三連休。
地方のデパートのトイレに立ち寄ったら有線でボウイの「スペース・オディッティ」が流れていて、高齢者中心の地方デパートでこのボウイの哀しい歌も理解されないまま、ただのBGMとして消化されているだろう、と思っていたらその数日後ボウイが亡くなった。
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騒いでるのはおっさんとおばさんばかりだ
たぶん若い人たちにとっては、誰?って感じなんだろうね
ボウイがどれほどパイオニアで、(例えばゴールデンボンバーなんてボウイなしにはありえなかっただろう)
今の音楽文化やある種の美意識に、巨大な影響を及ぼしていようと、
やっぱり人は忘れられていくんだなぁ
増田の書いていることは確かにその通りで、当然のこと。
そして、そういうリアルタイムに感じられるひとの訃報が流れる。
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たとえばTMGEのギタリスト アベフトシの訃報は個人的にとても衝撃的だったが、今誰かに話しても多分伝わらない。
同世代、同時代、同じようにTMGEをリアルタイムに聴いていた人になら通じるかもしれないけれども。
忌野清志郎が死に、nujabesが死に、先日は国本武春も死んだ。
そういう訃報が印象深い相手には、個人的に何かしら思い入れがある。
好きな曲があったり、ライブに赴いた経験があったり、そのステージを見たことがあったり。
美空ひばりや高倉健の訃報より、デヴィッドボウイの訃報に対して強く印象を感じるのも当然。
ファッション関係に興味があればクレージュの死が、クラッシック好きならブーレーズの死が、ボクシングファンなら金子繁治の死が、辛いことだろう。つまるところ、自分が強く興味を持つ世界の大物が死ぬと「喪失」するのだ。大勝軒の山岸さんは、その典型的なケースだったのではないだろうか。
— 金井義衛(髪結新三改メ) (@Kanai_Yoshie) 2016, 1月 11
いつかたけしやさんまやタモリの訃報にあうかもしれない。
馴染みのある、知っているひとが次々死ぬ。いつか死ぬ。
生きている人はいつか必ず死ぬ。
どれだけ素晴らしくても、どれだけみじめでも。
その当たり前を見せつけられる感覚。
感情を移入している移入したことのある、親しみを感じる有名人の死に対して、己の死の影を写して見るのかもしれない。
RIP
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