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日本に巣食う「学歴病」の正体

他人をこきおろす“高学歴な負け組”たちの
底知れぬ心の病み

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第1回】 2016年1月12日
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 著者の岩田龍子氏は、この本を著した1977年当時、武蔵大学教授だった。終身雇用や年功序列など日本的経営の課題について、文化論の側面からアプローチすることで注目を浴びていた。日本的経営の研究者として名高い小池和男氏(当時、法政大教授)などにも論争を挑む、気鋭の学者だった。

 岩田氏は、学歴云々を論じる前に、日本社会の能力観には2つのニュアンスが含まれていると言及する。「(1)能力は、ある漠然とした、一般的な性格のものとして受け止められることが多いこと、(2)能力は、訓練や経験によってさらに開発されるべき、ある潜在的な力であり、したがって、ただちに実用に役立つ力、つまり“実力”とは考えられていないこと」(150~151ページから抜粋)である。

 一方で氏は、米国の能力観を「訓練と経験によって現実に到達しえた能力のレベル」(149ページから抜粋)と捉えている。そしてこれらの能力観から、米国では日本の競争とは違った意味合いを持つ競争になると説く。「米国社会では、人びとは、いわば局部的にしか競争にまき込まれていない」「競争における個々の勝敗は、人生における長い一連の“戦い”の局面にすぎない」(149~150ページから抜粋)

 さらに日本の能力観に基づくと、人々が次のような意識を持つことになりがちだと説く。

 「“できる人”は潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されており、彼がその気になりさえすれば、いかなる領域においてもすぐれた力を発揮するのであり、逆に、“駄目な奴”は乏しい潜在的な能力しかもちあわせていないために、何をやらせてもうまくゆかないのである」(151ページより抜粋)

高学歴者が“潜在的な能力”を持つと
“想定”する日本企業の能力観

日本企業の能力観は「高学歴者は“潜在的な能力”を持つと“想定”される」というもの

 岩田氏はこう論を進める。

 「わが国では、一流大学の卒業生達は、その“就職戦線”において、他の卒業生よりはかなり有利な立場に立っている。このことは、彼らが、“実力”において他に抜きんでているからではない。むしろ、これは、彼らがよりすぐれた“潜在的な能力”をもっていると“想定”されるからであり、入社後の長期にわたる訓練の結果、次第にその“能力”を発揮すると期待されているからである」(151ページより抜粋)

 岩田氏の指摘を踏まえると、前述した4人の超高学歴な人たちは、それぞれが経験した20~30年前の大学受験という競争では、“勝利者”だったと言える。そして、就職戦線では“潜在的な能力”を持っていると“想定”された。ところが会社に入り、一定の月日が過ぎると、その想定は誤りだった可能性がある。4人とも、実績を残すことなく、明確な理由もなく、数年で転職を繰り返した。30歳前で、その数は3~4つになった。その転職の流れやキャリアに一貫したものがない。こうなると、通常はキャリアダウンであり、労働市場においての価値は著しく下がって行く。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


日本に巣食う「学歴病」の正体

 今の日本には、「学歴」を基に個人を評価することが「時代遅れ」という風潮がある。しかし、表には出にくくなっても、他者の学歴に対する興味や差別意識、自分の学歴に対する優越感、劣等感などは、今も昔も変わらずに人々の中に根付いている。

たとえば日本企業の中には、採用において人事が学生に学歴を聞かない、社員の配属、人事評価、昇格、あるいは左遷や降格に際しては仕事における個人の能力や成果のみを参考にする、という考え方が広まっている。しかし実際には、学歴によって選別しているとしか思えない不当な人事はまだまだ多く、学閥のようなコミュニティもいまだに根強く存在する。学歴が表向きに語られなくなったことで、「何を基準に人を判断すればいいのか」「自分は何を基準に判断されているのか」がわかりずらくなり、戸惑いも生まれている。こうした状況は、時として、人間関係における閉塞感やトラブルを招くこともある。

 これまでの取材で筆者は、学歴に関する実に多くのビジネスパーソンの悲喜こもごもを見て来た。学歴に翻弄される彼らの姿は、まるで「学歴病」に憑りつかれているようだった。学歴は「古くて新しい問題」なのだ。本連載では、そうした「学歴病」の正体を検証しながら、これからの時代に我々が意識すべき価値基準の在り方を考える。

「日本に巣食う「学歴病」の正体」

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