今年も成人式で暴れる新成人で盛り上がっています。
もはや様式美のようでを見ても、「おっ、またやってるね!それじゃ急いでるんで、この辺で。ほな、さいなら」くらいの感覚にしかならなくなってしまいました。
大人ヤンキーが最後に暴れるイベント
カラフルな袴姿の暴れる新成人、特攻服に身を包んだ新成人を見ると、本当に2016年なのか?1980~1990年代の風景じゃないのか?と錯覚しそうになる。
昔のヤンキー漫画で見たあの光景を、現代の2016年に見ることが出来る唯一のイベントが成人式なのかもしれない。
中学・高校とヤンキーだった人たちが、そのまま成人して大人ヤンキー*1になった姿は非常に分かりやすいヤンキー像そのもの。
尾崎豊「卒業」での、”夜の校舎窓ガラス壊して回った”を、成人してなお昭和ではなく平成、時は2010年代でもやっていることに、ちょっとしたファンタジーにすら感じるほどだ。
成人式そのものが、大人ヤンキーたちが暴れることが出来るイベント化してるのは否めない。
実際、蚊帳の外から見ていると「暴れる新成人」ばかりがテレビでもネットでもクローズアップされ、イベントを盛り上げている。
ヤンキーにいたぶられた高学歴エリートの復讐としての成人式
そこで、ブロガー、ビジネスコンサルタント、ビットコイン研究家である大石哲之(おおいしてつゆき)さんの記事が話題になっている。
大石さんはレベルの低い小学校で過ごし、公立中学もレベルが低く荒れているため中学受験をして私立中学に進学。
その後は”真っ当な大学”に進学し、”社会で関わりたくない人とはもう縁が切れた”状況になったそうです。
現在、大石さんはまともな人たちに囲まれて、まともな環境で生活しているのでしょう。
大石さんの記事を読むと、「新成人が暴れるのは、まともな社会との繋がりの場を持つことが出来ない低学歴のヤンキーたちの、最後の逆襲の場だから」と要約出来ると思います。
つまり、成人式が荒れる原因は、偏差値によって分断された社会を、もう一度一緒に集える機会を設けてしまったことで、逆襲のチャンスになってしまっているという点が、本当の本質でありまして、ですから、これを防ぐには、成人式を階級別に開催するしかないと考えるわけです。
ここで、「ヤンキーが最後に暴れるイベント」としての成人式とは別の、「高学歴エリートが低学歴ヤンキーに復讐する成人式」という側面もあるのではないかと思いました。
成人式でかつて暴れまわり、俺たち優等生をいたぶったヤンキーが低学歴の底辺層にいるのを見て復讐した気になる。
少なくとも大石さんはかつていばりくさっていたヤンキーたちを、身分が違うと言わんばかりに見下しているのは明白です。
殴られて終わり
上記の記事を見た後、すぐに思ったことをブコメに残しました。
成人式が荒れる原因は、偏差値によって分断された社会を、もう一度一緒に集える機会を設けてしまったことで、逆襲のチャンスになってしまっているという点が、本当の本質でありまして
- [なんだこりゃ]
選民意識ってこのことですか?成人式で暴れるレベルの人たちは「偏差値?何それ?」という感じだから、高学歴やエリートに対する鬱憤を晴らしてるわけではないと思う。この記事で大石哲之さんの心が休まるなら。
2016/01/11 22:18
いくら高学歴エリートになってご高閲たれても、成人式で大人ヤンキーに「何だてめぇ!うぜーんだよ!」と、一発殴られて終わりだと思うんですよ。
大人ヤンキーになったかつてのヤンキーたちは、別に高学歴やエリートを羨んで妬んでいなくて、ただ仲間と盛り上がって昔のノリで暴れているだけなのだから。
眼中にもない可能性も大いにある。
この記事は大石さんにとって真実だと信じたい願望だというのがよく分かりました。
セルフカウンセリングではないけれど、そう信じ込むことにより大石さんの心が少しでも癒されるならいいのではないでしょうか。
ただ、行き過ぎた書き方故に自らの品性下劣さを晒し、自らの価値を落としてしまった感じはします。