかも、「なんでも聞いてください」(後略)
うーん。福岡のマスコミは今まで何をしていたのだろう。「牧のうどん」の内部取材なんて見たことないぞ。店舗レポートばっかりで。
「牧のうどん」全18店舗分のうどんが、本店併設の麺工場で作られているそうです。
さて、うどん工場を見学した足で、私たちは出汁をひく現場も見せていただくことにしました。出汁工場は本店の中にあり、(後略)
「スープは牧のうどんの要である」
工場の壁にはそう書かれた大きな張り紙。
湯気をまとった網の中には、どっさり魚の節。その分量のすさまじいこと。今までいろんな出汁工場を見せてもらったことがありますが、これほど出汁の原料を大量に使っている現場は見たことがありません。
うどん屋はラーメン屋に比べて出汁で儲けやすいはずですが、こんな常識はずれの出汁もあるのです。まさに出汁が命の商売だと納得していたら、「続いて昆布が入ります」という声。大きな網に溢れんばかりの昆布が詰められ、それがザブンとさっきの鍋の中へと降りていきます。上質で分厚い昆布です。そしてその分量たるや!「牧のうどん」の出汁は、コストも手間も半端ではありません。
嬉しいじゃないですか!なんだか自分が褒められているような気になります。「牧のうどん」が出汁素材をふんだんに使っていることは、前々から想像がついていました。おにぎりを頼んだ時に付いてくる鰹節と昆布の佃煮が、出汁を引いたあとの二次利用だろうという推測が一つ。もう一つはレジの前に、ビニール袋に入れた昆布に「ご自由にお持ちください」と書いて、よく置いてあるんです。
ですが想像と、こうして裏付けられるのとでは全く違います。ちなみに投入された出汁昆布の写真が本書には付いていますが、その1枚だけでも一見の価値ありです。
秘密はないけど真似できぬ出汁
私はここに来るまで、「牧のうどん」の出汁や麺は、秘密めいた場所でベテランの職人たちが凄い形相で作っていると思っていました。工場にしてもここから先は立ち入り禁止であるとか、これは企業秘密だから撮影禁止ですよなど、いろいろな制限があるのだろうと覚悟をしていました。なぜなら、最近のラーメン屋であれば、絶対にそうするだろうからです。
味の違いは、気風の良さとおいしいものを作ってやろうと思う情熱に基づき、コストを正しくかけることで生まれるのです。「うちみたいに、昆布や節を大量に使ってとこって、まず、ないんじゃないですかねぇ」と、「牧のうどん」の常務は笑いながら言い放ちます。
ここでびっくりしたのが麺の量です。なんと一人前が五〇〇g。麺をたくさん食べさせることで人気を博したつけ麺店でも三〇〇gから一人前をスタートさせることを考えると、かなりのボリュームだということがわかります。博多っ子が言う「食べても食べてもなくならない魔法のうどん」は、出汁を吸って膨れるだけではなく、そもそも量が多かったのです。
いいぞ「牧のうどん」!その飾らないところ、豪快なところが好きだ!コストをふんだんにかけた熱々の出汁が、やかんに入って追加し放題なところも好きだ!
そしていよいよ「牧のうどん」の核心、出店政策に踏み込んでいきます。
半径1時間30分のというビジネスモデル
「うちのうどん、うちの出汁、どちらも品質を劣化させずに運べる距離は一時間半です。もし、製造段階で工夫をすれば、もっと長い配送時間を手に入れることができるかもしれませんが、本店の裏に工場があり、その本店の開店時間プラス配送時間ということを考えるなら、一時間半で行ける範囲内でしか出店をしないと思います」
「牧のうどん」は、食材の品質を劣化させずに運べる時間を1時間半と規定しました。
繊細な出汁とうどんの扱いに、ストイックなまでにこだわる「牧のうどん」カッコいいぞ!
本店だけが他の店舗より1時間早く開店して、なんと各店長は自分の店の出汁を毎日取りに来るシステムなんですね。
「ブレを共有する」
毎回、出汁がひけたら、各店の店長が集まって味見をしているのだそうです。
取りに来たついでに、この本店で味を見ます。他店の店長も交え、みんなで味を確かめながら、今日のうどんはこういうふうに注意して作りましょうと確認をして、各自が自分の店に向かうのです。
なるほど。セントラルキッチンとか工場一括生産とか言えば言えないことはないけれど、ものすごく人間くさい。そこがいいぞ「牧のうどん」。そういう仕組みだったのか!覚えたよ!
で、何故関門海峡を越えて、東京に本格的な博多うどんの店が無いのかという話に戻るべきなのですが、なにぶん出たばかりの本です。そこを詳しく書いてしまうとネタバレもいいところですよね、ただし抜粋がこれだけ長くなっても、まだまだ読み応えのある本ですからご安心を。何しろ飲食コンサルタントですから、計数が扱えないと商売になりません。目次から、コンサルタントらしい見出しを抜き出してみます。
第二章 こんなに違う、うどんとラーメンの儲け方
ーラーメン屋はどこで儲けるのか
ーうどん屋さんは儲かるんです
第三章 「牧のうどん」本店の謎
ーメニューブックは一冊四万円なり
ーメニューブックが犠牲にしたもの
第六章 東京で博多うどんビジネスは成功するか?
ー「因幡うどん」と「牧のうどん」を合体させたら?
ー甲州街道だったらどうだろう
ー100席の店をつくる
ー資金はいくら必要か?
ー集客ノルマは?
ー東京では博多うどんが一杯〇〇〇〇(自主規制による伏字)円を超える
そう、本書は飲食業界に興味のあるかたなら、麺類の外食ビジネスモデルの解説本としても読めるんです。面白そうでしょう?
しかも博多うどんファンの皆さま、訪問したのは公式取材先の「牧のうどん」だけではありません。「うどん平(たいら)」「因幡(いなば)うどん」「みやけうどん」「うどんウエスト」「かろのうろん」と、博多うどん主力級の店舗が次々と出てきます。北九州の雄「資さんうどん」までカバーしているんですよ!ここは要チェックでしょう。
博多うどん好きとしては、本書を見逃したらそれこそ「コシ抜け」ということでひとつ。
以上 ふにやんま