2015年は、中国の外交政策の転換点だったと記憶されるかもしれない。

 アジアの開発を担う国際銀行を自ら設立し、欧州へ通じる広大な経済圏構想も本格展開を始めた。パリであった国連気候変動会議(COP21)では、合意づくりを積極的に推し進めた。

 もはや、ぎこちなく閉鎖的な中国ではない。世界第2の経済大国として、国際秩序づくりを主動的にもくろんでいる。

 今年9月には浙江省杭州で主要20カ国・地域(G20)首脳会議がある。習近平(シーチンピン)国家主席は野心的な構想を示すのだろうか。

 ■相手が見えているか

 言わば新版の中国に対して、政府から民間まで日本側の姿勢は定まらず、戸惑っているように見える。中国がつくった国際銀行への対応をめぐる議論に、そんな動揺が表れていた。

 そもそも日本は、中国の実像を正確に捉える努力を十分に払っていると言えるだろうか。

 最近、中国経済への悲観論が出ている。経済構造にゆがみがあり、成長も減速しているのは事実で、中国を注視する市場が神経質になるのも無理はない。

 ただ、中国の変化は速い。重厚長大産業が落ち込んでも、サービス産業は急伸長している。ごく一部の経済指標などから、あたかも破局寸前であるかのように危機感をあおるのは、冷静な分析とは言えない。

 さらに理性的に考えなくてはならないのは、軍事的に台頭する中国との向きあい方だ。昨年の国会で政府は「安全保障環境が激変した」とあいまいに済ませる場面が目立った。

 不安や脅威としての中国像が増幅され、新たな機会を生む対中関係を探る論議は遅れがち。そんな現状は否めない。

 もちろん、対中認識を難しくする大きな原因は中国自身にある。意思決定の過程を見せない政治。自由にものが言えない社会。不透明さは周辺国の警戒心をかき立てる。

 さらに中国の対外発信は強烈なナショナリズムのよろいをまとっている。昨年は戦後70年。歴史が前面に出るあまり、日中関係の議論が滞った感もある。

 ■かつての日本の過ち

 つき合いに骨が折れる隣国である。だからこそ冷静さが必要だ。過小でも過大でもない等身大の中国の評価と、不確実性も織り込んだうえで互恵の関係づくりを描く思考を備えたい。

 振り返れば近代以降の日中関係には、日本が自己都合で中国を捉えた場面が多々あった。問題は、国益追求の仕方が近視眼的だったことだ。

 象徴的な例が、1915年の対華21カ条要求である。第1次大戦で欧州各国が東アジアから後退した機に乗じ、大隈内閣が満州での権益確保を袁世凱政権に認めさせた。中国では国恥と記憶されている。

 当時、日本で世論の大勢に異議を唱え、これを「侵略主義」「失策」と厳しく指摘したのは若き日の石橋湛山だった。日本の強引な行動が「帝国百年の禍根をのこす」と警鐘を鳴らし、満州権益の放棄を唱えた。

 石橋が見通した中国ナショナリズムの覚醒が、確かに100年後の日本を悩ませている。

 時代状況こそ違うものの、石橋から学ぶべきは、細心の注意を払った隣国への観察力と、長期的利益への想像力である。これらを抜きに安定した日中関係を構想することは難しい。

 ■国際協調への誘導を

 国内に多くの問題を抱えているとはいえ、中国が国際社会で影響力を増すのは必然だ。それが力任せの現状変更ならば拒まなくてはならない。だが、中国自身も国際社会の影響を受けて変わらざるを得ない。

 国際通貨基金の特別引き出し権(SDR)に人民元が組み入れられた。主要通貨の仲間入りをした以上、中国の金融市場の改革は国際公約となる。

 果たせなければ「5年後の見直しでSDR構成通貨から外される」と中国人民銀行の易綱副総裁は語る。彼ら国内改革の担い手は、中国がグローバル経済の受益者であり、国際協調が重要であることを知っている。

 一方、中国の指導層には軍を中心に対外強硬派がいる。中国の外交は、協調と強硬の間で均衡点を探る展開になるだろう。

 そんな中国の政策過程で、協調派に力を与える外交姿勢こそが日本を含む周辺国に必要だ。

 かつての日本がそうだったように、軍事的対立の先に活路はない。信頼を積み上げ、アジア地域で通商だけでなく安全保障秩序においても中国を組み入れていく方向が望ましい。

 新年早々、北朝鮮の核実験が東アジアを含む世界を揺るがしている。ここでも、中国を国際社会との協調に引き寄せられれば、危機を一つの好機に転じることになるかもしれない。

 50年後、100年後を見据えて考える力が試されている。中国との関係で問うべきは「どうなるか」ではない。「どうするか」である。