日本ではほとんど報じられない海外クリスチャン事情

キリスト教や聖書について、日本ではあまり論じられない視点から解析していきたいと思います。

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「犯行は組織されていた」
ドイツ・ケルンで大晦日に発生した、中東・北アフリカ移民の群集によるものと見られる「集団強盗・痴漢(および強姦)」事件は、同様の犯罪がドイツの都市集箇所のほか、オーストリア、スイス、フィンランド、スウェーデンなどでも報告され、もはや組織された「同時多発攻撃」と言っても過言ではないほど幅広い範囲で発生していたことがあきらかになりました。

ケルンで報告された犯罪被害の報告は500件を越え、40%が性的攻撃だったとのこと。


ソーシャルメディア上の痕跡により、わざわざ互いに示し合わせてこの時、この場所を目指してやってきた暴漢たちもいた可能性も示唆されていることから、攻撃はかなりの程度組織的に行われた公算が高いといわれています。


同じドイツのビーレフェルトにあるエレファント・クラブというナイトクラブには、500人ほどの暴徒が押し寄せ、警備員を押しのけ、居合わせた女性客に性的攻撃を働いたと報じられています。


事件の全容が明らかになるまでまだまだ時間がかかりそうです。それと同時に、事件への復讐とみられる移民への暴行事件も散発的に発生しています。

日本のメディアを通じた報道は概して手薄な印象でしたが、ようやく情報が流れ始めたようです。

どなたによるものかはわかりませんが、ウィキペディアに非常によくまとまった事件の概要が掲載されています。


また、川口マーン恵美さんという方が、1月8日という非常に早い段階で、現代ビジネスというニュースサイトを通じ、事件詳細を報じておられます。


筆者は、この事件が日本でも広く認知され、今何が欧州で起こっているかということについて、現実的な認識に基づいた議論がなされることを願ってやみません。

「腕一本分の距離で被害を防ぐ」
今回の事件により、メルケル政策の失敗、低賃金労働力を当て込んだ経済界の思惑等さまざまな要因が取りざたされるでしょうが、筆者が最も注目しているのは、移民受入派の政治家たちの奇妙きわまりない言動です。

特に、事件直後から、ケルン市長の「ポリティカリーコレクト」な言動が議論を呼んでいます。

この市長は、反移民主義者によって刃物で襲われ重傷を負ってもなお屈しなかったほどの筋金入りの移民推進論者だそうですが、事件後はすばやく、大晦日未明の暴力事件とムスリム移民との結びつきを否認しました。


また、「女性たちがよく準備して、これらの犯罪に遭わないようにしなければならない」、とし「見知らぬ人からは腕一本分の距離を空けること」、といった事項を含むガイドラインを発表する、としました。



この市長の、自国の女性に何があってもムスリム移民を庇うその不動の覚悟と気概は、もしかすると一目置かれるべきかも知れません。このような市長のもとであれば、移民たちは何があっても安心して暮らせるでしょう。実に慈悲に満ちた寛大な政治家です。

しかし、形容し難い暴力の犠牲となってしまった女性や少女たちの「自己責任」に問題をすり替えているとも言えます。

この件については、欧州のどの国の警察当局も口を揃えて「まったく前例がない」としているのです。ましてや、女性たちは、まさかこんなことが自国で起ころうとは予想だにしなかったでしょう。

想像もしたことのないような恐ろしい被害に遭った彼女たちは、一体誰に助けを求めればよいのでしょうか?

「TAHARRUSH GAMEA」とは?
この件について、「taharrush gamea」というアラビア語が浮上しています。ドイツの警察高官によれば、「集合的セクハラ」といったニュアンスらしいのですが、エジプトで昨今問題となっており、デモなどの大きなイベントがあるたびに女性が男の群集に取り囲まれ性的攻撃を受ける。これを、最近のアラブ世界ではこのように呼び習わしているそうです。


まさしく、エジプトのタハリール広場で発生した身の毛もよだつ集団暴行事件が欧州に上陸したことになります。

2011年、ムバラク大統領失脚を祝う群衆をこの広場で取材していた際、筆舌に尽くし難い残忍な集団暴行を受けたララ・ローガンさんは、後にテレビで自らの体験を勇気をもって語りました。筆者はとても翻訳する気になりません。英語のわかる方はご覧になって下さい。これがどれほど恐ろしいものなのか、体験した人にしか語れないものがあると思います。


下記の動画は、おなじタハリール広場で発生した、同様の手口による「taharrush gamea」の断片的映像です。ケルンでの状況がいかなるものであったかが伺い知れます。


人身御供の復活か
創世記の19章および士師記の19章には、殺気立った群集に取り囲まれ進退窮まった人物が、女性を差し出すことによってどうにかしようとするシーンが出てきます。

前者では群集がそれを拒絶したあと、ロト一家は御使いに助けられます。しかし、後者では、群集の前に押し出された女性は凄まじい集団暴行を受け息絶えます。

こういった聖書箇所を見て、ある人たちは「酷い。この物語を作った人々は、女性に対する性暴力を容認する感覚の持ち主だったのだ」などと言って、聖書のメッセージを曲解し、キリスト教信仰への攻撃のタネにしています。

もっとも、こういった行為を神が是認したなどという証拠はどこにもないのに、おかしな論理ではあります。

しかし、よく考えてみて下さい。

リベラル・キリスト教界が「こんな野蛮な物語を考え付くなどけしからん」などと見当違いな怒りを爆発させて聖書を攻撃している間、それと同じような行為が、イスラム世界では綿々と受け継がれ、現代に至っているのです。

ユダヤ・キリスト教価値観の上に建てられた西洋は、長い長い年月をかけて男尊女卑を克服してきた社会といえます。先人たちがどうにかこうにか2千年かけて努力した結果(フェミニストから見れば不十分なのでしょうが)女性は男性と同じ価値を持ち、大事に扱われるのが当然、ましてや体をじろじろ見たり、性的嫌がらせをするのは極めて恥ずべきこと、という認識が広く受け入れられています。

しかしムスリム移民の流入で西洋は一挙に旧約聖書の時代にまで逆戻りしてしまうのでしょうか?

欧州の「ポリティカリーコレクト」な政治家たちは、これから一体どう行動するのでしょうか?

断固たる姿勢で正しい裁きをするのでしょうか?それとも「難民歓迎」という美名のもと、あるいは、「イスラモフォビア」「レイシスト」といったスローガンを聞いた瞬間金縛りにあってしまい、犯罪者には目をつぶり、被害者に責を負わせるのでしょうか?

もしそうならば、言ってみれば、彼らは、猛り狂う群集に女性を人身御供として差し出すという「前時代的で野蛮」な風習を復活させているのと同じです。

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