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「富士日興上人詳伝」 32

 投稿者:メモリ  投稿日:2012年 9月19日(水)22時47分34秒
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  日興聖人はやがて大石寺を後にされて重須に移られた。
永仁六年(1298年)とされるが、『重須本門寺三堂の建立の歴史は、複雑にして一定しがたく』と、これも研究対象にある。
重須では談所も開かれ、多くの弟子を育成されたのは事実であるが、そもそもこの重須の位置づけすら不明なのである。

主要な宗義の一つ一つについて、誰も明らかには出来ないのだ。
さらに、この重須には種々の文献に登場する「三堂棟礼」と言われる一尺五寸の大きさの特別な板がある。
それには、三堂(御影堂・本化垂迹天照太神宮・法華本門寺根源)というものを一時に造営すべきと記載されている。
三堂の建立は「興師の御理想」(下巻p71)であったとされ、このうち法華本門寺根源とは本門寺を示唆する言葉である。

この特別の意義を持つ書板に書かれた内容をどのように理解してよいのか、その答えがない。
これが何であるのか、棟板であれば堂に掲げるべきであるが、一つしかないものを三つの堂には掲げられない。

本文から
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この棟札も、本門寺根源の大聖人の御額も慎重に研究の余地あるではなかろうか。それは、ここには論弁することを見合わするが、現在の材料より見るに、明細誌には「三堂棟札」と表明し、日順雑集にはそれを単に「垂迹宮棟札」と記しており、ともに始めて御崇敬の国主が一時に造立すべく御開山が念記せられおり、しかして御棟札は三堂のいずれに安置せられたであろうか。紙ならば棟にただちに帖られずに、とくに御示し書として保存すべきで、三堂共通一枚でよかろうが、薄くてもとにかくに板であるから、共通では安きようもない。そこで三堂とも垂迹堂ともいわれたものであろうが、御影堂の証文は(後に出す)開山上人の御記にもあるが、本門寺根源のことは開山の正文書に一片も見えぬ。(下巻p71)

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研究していくことは重要であるが、今更、日興聖人が本門寺についてどのように決められたかが判明するものだろうか。
失われたものの多くは返ってはこず、どの宗派も歴史の淘汰を受けていかざるを得ないのが現実である。

先にも述べたが日興上人が御本尊を本門寺に集めるよう遺命されたのに、もう取り返しのつかないことになったのと同じである。
日亨上人はこれについて、この章でも再び触れており、御自身の反省とされている。
昨今の法華講員が述べるような「他山のことだから関係ない」とは意識に隔絶の感が有る。
特に日目上人の御本尊が流れたことについては、さらに後の章でも心情を述べらるが、ここでは略す。

本文から
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ことに「本門寺建立の時は本堂に納め」等とは、上の多数の御本尊の御加筆の御意と全然一体なるではないか。ただし、この万年の末の末まで尊むべき大思想に破綻をきたしたのは、広宣流布の期をいたずらにおくらせた大原因でありと、深く反省せねばなるまい。(下巻p77)

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破綻したのだと。
どこでもそうだが宗教団体の歩む道は、文献に決められた道をただ歩むというような安直な姿勢で事足りるのではない。
宗教団体は考えて進むしかないのが現実だ。

文献が何を証明してくれるというのか。
宗教団体が語る、いわゆる文証など、科学的なレベルで証明できる歴史など何一つありはしないように思える。
文系の学問では仮説や証明が甘い共通認識の上に成り立っていることをよく知るべきである。
真蹟などとは言っても筆跡を真似る人がいないという共通認識の上に成り立っているだけで真実の証明とは遠い。
文献ができる証明とは、世の人の共通認識の上で、歴史の経緯を継承しているかどうかである。
今日の誰かの思惑で作られた教義ではないと。それこそが重要で、そこにしか文証の意味は見出せない。
それ以上に過度に期待するのは、無理があるというもので、結局のところ、何が正しいかどうか、それは文献が自ら証明してくれるものではない。
 
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