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大石寺の重宝が無いことについて。
日精上人批判、第十一回目。
以前に大石寺に重宝がほとんど無いことを述べたが、それは歴史の事実である。
歴史的な経緯を重んじれば、別に無いなら無いでよく、取り繕うべきこともあるまいと思うのが常人である。
ところが、本当は元々はあったのだが、それを全て盗まれたのだと語り出す人物がただ一人いた。
元々どうしてあったのかは問わないでほしい。
とりあえず盗まれたのだという。誰に?そこが重要だ。
本文では日目上人の御本尊が散失したことが話題の中心であり、話のついでに日精上人の記述に触れている。
そしてあまりに馬鹿馬鹿しさ故か、もう日亨上人もいちいち繰り返して指摘はしていない。
本文では「精師の記は精密に過ぎて過大に失するが、なかには誤聞の辺もあろうに」の一言で流している。
なので元となる引用の文献(富士宗学要集)のほうの記載を交えて説明する。
日目上人は、最後の京都への旅の伴には日郷と日尊の二人を選び、その途上で遷化された。
日精上人の記述では、その御遷化についても、まるで見てきたように詳細に劇画仕立てで述べている。
日亨上人の「精密に過ぎて過大に失する」とはまず、ここを指すのだろう。
その次に日精上人は、日目上人から日郷に付属した相承書があるということを取りあげてそれを揶揄する。
大石寺の主張では、日目上人は第4世の日道上人へ付属したことになっているのだが、こちらにはその証拠は無いからだ。
そして日精上人がそんな日郷への相伝書は見たことが無いが、本当は無いに決まっていると述べられているくだりで、日郷がそういう嘘で諸人を騙したことについて(日精上人が想像した)その理由の陳述を、この日興上人詳伝で取り上げている。「其の故は・・・」からで始まる。
本文から
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「其の故は日目所持の本尊御書等取るべき為の手段なり、其の証拠は十八鋪の本尊並に御筆の御書三百十余、天皇鎮守の神ひ等其外の三筆の御聖教一字も残さず沽却し畢り皆他宝となる、○」(富士宗学要集第五巻宗史部①二四一ページ)とあるにて知られるが、精師の記は精密に過ぎて過大に失するが、」(p219)
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※
日精上人が言うところでは、日郷が相承を受けたと言い出した理由とは、18の御本尊、大聖人の御書を数百点などを大石寺から奪って我が物とするためだったのだということだ。
もちろん引用文献のほうには日亨上人は、「此ノ伝説皆誤ルナリ」(富要5-241)と記されているとおりである。
特に根拠も無い創作話に過ぎないと。
また「精師ノ数フル如キ多数ニハアラザルナリ」(富要5-242)と。
元々大石寺から散失したのがそんな多数なわけがないというのが日亨上人の見解である。
しかし、思わず息を飲むのは、日精上人のこの発想である。
富士日興上人詳伝の本文ではこの文章の後は、すぐに元の日目上人の話題に戻ってしまうが、富士宗学要集の方では日精上人の文章の続きにはこうある。
「是れは道心深からざる故か、又非理を表と為る故に本尊悉く紛失して之れ無し、無慙無愧の報ふ処是れなり、後代の仁、道心を専として修行すべきのみ」
つまり日郷は信仰心が無かったのでそういうことをやったら、やっぱり本尊等を紛失してしまった。無慙無愧の報いだと。
後代の人は道心をもって修行しなさいよと。
もちろん、この人物の供述内容を日亨上人は「謬論」としているのだが、問題なのはその発想である。
散失を嘆かれ、何としても富士に戻したいと願いつつ、後世の人に託した日亨上人だが、日精上人の場合には、虚言を交えた上、その散失を嘲笑うかのように「無慙無愧の報」だと言ってのける。「それみたことか」といった感じである。日郷がどうであろうと御書が残っていてほしいというニュアンスはさらさらここの文章には感じられない。日精上人にとっては自分の手元にあるかどうかが重要だと、そういう感覚だったのだろう。
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