「平昌が『幽霊の地(ghost venue)』になってはならない」
1994年のリレハンメル冬季五輪で組織委員長を務めたノルウェーの国際オリンピック委員会(IOC)委員、ゲルハルト・ハイバーグ氏は最近、平昌冬季五輪の競技施設の大会後の活用について言及する中で、冒頭のように述べた。大会が終わった後、国家レベルの厄介物と化すことのないよう、競技施設を活用してこそ、「黒字五輪」が実現するというのだ。
過去の冬季五輪で、競技施設が大きな負担となって残ったケースには、「赤字五輪」として批判の的になった1998年の長野五輪がある。地方自治体が競技施設の建設などのために12兆ウォン(約1兆2050億円)もの地方債を発行したが、五輪終了後の競技施設の収益が予想を大きく下回り、借金地獄となっている。長野は五輪から19年がたつ2017年、ようやく借金の返済を終えられる見通しだ。
一方、模範的なケースとしては、2002年のソルトレイクシティ五輪が挙げられる。米国ユタ州にあるソルトレイクシティは「ユタ・オリンピック遺産財団」を設立し、大会後の競技施設の活用方策について体系的な計画を樹立し、実践した。例えば、スキーのジャンプ台の下には大きなプールを設置し、夏にはウォータースライダーのようにジャンプ台を滑り降りてプールに飛び込めるようにした。また、ボブスレー競技場は財団の収益事業として位置付け、誰でも75ドル(約8900円)を支払えば五輪の舞台を体験することができる。
このような努力により、人口19万人ほどのソルトレイクシティは「スポーツ・レジャー観光都市」として生まれ変わった。一方、リレハンメル五輪では、報道センターなどの施設を仮設の建物とし、建設にかかる予算を節約して、4000億ウォン(現在のレートで約400億円)もの黒字を実現した。
五輪後の競技施設の活用は、大会前から長期的なビジョンを持ち、実行してこそ成功するものだ。2006年のトリノ五輪では、大会の6年前から競技施設の活用方法について苦悩した。開・閉会式場となった「スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ」は、既存のサッカー場を改造して利用した後、現在はプロサッカーチームのトリノFCがホームスタジアムとして使用している。アイスリンクは五輪の翌年、競技施設を撤去し、コンサートや展示会などのための施設として改造して、200万人の観光客を集めるようになった。
乙支大学スポーツ・アウトドア学科のハン・スンジン教授は「韓国は2002年のサッカー・ワールドカップの際にも多くの競技場を建設し、それを十分に活用できなかった前例がある。今からでも五輪の競技施設を活用するための方策を模索していくべきだ」と指摘した。