https://twitter.com/mas__yamazaki
Hitoshi Kawashima「神社本庁のこの愚挙盲動は、新年に神社を訪れる人々のささやかな思いをふみにじり、心のなかに土足で踏み込むような行為と言えないだろうか」(FB)
http://on.fb.me/1VY7Hm8
「日本の神社は、戦前、国民を戦争に向かわせるための道具として、侵略戦争に全面的に加担した。その反省も総括もなく」
「国会で改憲勢力が3分の2を確保し改憲が発議された場合に行われることになる『国民投票』の名簿として、つまり初詣帰りにうっかり署名してしまったら、それがそのまま憲法改正への賛成票として流用されることになる旨が、この署名用紙には記載されているという」
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「国会で改憲発議がされてもいないうちから、こんな姑息なやり方で国民投票名簿を準備するくわだてを、新年の参拝客を利用してコソドロのように、しかし厚かましくも堂々と本殿の前で進めるとは、神社のやり方はあまりに欺瞞的ではないだろうか?」
日本人は、昔も今も、情緒的な言葉や一見善良そうに見える「ムード」にめっぽう弱い。
その弱い部分をくすぐられると、良いことをしているつもりで、なんとなくそちらに流れていく。
戦前戦中の文献やその時代に生きた人々の手記や日記を読む限り、当時もそうだった。
情緒的な言葉と主観の操作に溺れる。
その「弱点」をこそ、今は議論の俎上に載せないといけない状況にある。
それをしなければ、日本人の心理的な弱点をくすぐるテクニックに長けた人間たちが、当時と同じ「病気」をまた再発させる。
「戦前回帰」とは単に軍国主義復活ではなく、人々の心理や価値判断を統制する国家体制への回帰という意味。
「美しい国」「誇りを持てる国」など、情緒的な言葉や観念を、飴細工師のように操る人間たちがいる。
国に捨てられて餓死した軍人、玉砕や特攻を強いられ生き延びる道を国から断たれた軍人、彼らの悲惨な最期を「英霊」というベールで覆い隠して「国民の鑑」と礼賛させられた人々。
もう他人事ではない。
昨日の衆院予算委員会のトップバッター、自民党の新藤義孝氏が切り出した。
「平成28年が明けました。伝統的な数え方でいえば皇紀2676年」(朝日)
http://bit.ly/1N2fd8t
八紘一宇に続き、戦前の国家神道時代の建国神話に基づく思想文化が、国政の場で堂々と語られる。
「皇紀とは、神武天皇の即位の年とされる西暦紀元前660年を元年とする」
「紀年法だ。明治初期の1872年に定められた」
「しばしば国民精神総動員と結びつけて語られる」
「今、そうした言葉を使う意図は何か。昨年も国会で戦時スローガンの『八紘一宇』を取り上げ、『日本が建国以来、大切にしてきた価値観』と述べて物議を醸した自民党議員がいた。復古志向は元々この党の一面だが、かつてここまで無遠慮だっただろうか」
「代表質問で『立憲主義とは何か』と問われた首相は直接答えず、『立憲主義にのっとって政治を行うことは当然』とだけ述べた。これでは議論は進まない」
「国を守る」という主観的な大義名分さえ持ち出せば、憲法を超越した権力行使をしても許される、という思考は、紛れもなく「立憲主義の否定」だが、立憲主義そのものに価値を認めていないので、自分が「立憲主義を否定している」という自覚もない。
そんな人間が総理大臣や国会議員の椅子を占めている。
自民党の新藤義孝議員が昨年11月28日に投稿した記事(FB)
http://on.fb.me/1RF15sd
「東京のホテルで安倍総理大臣を会長とする『創生日本』の研修会が開かれました」
「家族を守り地域を発展させ、がんばった人が報われる 社会を創る」
「国を護り、世界の平和のために貢献する」
「自国の歴史と文化に誇りを持ち、夢と希望を持てる国を実現する」
「櫻井よしこさんと小川榮太郎さんの意義深い講演の後、懇親会には、安倍総理も到着し会場大いに盛り上がり、全国からの参加者と楽しい交流の時を過ごしました」

「国を護り、世界の平和のために貢献する」という言葉は、論理的に矛盾しているが、特に深い思想に基いていないので、言っている人間もその矛盾を自覚していない。
自国を護るという理由なら対外戦争も許される、だから戦争に備えた法整備と軍備強化が必要だと考える人間は、主観的理由で平和を捨てる。
現在の日本における政治的危機とは、総理大臣が「それを必要だと私が思うなら、私は憲法を実質的に超越する形で権力を行使することも許される」という僭越な考えを隠そうとせず、財界も官界も大手メディア企業も「当座の分け前」と引き換えにその態度を黙認していることだろう。
野党議員はどうなのか。
繰り返し指摘されているように、自民党の改憲案は「国民が権力に枠をはめて縛る」という立憲主義の理念を否定し、逆に「権力が国民に枠をはめて縛る」構造になっている。
改憲でなく「憲法を憲法に形だけ似せた別のもの」に差し替える行為だが、それを止めたければ現政権与党の議席数を減らすしかない。
「形式を操作し、憲法を実質的に超越する形で権力を行使する政権」を、今後も野党として容認するのかという、日本の立憲主義の危機への対処を、野党議員は問われている。
民主党議員に「共産党への入党」を求めているわけではない。
共産党との一時的連携と「立憲主義の死」、どちらを重大だと思うのか。
<社説>改憲が争点に 緊急事態条項は許されない(琉球新報)
http://bit.ly/1PmVlPe
「選挙前に改憲の意思を述べておくことで、選挙の勝利をもって改憲の許可を得たことにする。その上で自分の望む部分を改憲するということだろう。改憲のフリーハンドを握り『後はお任せを』と言うに等しい。そんな政治を民主的政体とは言えない」
「権力者が勝手なことをしないよう憲法で縛りをかけるのが立憲主義だ。フリーハンドは立憲主義にも反する」「この政権は憲法解釈も一方的に変更し、それを正当化する安全保障法制も憲法学者多数が違憲と断ずる中で成立を強行した」
「憲法53条に基づいて野党が臨時国会開会を求めても無視した。立憲主義軽視は顕著だ」
「自分たちの気に入らない憲法はないがしろにする一方、新たな憲法をつくるというのは、まさにご都合主義ではないか」
「参院選ないし同日選は、間違いなく日本の針路を一変させる選挙となろう」
>litera 安倍首相「おおさか維新と改憲めざす」宣言の裏…橋下との密約だけでなく日本会議の圧力、公明との裏取引も
http://ift.tt/1N1yc35
>諏訪原健 国政と地方政治に違う論理がはたらくことはわかるが、民主は反安保勢力を大きく二分するような対応は避けたほうがいい。去年の夏、国会前のスピーチで民主党議員に散々バッシングが飛んだことを忘れたのか。世間の民主に対する感情はそんなもの。自分たちはどこ見て政治やるのか考え直してもらいたい。
>osaka shigeto 私も年末年始に辻田真佐憲氏の『たのしいプロパガンダ』を読んだけど、今の日本で危険なのは「右傾エンタメ」よりも「日本スゴイ」本やテレビ番組だと思う。自国を客観的に見られなくなるのは危うい。 / “『たのしいプロパガンダ』 大衆煽動…”
http://htn.to/Eok9Ya
>岸本元 戦前の日本において、国策標語やポスターなどの懸賞公募が射幸心を煽り、大衆に自ら考えさせることを通じて、プロパガンダの効果を存分に発揮していたという指摘に、なるほどと思わせられるものがあった。
現代でも様々な公募を官公庁や公的機関が行うが、そういう「考えさせる」意味があるのだろう。
>岸本元 《優れたプロパガンダは、政府や軍部の一方的な押しつけではなかった。むしろ、民衆の嗜好を知り尽くしたエンタメ産業が、政府や軍部の意向を忖度しながら、営利のために作り上げていった。こうすれば、政府や軍部は仕事を効率化できるし、企業は儲かるし、民衆も楽しむことができる》(58頁)。

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