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「富士日興上人詳伝」から  43

 投稿者:メモリ  投稿日:2012年 9月30日(日)23時39分38秒
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※本投稿は私の感想です。、特に書籍からそのまま引用した部分は本文からとして分けてあり、その他の短い引用句は「」をつけて区別してあります。それ以外の文章は、私個人の感想を含みます。

今回も引き続き、日興遺誡置文の中の非時の一項目である。(他は省略)
今回は長文の引用ではあるが、日亨上人のお嘆きをそのまま転載する。

本文から
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一。先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては(たと)い一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事。

この条の見とおしは、凡僧の自分にはつきかぬる。なるべくは、一時的の現今の僧分の弊風とみて、その内自然に振粛して、宗祖開山時代の常態に帰るべきを祈るものである。大聖人は戒の相用を排斥せられたが、全然解放せられた無戒主義でない。五・八・十具の小乗戒を捨て、また十重四十八軽の大乗梵網戒を捨てられたが、無作の本円戒は残されてあり、そのための本門戒壇であり、その戒相の内容は明示せられてないが、小乗・大乗・迹門の戒相によらぬのみであり、それを無作と名づけてみても、けっして放縦不覊なものでない。
 開山上人がこの法度に「先師の如く聖僧たるべし」と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埒破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埒を誡めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の在家同然の僧行を認めたものでない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧侶と自負する者があるやに聞く。このていの放埒ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる。次に「時の貫首或は習学の仁」等の文は、難解である。「貫首」の二字は、明らかであるも「習学の仁」は、一応はとくに学窓に入っておる人で、そのために天台等の談所に遊学しておる人と見るべきで、それが悪縁に引かれて、女犯しても、還俗破門せしめずして衆徒のままとし、学僧としての当然の昇進を止め、また貫主の高位を貶して下位に沈まするということと解釈する外はない。こういうひじょうの事態が、かならず起こるべきとしてその用意に作られた法度では恐らくあるまい。(下巻p271)
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大石寺の現状がこの条目をいささかも守っていないことを批判している。
末法無戒の意義から、歴史的に今日のような僧侶があったわけではない。
僧侶になるのに厳しい覚悟が必要だったのに、明治以降のことである。
日亨上人が、「明治維新になってこの扱いが解放せられ、各宗僧侶の反省も、努力も、熱誠も減退して、しだいに成り下れる今日の否運の僧侶の状熊」と解説されている。

「在家同然」の生活で「たんに袈裟衣を着てるだけの違い」しかないのは「放埓」だと。
そんな人間が宗門の「標準」と成り下がってしまったと。

つまり日亨上人から見れば、長い大石寺の歴史の中で、妻帯など、自身を律しない放埓な僧侶によって占められるは異常事態なのだ。覚悟や志は何らかの形で表現するしかない。僧侶であるいうなら、着物の装着だけで何かが変わるというような陳腐な論を展開しないでほしいものだ。そのような制服の着用が全てであるかのような表現がまかり通ること自体が異常である。

また最後の一文にあるように、この項目も、このような非常事態が必ず起きると予想できたわけではない等と言われている。現実に起きているのに。もう一度、前々回の、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば・・・」を見てみよう。
この日亨上人の文章から、どうして法主が仏法において間違えることがないというような主張が生まれるのだろう。
見るべきものを無理やり伏せて反対の意味を付ける、そういう態度は、人を騙している詐欺師である。

近年の妙観講発と思われる主張では、ここの項目を全く別の意味と捉えている。解釈の違いは不足すぎるのであえて言及しない。それよりもこの日亨上人の御指南に相反して、彼らは平成3年以降にその解釈を創出したことを念記しておきたい。
つまり時代の状況に応じて教義を変えたのではなく、先師の言葉を捻じ曲げることにしてそれを恥じてもいないのだ。

 

 
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