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第五章ダイジェストその3
三腕とカイル、一対一の戦いは三腕の圧倒的有利ですすんでいる。
豪快でありながら正確無比な槍の攻撃をかろうじてかわしているが、苛烈な連続攻撃にこれ以上は避けきれず、カイルは剣で受けた。
完全に受けたのだが、両足で踏ん張ってもそれ以上の力で吹き飛ばされ、闘技場の壁に叩きつけられる。
「ただの……力馬鹿ならやりようがあるんだがな……がは」
槍そのものは受けたとはいえ、ダメージを負ったカイルが苦しげに言う。
筋肉の、力そのものの差は初めから解っていたがそれだけではない。
速さ、技術、経験、スタミナ、生命力、全てが自分を上回っており、まさに戦うために生きているようだと、戦って改めて実感させられた。
粘るカイルに対し、楽しげな三腕。
圧倒的な実力差の中で、カイルに有利な点はただ一つ、記憶だった。
以前三腕と戦った時のことを思い出しながら戦っているのだが、その為先読みが出来ており、ぎりぎりのところを回避できている。
そしてその記憶から僅かに光明を見出すカイル。
(やはり視界が悪いようだな……)
これは以前戦った時もかんじだのだがほんの僅かだが左側からの攻撃には反応が遅れているのだ。
つまり潰された左目側はやはり死角になっている、そこを狙うしかない。
守っていては遅かれ早かれ命は無い、ここでカイルが守りではなく攻撃に転じる。
タイミングを見計らっていたカイルは、自分に強化魔法をかける
「【ヘイスト】!」
突如加速することにより、自分の速度に緩急をつけ、動きそのものをフェイントにすることに成功する。
三腕は突如早くなったカイルを眼で追うが、死角である左側に入られたためほんの一瞬だが姿を見失う。
(もらった!)
心の中で叫び、三腕の頭めがけ剣を振り下ろす……
だが次の瞬間カイルはまるでたかる蠅のように叩き落とされた。
それは三腕の尻尾で、死角からの攻撃だと言うのに、経験と勘によりカイルの渾身の攻撃は簡単に防がれたのだ
「くそ……」
カイルは何とか攻撃を再開するが、その動きは明らかに精彩を欠いていた
「……勝てないのか……また」
二度、三度と斬りつけていくが、先ほどまでと違い、僅かな動きだけで回避していく三腕。
気の抜けた動きだが、それだけで躱せてしまうのだ。
三腕はつまらなさそうに槍を振るうとかろうじて受けたカイルは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「あ……おああああああああっ!」
カイルはへたり込み、這いつくばり、慟哭する。
それは魂からの慟哭だった。
「ちくしょう……俺は……まだ勝てないのか」
かつての敗北と同じ、悔しさと不甲斐なさ、そして自分の無力に滂沱の涙を流し嘆く。
そんなカイルを見て三腕は残念そうに首を振る。
技は素晴らしかった、体も充分強かった、だが心が未熟だ。
三腕の見立てではまだ戦えるが、心が負けを認めてしまっているのだ。
まだ戦えるのに負けを認めるのは死と同じだ。
三腕に敗者をいたぶるつもりは無く、これ以上見るのは忍びないとここまで戦ったカイルに敬意をしめし、苦しまないよう一撃で葬ろうと振りかぶった。
その瞬間、三腕がはじかれたように動き、その巨体に似合わない俊敏な動きで背後からの奇襲を回避する。
斬りかかったのはセラン、速さも威力もタイミングも、全てが申し分のない奇襲だがその最高の斬撃さえも三腕は回避していた
やはり来たかと、嬉しそうに三腕は斬りかかってきた相手のセランを見る。
セランに意識をを向けた瞬間、反射的にその場から飛び退く三腕だが、着地時にバランスを崩しかける。
三腕が先ほどまでいた場所、そこには尻尾が転がっていた。
「待っていたぜ、お前に隙が出来る瞬間を!」
尻尾を斬り落としたカイルが高らかに笑い、得意げな顔になるが、セランが絶好の機会なのに仕留めそこなったカイルに大声で文句を言う。
「仕方ないだろ! あいつ勘も良すぎる! 戦闘経験の差も大きい。尻尾に狙いを絞ったから何とかやれたんだ!」
セランは更に文句を言いつつも移動し、カイルの隣に並ぶ。
ここで三腕は心折れたのも戦いに入る前の仲違いも芝居だったことがわかる。
「我ながら迫真だったとは思うがな……ちょっと気持ちが入りすぎたが」
かつての敗北時の口惜しさと不甲斐なさ、そしてリーゼを失った時の喪失感と絶望と憤怒……それらがこみ上げてきてしまったのだ。
セランの背後からの奇襲だけなら躱せていた。
精神的に死んでいたはずのカイルが、瞬時に息を吹き返して斬りかかっても対処できただろう。
だが二つ組み合わさり、自分の尻尾は斬り落とされた。
完全にしてやられたのだと解ると、三腕は歯ぎしりをし、息を荒くする。
そんな三腕を小憎らしい顔と口調で煽りまくるカイルとセラン。
三腕の巨体が小刻みに震え、笑いあいながらも二人はいつ来るかと待っていた。
だが怒り狂うかと思ったが、さっきまでの戦いの最中より落ち着いたようになり、むしろ二人のことを称賛する三腕。
冷静さを失わせるために、わざと挑発していたのだが褒められ、調子の狂う二人。
冷静さと共に闘志を燃やした三腕が奥の手を出す。
三腕は片足をあげ、四股を踏むように思い切り地面を踏みつけると周りの石畳に無数のヒビがはいる。
その瞬間ぐんと二人の身体が重くなるが、カイルとセランはこの感覚には覚えがあった
「これは【グラビティ】……か?」
重力を操作し、自重を何倍にもする魔法【グラビティ】
二人の剣の師匠であるレイラに効果的な鍛錬方法として半ば強制的にこの魔法の魔道具を身に着けていたのだ。
だからこそ厄介さも解っている。
周囲の敵全部の動きを鈍らせ、自分だけ影響を受けない、これが三腕の切り札だった。
言葉にすれば簡単だが、戦う者達にとってこれ程恐ろしい能力もない
笑い、歓喜に満ちながら己の全てを賭けて三腕は突進してきた。
◇◇◇
三腕の恐ろしいところはその腕力ではなく、巨体に似合わない繊細かつ蓄積された経験に裏付けされた動きで、カイルそしてセランの剣の技量を上回っている。
そしてこの重力操作の能力も使えば正に魔族最強に相応しい力で、二人でなければ一瞬で肉塊になっていただろう。
それでも何とか戦えているのは、カイルとセランは重力の重さに慣れていたのがあり、動きが鈍くなろうとも、その状態での戦い方を知っているからだ。
そして何よりも二人という数の有利と連携の巧みさだろう。
二人は必ず前後や左右、上下に別れ反対方向から同時に攻撃していく。
カイルが右腕ならセランは左腕、前と後ろ、頭と足と言った具合に、息もつかせぬ連続攻撃を完璧な連携で繰り出していく。
だが三腕は冷静に回避し、反撃してくる。
三腕は奥の手の重力操作をだしてもなお粘り続け、互角に近い戦いをする二人を称賛しつつ、更なる攻撃を繰り出していった。
全力で戦っている三人だが、疲労と負傷が蓄積し、動きが鈍り始めだんだんと余力がなくなってきおており、そろそろ終わりが近づいてきていた。
カイルとセランは目をあわせ、どこまでも不敵に笑いあう、死の一歩手前の状態だと言うのに恐怖を微塵も感じさせない。
あるのはただただ純粋にこの強敵を討ち破ってやろうと言う挑戦心のみだった。
空気が変わった事を感じ、三腕の頬がピクリと動く。
三腕は何かをやってくれるのではないかと言う期待感で一杯だった。
愉快ではあるが、決して油断はしないし、相手を見くびらない。
相手の全力を自分の全力で打ち破った時、それが三腕にとって最上の喜びであり生きる意味でもあるからだ。
まず来たのはカイルだ。
「おおおおおお!」
先ほどの様な破れかぶれではなく、真の気迫の籠った雄叫び。
雄叫びを正面から受け、身体の芯にびりびりとくるような錯覚を覚えつつ三腕はカイルを迎え撃つ。
余力など一切考えていないのだろうカイルの斬撃は今までの中で一番鋭く、的確に三腕を狙う。
三腕の反撃も今までよりも更にぎりぎりの回避、皮一枚を削らせつつカイルは攻撃し続ける。
だが常に二人そろって連携で攻撃してきたセランはカイルの後方に控えたままだ。
目の前のカイルと全力で戦いつつも、何をしでかすかその背後のセラン、この二人に全神経を集中している三腕。
幾度目かの攻撃の後カイルが前触れもなく思い切りバックステップし下がった。
三腕はカイルを追わず、当然来るものと思っていたセランを警戒する。
だがセランは動かない。
どういうつもりだと思った瞬間三腕の頭上に影がふってくる
それは立派な、分体を鷹へと変化させていたシルドニアによる目くらましだった
シルドニアの役目は一秒にもみたない刹那の時間、三腕の注意をそらすこと。
それでセランには充分で、その一瞬でセランは三腕に詰め寄っていた。
セランの聖剣ランドが三腕の首筋に食い込んだ。
だがそれすらも三腕は反応し、右腕で思い切り殴りつける。
完全に反射的な攻撃だったが、勘と経験のなせる業だろう見事にセランに当たる。
吹き飛ばされたかのようになったセランは壁に叩きつけられその衝撃で、頑丈であろう石壁にもヒビが入る
セランは口から激しく吐血し、それでも何とか立とうとするが身体が言う事をきかず、そのまま力無く崩れ落ちてしまう。
実に三百年ぶりに死ぬかもしれないという感触を味わった三腕だったが、まだ終わってはいなかった。
最高のタイミング、セランを攻撃する為に身体が崩れ絶対に回避できない瞬間を狙い、カイルが一直線に飛び込んでくる。
限界まで身体強化の魔法で速さを上げ、狙うは心臓付近への刺突。
「くらえっ!!」
渾身の刺突で、カイルは肉を、骨を貫く確かな手ごたえを感じた。
だが三腕の命には届いていない、左腕を盾代わりとし、剣を受けたのだ
左腕は完全に貫き、剣の切っ先は三腕の胸板に埋まっているがまだ浅い。
狙っていた心の臓までは僅かに届いておらず、重傷には違いないが一筋の血が流れているだけだった。
「前回はかすり傷だったが、今回は腕一本か……とりあえず成長はしているようだな」
かつての戦いでかすり傷しかつけられなかったことを思い出し、自嘲気味にカイルは笑う。
とどめを刺そうとする三腕に、カイルは再び不敵な表情になる
「確かに俺はもう余力が無い……だが残念なのはそっちの方だぜ? お前何人でもかかってこい言ったよな?」
三腕にはカイルが何を言っているのかわからなかった。
だが言っている内容は解らずとも、意味は解った。
身長差からカイルが見上げ、三腕が見下ろす体勢になっており、このカイルの発言が自分に注意を向けさせる為だと解った時には既に遅かった
闘技場内に乱入し、カイルの後ろから突進してきたのはリーゼ。
これが自分への攻撃なら三腕ももう少し早く気付いただろうし、対処もできただろう。
だが狙いは初めから三腕ではなく、リーゼの拳はカイルの背中へと叩き込まれる。
リーゼの速さと重さ、何よりも拳の威力がカイルの身体を徹してそのまま剣に伝わり、押し込まれた切っ先が三腕の胸板を貫き、心の臓へと届いた。
「届いた……な」
崩れ落ちる三腕に、背中の激痛に耐えながらカイルは半ば強がりの笑みを浮かべた
この連携は、事前に示し合せた訳ではなくリーゼはセランが闘技場に来る道に用意しておいた手紙で動き、シルドニアが剣の宝玉からカイルが指示していた。
そしてカイルとセランの二人は目をあわせただけで互いの考えていることが解り、行動していたのだ。
◇◇◇
ルイーザが観客席から降りてきて、カイル達の元にやってくる。
見ごとな戦いだったと称えるが、姑息で卑怯とも評した。
「ま、魔王に姑息、卑怯と言われるとは……」
流石に傷つくカイルだが、確かに自覚はあるので言い返すことはできない。
強弁ではあるが、どんな策をつかってもいいし何人でもいいと、全て事前の取り決め通り三腕の言質はとれている。
しかし英雄にならなければならないカイルとしては、こんな戦い方が出来るのも観客がいない魔族との決闘だからだ。
もし人族との決闘でこんな真似をすれば非難轟々ではすまないだろう
だがこれには他ならぬ三腕が弁護をする。
ルイーザも三腕が納得しているようなのでこれ以上は言わず、ここでウルザやミナギ達も闘技場に戻ってきて、最後尾のユーリガが無造作に引きずってきている炎眼を見てルイーザはため息をつく。
好戦派の、手を焼いていた配下であはるが実力は認めるところで、それが二人も負けたとあっては魔王としては色々頭の痛いところなのだろう。
そしてルイーザは三腕に向き直り、落ちていた槍を投げつける三腕はそれを取り、杖代わりにして立ち上がる。
背筋にぞくりと冷たいものが走るかのような声で、離れるように言うルイーザ。
今までとはまるで違う、また別の一面を見せられた気分で、カイル達は慌てて距離を取る。
「ど、どういうことだ?」
カイルがユーリガに訊くと、暗い表情で三腕は誓いを立てており、一度でも負ければその時が自分の死としているとのことで、今からルイーザが三腕の生を終わらせるとのことだ。
敗北は死、それが三腕だった。
死にかけとは思えない三腕の動き、だがカイルにはこれが燃え尽きる前の最後の灯火だと解っている。
残りの命を更に削り、生涯最高の力を出しているのだ。
対するルイーザは構えとも言えない、いつも通りの鷹揚さを滲ませ錫杖を振るう。
その動きそのものは素人に毛が生えた程度で、ルイーザにはあまり戦いの心得はなさそうだ。
だが力や速さと言った基礎能力が非常に高いようで、三腕の攻撃を受けている。
身体能力の高さという、単純故に強力無比、そして万能で付け入る隙の無さがルイーザの強さだった。
だがさっきまで戦っていたカイルとセランにはそれでも三腕のほうが強いと。
現に二人の戦いはだんだんとルイーザが押され始めている。
しかし主の危機だというのに、ユーリガ平然としている。
渾身の、最後の力を振り絞っている三腕の槍が、遂にルイーザの首筋に当たる。
そのまま三腕は振り切り、ルイーザの首を刎ねた。
「なっ……!」
流石にカイル達は息を呑んだが、傍らで見ているユーリガはまるで慌てていない
血を撒き散らし、宙に飛ぶルイーザの首だったが、ピタリと止まる。
生首はニヤリと笑ったあと、時が巻き戻るかのように、飛び散った血さえも胴体へと戻っていく。
瞬時に傷は治癒――ではなく完全に無くなった
そして何事もなかったようにルイーザは立っている。
何をしようが決して死なない、それがルイーザの不死の力だとユーリガは主人の力を誇る様に説明するが、かなり衝撃的な光景を見せられたカイル達の顔は青ざめている。
その間も戦いは続いていくが、傷ついてもまったく意に介さないルイーザと、既に致命傷に近い傷を負っている三腕とでは初めから勝敗は決まっている。
ルイーザが錫杖を三腕の胸吹きに思い切り突き出す。
二度三度、大きく身体を振るわせた後三腕はゆっくりと倒れ、そのまま動かなくなった。
これが大戦でも活躍し、伝説の英雄とも互角に戦った三腕の最後だった。
ルイーザが天を見ながら黙祷するかのように目を瞑り、こうして決闘はカイル達の勝利で終わった。
◇◇◇
だがまだ疑問は残る、結局誰に雷息が殺されたかと言う事だ。
三腕ではないというのは、剣をあわせたからだろうか、セランが否定しカイルも同意する。
ルイーザは誰が犯人かは特に気にしてはいなかったが、カイル達の様子に考え始めまだ床に転がされたままの炎眼に目をつける。
乱暴に錫杖でつつき、無理やり覚醒させる。
目が覚め現状を把握しようとする炎眼。
自分が人族に負けたことを思い出し激情に駆られそうになるが、三腕の死体が目に入り、一気に肝が冷えた様に青ざめる。
ルイーザは炎眼に何故ここに来た、誰の提案だと問いただすと、炎眼は有無を言わさぬ威厳のこもったルイーザの声に雷息に誘われたと思わず素直に答えてしまう。
どうやら、誰かしらに吹き込まれたようで、これで人族を滅ぼすことが出来るとも吠えていたらしい
ここでグルードがある事に気づき口を挟む。
グルードが指さすのは観客席の隅、目立たないところで、そこにはかつて世界樹において暗躍し、セランと死闘を行ったターグが座ってこちらに手を振っていたのだ。
◇◇◇
拍手をしながら、目には感動の涙さえ浮かべながらターグが三腕との戦いを称え、観客席から降りてくる。
セランが手を上げ、ターグに気安く挨拶をし、ターグも相変わらず胡散臭い笑顔を浮かべたまま世間話のように応じる。
そしてターグは魔王に向き直り、これ以上ないほど深々と頭を下げて挨拶をする。
ルイーザがターグにお前が雷息を操っていた黒幕かと、訊くと慌てて唯の情報提供者だと否定する。
その後も、ただ好戦派に力を貸していただけだし、むしろ暴走して暴れようとした雷息を止む無く殺しただのこちらが聞かずともどんどんしゃべりだすターグ。
事情を知りたいこっちとしては都合が良く、僅かに違和感を感じたが、いつの間にか皆ターグに気を取られていた。
だからそれに気付けたのはカイルだけだった。
闘技場の隅の一角、丁度ターグの魔王を挟んで対角線上の場所が蜃気楼の様に、空間そのものが揺らぎはじめる。
そこには夜の帳より更に深い闇があった。
その闇から放たれた黒い塊が、ルイーザめがけて襲い掛かる。
カイルだけ気付けたのは、その気配を知っていたから。
そしてカイルだけがこの魔法を知っていた。
「危ない!」
瞬時に反応したカイルは近くにあった、自分で斬り落とした三腕の尻尾を蹴り上げ黒い塊へとぶつける。
ぶつかった黒い塊と、三腕の尻尾は、振り返ったルイーザの目前で消滅した。
文字通り何も残さず完全に消えてなくなったのだ。
それが失われた特級魔法【ディスインテグレイト】だと解りシルドニアは驚きの声で叫ぶ。
【ディスインテグレイト】とは完全な破壊、正確には消滅させる魔法で、どんな防御も通用せず例え魔族だろうがドラゴンだろうが対象を問答無用で消滅させる最高峰の攻撃魔法で、特級魔法だった。
施ぐ方法はただ一つ、今のように目標に命中する前に、別の物をぶつけて相殺するしかない
カイルがこの魔法を見たのは二度目で、一度目はあの最後の戦いの最中、黒翼の魔王が放ってきて、そしてウルザに庇われた。
目の前で消滅していくウルザを、カイルは何もできず見ているしかなかった。
そしてその魔法を放ったのは――
カイルがその闇の揺らめきを睨み付けていると、ゆっくりと人影が闇の中から現れた。
ローブ姿で顔はフードのようものを被って闇に覆われており、至近距離まで、剣で戦う距離まで近づかなければ見えないだろう。
だがカイルはその顔を知っていた、この魔族を知っていた。
その背の羽毛の黒翼、何よりもそこにいるだけで感じる存在感、強烈な重圧……忘れようがなかった。
「……会いたかったぜ」
もっと興奮するかと思ったが、自分でも驚くくらいに冷静だった。
ウルザの直接の仇でもあり、そして大侵攻を起こし人族を滅ぼしかけた黒翼の魔族がそこにいた。
ターグと黒翼の魔族は今回はこれでいいとばかりに、立ち去ろうとしルイーザは特に声をかけず、わざわざ追う価値は無い、そう判断しそのまま見逃すようだ。
代わりに動いたのはカイルだった。
「逃がすか!」
絶対に逃がすかと突進する。
絶対の間合い、そして全霊の斬撃。
ここで斬り捨てることが出来れば自分の役目は全て終わる、そんな思いをこめて斬りつけた。
「何……だと?」
しかし止められた、正確には掴まれたのだ
早さも重さも申し分のない、今のカイルに放てる最高の斬撃を、黒翼の魔族は難なく掴んだ、いや摘まんだのだ。親指と人差し指によって。
螺子で締め付けられたかのように剣を固定され、カイルは必死に両手で動かそうとしてもピクリともしない。
そのまま黒翼の魔族は手首だけを動かし、埃を掃うかのようにカイルを投げ飛ばす。
「くっ!」
飛ばされるが何とか着地し、すぐに追撃をと思ったが、ターグと黒翼の魔族の姿は最早ほとんど見えなくなり、二人の姿は完全に消えた。
(くそ!……だが……少なくともお前がいるのは解った! 必ず見つけてやる! そして斬る!)
心の中で誓うカイルだった。
ここでルイーザに何故自分を助けた?と訊かれ、カイルがはっとしたようになる。
「いやその……身体が勝手に動いた……」
カイル自身が戸惑いながら答えるが、実際そうとしか言えなかった。
あの魔法により、ウルザは目の前で消滅し何もできなかった。
同じ魔法とわかった時、今度こそという訳ではないが身体勝手に動いたのだ。
魔王に貸し一つ、そう思い割り切ろうとするカイル。
そこでルイーザはかなりの逡巡をしたが、意を決したかのように問いてくる、人族にとって信じるとはなんだ? と。
ルイーザの問いに対し、カイルははっきりとした既視感を感じ、初めて会った時のことを改めて思い出す。
あれは最終決戦で、魔王の城に乗り込んだときのことだ、魔王の間に近い部屋で、魔法陣の中鎖でつながれたルイーザに会っているのだ。
この時のルイーザは明らかに弱っていたのだが、今思えば捕えられ生きながらにしてその身の膨大な魔力を搾り取られていたのだろう。
カイル達を見つけたルイーザは話しかけて全く同じ質問をしたのだ。
直前の戦いで仲間を失っていたカイルにとって、魔族の問いかけはただの苛立ちにしかならならず、結局答えることもせず戦闘になった
魔力のを奪われていたせいかその不死性は失われていて、強敵で仲間が数人犠牲になったが何とか討ちとることが出来た。
しかし後からならいくらでも言える事だが、あれも避けることのできる戦いだった。
あの時は拒絶したが、もし別の答えを言っていたのなら?
今は心にゆとりはある、真剣に、真面目に答えようとカイルが口を開こうとした時
どうでもいいんじゃねえと、何時もの気楽な、セランの声が響く。
気合を入れて答えようとしたところを邪魔されたカイルが怒鳴るが、セランが考えすぎだと呆れ声で言う。
目の前で言い争いを始めた二人を、正確にはセランを見てルイーザは軽く笑う。
力を抜いた、自然な笑顔で、ランドルフに似ていると呟いた。
ランドルフと呼んだ名にこめられた想いと、ルイーザの顔とその目を見ただけで皆解ってしまった。
どんな経緯があったかは知りようもないが、人族の英雄と魔王の娘は恋仲だったのだろう。
そしてその英雄は魔王を討ちとったのだ。
かつてルイーザは、話し合いの為というランドルフを信じ、父である先代魔王の寝所へと案内したが、ランドルフは目の前で魔王を討ったという。
それでも憎めず、信じられなくなったらそこで終わりだと思い、せめてかつてランドルフが語っていた、魔族と人族が手を取り合って生きていく世界を目指していたとのことだ。
ルイーザがつらい過去を、一生のトラウマを吐露していく。自分一人で抱え込むのに疲れたかのように。
だが今となってはランドルフの何を信じたか思い出すこともできないと、とうとうへたり込み力無い笑いをしたあと、ついには両手で顔を覆い、泣き出してしまった。
そんなルイーザをユーリガはあたふたと何とか力づけようとし、きっとセランを睨み見つける。
何故かリーゼやウルザ達も責めて、慰めろとばかりにセランをルイーザの前に押しやる。
縋るようなルイーザと目を合わせてしまうが、セランは意を決して、生きていればいい事あるさ、とかなり安っぽい慰め方をするが、ルイーザは真面目な顔になる。
その後も楽しい事、趣味を見つければどうだなど、もはや魔王の威厳やら貫禄と言ったものは感じさせないルイーザと、セランの話は続いていった。
ユーリガは主の決して知られてはいけない秘密を知ってしまった炎眼を睨んでいる。
どうしてくれようかというその視線の意味が解った炎眼は、苦笑交じりにユーリガに勝ち目はないからもう逆らうつもりは無いから安心するように言う。
その様子をリーゼ達女性陣は面白そうに見やり、少し不機嫌そうにしているのはアンジェラ。
ドラゴンの二人はこういった感情の機微には疎いのか、不思議そうだ。
賑やかになってきた周囲、色々ありすぎた一日を振り返り、カイルは夜空を眺めながら呟いた。
「そろそろ……寝たいな」
◇◇◇
翌日の昼、船着き場の船の前にカイル達はいる。
人族領へ帰る為で、ドラゴンの姿になっているイルメラとグルードも側にいた。
リーゼとウルザが魔族領での感想を話しているが、一番印象に残ったのが魔王の恋愛話と言うのはやはり年頃の女性らしいと言うべきか。
あの涙ながらの告白から一晩たった今朝、謁見の間で会ったルイーザは初日と変わらない、気怠さを醸し出しつつも魔王の威厳を放っており、まるで昨日のことなど無かったかのように振る舞っているがセランに妙に話しかけている。
そしてそこにアンジェラも加わり、ルイーザに一歩も引かず優雅に礼をしたあと、強引にセランの腕を取る。
ギスギスとした空気が流れる中、セランが何か悪いことしたかなと天を仰いだが、誰も答えなかった。
カイルはイルメラやグルード達とも別れの挨拶をするが、相変わらずグルードが牙を剥き出しながら威嚇し、いつか再戦しろと迫る。
「ああ、解っている……だがこちらにも色々と予定がある。そうだな……百年……いや八十年以内には必ず受けよう」
これ以上は無い真剣な顔と声でカイルは言った。
数百年どころか数千年単位で寿命を持つドラゴンだ、八十年という時は短いとは言わないが、決して待てない時間ではない。
人族に、人間に詳しくないグルードはこの提案に乗り、満足そうに帰っていく。
弟分の頭の弱さに情けなさそうに頭を振りつつも、イルメラも別れの挨拶をし飛び去って行った。
「さて、はやく帰るか」
早くもグルードのことは脳裏から消し去ったカイルが皆に声をかける。
ミナギが呆れるがカイルは「やはり余計な戦いは避けるべきだな」と一人うんうんと頷きながら勝手に納得していた。
◇◇◇
「そうだ……忘れていた」
全員船に乗り、最後に船に乗り込もうとしていたカイルがあることを思い出し、一度ルイーザの前に戻る
「気になっていた事があったんだ……二日前俺に妙なことを言ったじゃないか。『何故そこにいる?』と……あれはどういう意味だ?」
炎眼の乱入で聞きそびれたが気になっていたのだ。
ルイーザも思いだしたかのようにじろじろとカイルを見るが、不思議そうな顔にもなり、あの時はカイルが魔族に見えたと言うのだ。
「……は? 何を言っているんだ?」
カイルは何を言っているんだと笑い飛ばそうとしたが、ルイーザはあくまで真剣で、あの時は魔族の魂のように見えたのだが、しかし今は人間に見えると言うのだ
ここでカイルは自分の魂が通常と違うのは把握しているからルイーザの言っている意味が解り少し落ち着いたが、魔族と言われ困惑する。
かつてカイルの魂の異常に気付いたのはシルドニアとゼウルス、他には帝国の宮廷魔導士ベアドーラぐらいで、三人の見立てでは異常はあったが人間の範囲内ではあった。
だがルイーザは魔族と言う、この差はなんだろうか。
いつの間にか、シルドニアも来て話に加わり、どうやらカイルの魂が変異しつつあるという結論になる
そしてこのままではいずれ肉体にも変化が現れるかもしれないとルイーザは推測した。
「変化だって?……まさか!魔族にでもなると言うのか!」
慌てるカイルに対し、ルイーザはあくまで可能性の話と冷静に指摘するだけで、シルドニアも黙っているところを見るとその可能性は否定できないようだ。
「俺は……どうなるんだ?」
カイルが自分の両手を、まだ人間の腕だが、いずれ変化していくのだろうかと不安そうに見ていた。
◇◇◇
その日の夕方、カイルは一人川面を眺め黄昏ながら、魔族領での滞在を思い出していた。
魔族領と言っても端の小島でしなく、僅か二泊三日で魔王の別荘である城以外ほとんど出なかった。
それでも色々あったし得るものも大きく、何よりの僥倖はあの黒翼の魔族との再会だろう。
あの黒翼の魔族の目的は魔王の座――ではない。あくまで魔王になるのは手段だ。
人族を集め生贄とし、魔力をかき集め過去に戻る為に魔王になろうとしている。
(……いつか知る機会があるのだろうか、奴が何をやり直そうとしていたのかを……)
懐内の『神竜の心臓』を軽く握る。
(しかし……どういうことだ?)
黒翼の魔族のことを考えると、かつて魔王として戦った時と比べ違和感を感じる。
違和感の正体、それは……
(あの時よりも……強い?)
黒翼の魔王と戦った時と、今の自分。どちらが強いかは自分でもはっきりとは解らないが、今の自分では勝ち目は無いのだけははっきりと解っている。
知らずのうちに力が入ったようで、握りしめていた頑丈な筈の木製の手すりが握り潰れていた。
「……この程度じゃ駄目だな。もっと……もっと強くならなければ」
強くなりたかった、例え何を犠牲にしようとも、その結果どうなろうとも。
落ちる夕日を見ながらカイルは一人誓った。
◇◇◇
行きは河を遡上したため七日だったが、帰りは五日ですみ、約半月ぶりの人族領、人の街であるバヨネに到着した。
マルニコ商会の船着き場につき、地に降りると帰ってきたという思いで、皆大きく安堵する
だが安堵もつかの間、すぐに凶報が届けられた。
ガルガン帝国帝都ルオスにて、第一皇子エルドランドが暗殺されたのだ。
これが後に人族領全体を巻き込む騒乱の始まりだった。
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