読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ゲス乙女とベッキーが結婚5年目の僕に突き付けた厳しい現実

 「ゲスの極み乙女。」の休日課長じゃない方の男の人とベッキーさんの不倫のおかげで清廉潔白な既婚者である僕までもが大変迷惑している。金で解決出来る問題ではないが、背に腹は代えられぬ、少額でいい、慰謝料を頂戴したい。


 不倫がこれほど話題になるのは石田純一の「不倫は文化」を例外とすれば、「金曜日の妻たちへ」以来ではないだろうか。僕が他人の不倫に寛容でいられるのは、金妻により不倫イコール純愛と刷り込まれているからだ。金妻を若者は知らない。国民のほとんども忘れてしまった。しかし、金妻が大人の愛としてもてはやされた時代は確かにあった。平成生まれの同僚に「金妻」といえば「金スマ」「金爆」に誤変換され、ダイアル回して手を止めた?何それ。狂ったんですか?と嘲笑される…そんな不倫に対してシビアな2016年に舞い降りたのが、冒頭の不倫問題。


 不貞行為が重罪とされていた歴史もあるが、不倫が非難されるのはパートナーに対する裏切り行為だからだ。しかし、人はマシンではないので、勃起が制御出来ないように、時に気持ちが制御不能になってしまうこともある。また、親や上司が選べないように、完璧に思い通りにいく人生なんてない。越えてはいけない一線がわかっていても越えてしまう、どうしようもなさややりきれなさと折り合いをつけていくのも人生の一部なのだ。

 

 その一線は人それぞれ。「人を殺してはならぬ」という一線を越えてしまえば殺人鬼になるし、既婚者と一線を越えてしまえば不倫。自販機に残っている一円玉をネコババするかどうかも一線だ。殺人も不倫もネコババも同じベクトル上にあって個人の常識や倫理観で位置付けがなされているにすぎない。不倫がアウトなのは一般的倫理観からの位置付けにすぎない。もしかしたら一円玉ネコババの方を殺人よりも越えてはいけない一線と考えている人間だっているかもしれない。ちなみに清廉潔白な僕は一円玉でも交番に持って行くようにしている。対応する警官が一瞬めんどくさそーな顔をするのは何故なのだろう。正しいことをしているのに。

 

 冒頭の芸能人不倫問題についていえば、芸能界のようなヤクザな世界で生きている人間に、まともな倫理観や価値観を求める方が間違っている。まともでない芸能人を、まともな世界に対する広告塔にするために、スポンサーは巨額なマネーと分厚い契約書で芸能人を縛り付けているのが何よりの証拠だ。「ゲスの極み乙女。」の休日課長ではない方の男性とベッキーさんは感情的に行動して周りに迷惑をかけ、損害を与えた。それは非難されるべきだ。特に「ゲスの極み乙女。」の休日課長でない方の男性が駆使したであろう離婚をちらつかせるというゲスゲス手段にハマってしまったベッキーさんにとっては痛恨の極みだろう。その部分については同情を禁じ得ない。南無阿弥陀仏。


 直接的な被害を被ったわけでもない外野から彼らに投げつけられる非難をざっくりまとめれば「感情に走ってアニマルかお前たちは!」となるだろう。だが、その非難自体も感情的な行動であり、その意味では非難対象と変わらず、むしろ安全地帯にいる分タチが悪いように僕には思える。僕はそういう非難はしたくない。

 

 しかし、あえて僕は彼らを非難する。僕が非難するのは、彼らの行為に対してではなく、彼らがピースフルなお茶の間に「不倫」の二文字を持ち込んだことに対してだ。テレビも雑誌も不倫不倫不倫不倫不倫不倫不倫不倫不倫、まるで不倫のパレードだ。おかげで日本の夫婦間の会話は不倫がテーマのものにならざるをえず、僕らもそこから逃れられなかった。そういうムードをつくった彼らの罪は重い。

 

 「不倫とかないよね」と呟く妻に対し、「僕が不倫してたらどうする?」と僕が返しても、彼女は取り合おうともしない。「経済力も甲斐性も男性機能もないのに不倫など出来るわけがない」といって高をくくっている。その言葉に慈しみはなかった。同情もなかった。愛情も感ぜられなかった。「不倫してるよ」「無理」「不倫してるってば」「出来るわけない」

 

 悲しかった。悲しみのあまり、不毛なやり取りのあと、湯船につかり涙を流しながらながら、私は立ったことがない、飾りじゃないのよアソコはハハーン、病気だと言ってるじゃないのホホーッ、真珠も付けられないのよハハーンと中森明菜を歌ってしまう。不倫していると言っても信じてもらえない。あなたの言うことは信じない。それは、つまり、それほど愛していない、そう、言っているのと同じではないか。きっつー。そんな悲しい事実を突きつけたゲス乙女の休日課長ではない方の男性とベッキーを僕は、絶対、許さない。

 

(この文章は、ゲスな悲しみに衝き動かされて22分間でかかれた)