今年も各地で荒れたという成人式。
僕には「荒れてほしい」と思っている人が多くいるように思えます。
つまらない生活の暇つぶしになる話のネタにできてよかったね。
それにしても乱暴な行動で式典の邪魔をするのはよくないですね。
なぜそんなことをしてしまうのか。
個性を尊重しない社会で、自己表現の仕方がわからず育った子供たちの自我を認めてほしいという不器用な主張なのでしょうか。
社会との希薄な関係性もその原因にあるような気がします。
寿命も延びているし幼少期が長くなっているとしてもおかしくはないような。
そもそも大人が大人だって自覚がないのでは?
僕も社会的にはすっかり大人ですが彼らに何と言って諭すべきか聞かれると困ってしまうかもしれません。
立派な大人として手本となる人はどのくらいいるんでしょうか。
終戦を間近にした昭和20年5月、アメリカ軍の空襲をうけ、数え切れない家屋が焼け、大きな被害と多くの死者を出した。そういう中で、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の蕨町青年団長、「高橋庄次郎」が主唱者となり「青年祭」を企画した。
成人式(成年式)はもともと上記のような理由があって始まったそうです。
戦時中という状況下で若者たちに希望を持たせるためという高い志があったのです。
いいえ大人たちにとっては若者の存在自体が希望だったのでしょう。
現在は大人側に希望がなく明るい未来を示せないから、若者が未来志向のない衝動的な行いに走ってしまうのかもしれません。
若者はもっと上の世代の鏡なのです。
ではこれから良い成人式にするにはどうしたらいいでしょうか。
僕はもっと規模を小さくして地元密着型で地域を挙げて作り上げる式典にすると良い気がします。
親も制作に参加した手作りで気持ちのこもった式ならば暴れてダメにしようなんて思わないだろうし、感謝の気持ちすら湧いてくるでしょう。
時には厳しいこともある社会へ船出する若者に向けての大人からの贈り物としての成人式にしてはどうでしょうか。
イメージは卒業式かな。
少年期からの卒業。
それを自覚させるような式にしたらいいと思います。
新成人の皆さん
自分のこともままならない僕だけど
皆さんが明るく幸せに生きていけるように願っています。
おめでとう!