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元経済企画庁長官の宮崎勇氏死去1月8日 20時14分
池田勇人内閣の下で「国民所得倍増計画」の策定に携わるなど、戦後日本の経済政策の立案に尽力した、元経済企画庁長官の宮崎勇氏が心不全のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。
宮崎氏は、昭和22年に現在の内閣府にあたる経済安定本部に入り、その後、旧経済企画庁の事務次官などを歴任しました。この間、池田内閣が昭和35年に決定した「国民所得倍増計画」の策定に携わるなど、戦後日本の経済政策の立案に尽力したり、経済白書の執筆を担当し、物価の上昇や公害の深刻化など高度成長で生じた問題解決を提言したりしました。
退官後はエコノミストとして活躍し、昭和61年に中曽根内閣のもとで日本の経済政策の在り方を提言した、いわゆる「前川リポート」の起草にも携わりました。そして、平成7年に、村山改造内閣で当時の経済企画庁の長官に就任し、バブル崩壊の影響が残るなか、14兆円を超える経済対策の取りまとめに当たるなど、日本経済の立て直しにも尽力しました。
宮崎氏は、今月3日、心不全のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。
退官後はエコノミストとして活躍し、昭和61年に中曽根内閣のもとで日本の経済政策の在り方を提言した、いわゆる「前川リポート」の起草にも携わりました。そして、平成7年に、村山改造内閣で当時の経済企画庁の長官に就任し、バブル崩壊の影響が残るなか、14兆円を超える経済対策の取りまとめに当たるなど、日本経済の立て直しにも尽力しました。
宮崎氏は、今月3日、心不全のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。