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心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

自死遺族としての思いや日常のことなど徒然なるままに

ベッキーの件を意識してしまってDAIGOと北川景子の結婚が素直に喜べなくて悲しい

カルチャー
いわゆるチラ裏。






昨日TVでDAIGOと北川景子の結婚会見を観た。本当に仲の良い二人だなぁと思った。特に北川景子の得意料理のくだりなんかはとびきり微笑ましかった。二人が幸せになればいいのになと思った。

でもその一方で、私はベッキーの件が忘れられなかった。ベッキーがこの二人の会見を観てたらどう思うのかなって、ベッキーは今どんな心境にあるのかなって思った。別にDAIGOと北川景子は何も悪くないのに、なんだかベッキーがただの引き立て役の様に感じられてしまった。タイミングがタイミングだし、マスコミを責めたって何の意味もないけど、どうしてもベッキーが頭から離れなかった。


世の中にはよくあることだ。誰かの不幸により誰かの幸福が引き立つことが。誰かの悪により正義が際立つようなそんな感じのことはたくさんある。そんなのだれが図ったわけでもないのだが、世の中にはまさにどうしようもなくどうしようもないことが溢れている。

別にベッキーがかわいそうとか、ベッキーは悪くないなんて思ってない。思ってないけども、私という人間はどちらかというと北川景子的な立場よりベッキー的な立場の人間が気になってしまうのだ。しかしベッキー的な立場の人たちの何よりも堪え難いのは、その様な、北川景子的な人間にも裏には何かあると抉り出そうとしたり、無理矢理に石を投げつけたり、その様なことをベッキー的な立場だから無条件に許されると思っている慢心にあると言える。

とかくベッキー的な立場の人たちは北川景子的な立場の人たちを真正面から受け止めることが怖いのだ。ベッキーがそう思っているのかどうかなんて私には確かめようがないが、ただただ世の中にたくさんいるベッキーが、北川景子を観ながら何を思うか考えてしまったからなんだかどうとも言えない気持ちになって、幸せというのは絶対評価であればいいのにそう思っているほど相対評価になってしまうという諸行無常を感じた。