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(発行=09.04.15)
〝供養地獄の獄卒"大講頭・河原が死去
「日顕への奉仕は無益」を証明した腰巾着
「赤ん坊にも供養させろ」等と講員を苦しめる
日顕宗法華講の大講頭で京都・平安寺講頭の河原昭太郎が十四日、京都市内
の第二日赤病院で死亡した。享年八十歳。五年以上前から糖尿病の悪化で歩行
困難になっていたが、同病院の心臓血液センターに入院。心臓手術で足の動脈
を心臓のバイパスとして移植したが、腎臓も機能していなかった。体は水膨れ
状態で、足の傷口は裂けて悲惨な症状だった。
河原は東京の柳沢と同様、日顕の腰巾着で、四十年以上にわたって従属し、
北近畿地方部長や連合会理事を歴任。六人いる大講頭(他の五人は石毛寅松、
永井藤蔵、渡辺定元、石渡秀男、大草一男)の中でも日顕と最も親しい関係で
あった。
日顕との付き合いが長い河原は、日顕を喜ばせるためには供養を集めることだ
と知り尽くしていた。
そのため、平安寺の講頭、総代として講員から供養を搾り取って日顕に奉仕
することに専念。御講や班長会でも口を開けば「御供養せよ」と叫び続けてい
た。
例えば、昨年九月の御講で「供養する者は福十号とある。供養は御法主様の
言葉を信じて供養することで、仏様の言葉を聴くことだ。だから全員がやろう」
と支離滅裂の檄を飛ばしていた。
十一月の御講でも座ったままで「十二月に慶祝御供養がある。猊下をしっか
り守る、それは仏様への供養です」と語るなど「仏様」を悪用しての収奪であ
る。
特に、平成十七年五月七日の平安寺の班長会で河原は「供養した者の名前は
猊下に届いて、どこの寺の誰か、ということが分かる。だから赤ちゃんでも、
供養させていただく」と赤ん坊にも供養をさせろ、と強要していた。
講員は悲鳴を上げていたが、これこそ河原が「供養地獄で責め立てる獄卒」
と呼ばれた所以である。
また昨年、平安寺の前住職・椎名の葬儀の際、河原は「平安寺の建立当時か
ら学会は寺に嫌がらせをしていた」と暴言を吐いていた。
法華講の何千・何万倍も供養した学会への嫉妬だが、昭和三十八年に同寺を
建立寄進した学会が、嫌がらせをする筈がないではないか。
「鳥インフルエンザ騒ぎ」 の責任から逃避
平成十六年には「鳥インフルエンザ騒ぎ」があった。この時、河原は鶏肉小
売店や卸業者が加盟する「全国食鳥肉販売業環境衛生同業組合」の会長という
業者側の責任者であったが、何の手も打たず、マスコミの取材から逃げ回り、
日顕宗の寺に身を隠して被害を拡大させた張本人である。
また、同年三月八日付「赤旗」で河原が共産党府議団に「店に客が来ない」
と、泣きついたと報道された。(当時の写真、左側が河原)
河原の哀れな人生は極悪僧の日顕に奉仕し、精一杯、尽くしても何一つ功徳
がないことを証明しただけに終わったことである。合掌。
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