こんにちは、最近は目標を達成するのに、何をやれば良いのか迷いがなくなった自由人ヒビちゃんです。
成功の秘訣って、多くの人が言うように「行動すること」なのは間違いないと思う。
でも、多くの人にとって壁になっているのは・・・、
最初にどう行動すれば良いのか?
これではないだろうか? 実は「行動できない障壁」って煎じ詰めるとね、たったひとつの事を行なえば、ぶっ壊せるんだ。
知りたい方だけ、この先を読み進めてな。
ピラミッドは凄い!でも、最初は岩の破片を積んだだけ
まず、行動の出来ない人は何事も事が進まない。特にビジネスの場合なら、いつまでたっても自分が望む成果は手に入らない。
自分が行動できなかったら、いくらノウハウを集めても、いくらたくさんのビジネス書を読んでも、いくら素晴らしいアイディアを出しても何の役にも立たない。
ちょっと、エジプトにある「ピラミッド」を想像してみて欲しい。
んん?なんでピラミッドなの??
たとえ話として、分かりやすいので使わせてもらうね。^^
エジプトにそびえるあのピラミッドだって、巨大な石を積み上げて作られている。その作業は並大抵ではなかったはずだ。
例えばクフ王の第1ピラミッドなどは、完成までに22~23年の年月がかかっていると言われている。
石を積む作業は、ピラミッドの横に傾斜のついた坂を築き、石を引いてあげたらしい。上に行くほどに傾斜を高くしていったのだ。
このピラミッドを、あなたが欲しい目標や成果に重ねてみてみればわかりやすい。
このピラミッドを作る第一歩は、ピラミッドそのものではなく、石灰岩を切り出した破片をまず配置すること。
つまり、最初って岩の破片を積んだだけ。
最初の第一歩の行動が分かれば行動は出来る。ピラミッドなら石灰岩を切り出してきて、ピラミッドを作る場所に積み重ねていくだけだ。
ここで、面白いことにピラミッドの場合ってさ、いきなりピラミッドそのものを作ろうなんていうバカなことを考えない。
なのに、ビジネスの場合になると、案外直接「目標」をスグにでも達成させようと考える人が多いんだ。
ビジネスの場合も、ピラミッドと同じようにその目標を達成するために、まず最初に行なうべき具体的な事を実行するだけだ。
あとはそれをコツコツ積み上げて目標を達成させていくだけ。
行動を起こせる人は、最初何をするか具体的で明確!
実際、30万円の収入を実現させるアイディア自体ならば、誰にでも考えることは出来るだろう。素晴らしいアイディアの一つや二つは誰もが持っているもの。
でも、それを実際に月収30万円を手に入れるアイディアを具体的な実践レベルにまで落とす人はほんの一握り。
ほとんどの人は、稼ぐための良いアイディアを持ちつつも、実際に行動できない。
自分自身で考え出したアイディアってのは、通常押し付けられた仕事よりも進んでやりたがるものだよね?
でも、なぜほとんどの人はアイディアを頭の中に浮かべておくだけで実行しないのかな??
実行するタイプの人から見れば、さっぱり意味が分からない。
なんで、それをやらんの?
と思ってしまう。気概が足りないんちゃうか?熱意がないんちゃうか?
ちがう、ちがう。いくらやる気があって熱さのある人であっても、そのアイディアが具体的じゃないとダメ!
実際に行動が出来ないアイディアのほとんどは、抽象的なアイディアなのだ。
さっきの月収30万円手に入れたいアイディアで、「顧客の心をつかんで離さない文章のブログを書く」とか。
「お金が欲しい人が記入する人気キーワードを配置する」とかって言われても・・・。
んじゃ、それって
実際にどういう作業をするのさ?
いくらそれが正しくても、王道な考え方であっても、実行出来なかったらさ・・・
それって、ただの妄想じゃん!
抽象的なアイディアでは実行しにくい。それはいくらやる気があっても、失敗を恐れないメンタルがあってもダメなんだ。
だったら、「自分がいっつもしゃべっている会話形式で、もろ本音の文章でブログを書く」とか。
「キーワードプランナーで、競合が低めで平均月間検索ボリュームが2000以上のキーワードを配置する」と、このように具体的に決めれば行動できるんじゃないかな?
人が行動を起こすのは、求められる行動がめっちゃ明確な時なのだそうだ。
つまり、抽象的なアイディアは一体どんな行動を取っていいのか分からないので、行動できないというわけだね。
別に気合いが足りないわけじゃなく、本当は次にどんな行動を取ればいいのか分からないから、迷っているだけなんだ。
そのうち単純に「何をすればいいのかなぁー??」なんて迷っているうちに、やる気エネルギーまで消耗してしまうわ。
「具体的に決めて、動く!」
あなたも何かを達成したいのならば、その目標達成につながる最初の作業を具体的に決めておくことだ。
行動できるアイディアと行動できないアイディアの違いって、最初の行動が、具体的で明確であるかどうかなのだ。