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かっての日蓮正宗では日蓮大聖人を御本仏としてきた。現在も御本仏である旨を主張してはいるが、本質は消失したようにも思える。法華講員はおそらく何もわかっていないと私は思っている。なるほど、昨今の偏重した法主観のもとで屈折した教義では、御本仏とは言ってはみても実感なんかがあるわけがない。結局のところは、釈迦より偉い仏というような認識でしかないようだ。私がここで言いたいのは、教義はともかく、その意味するところの実感が彼らには無いのだ。文献のある無しにかかわらず、日蓮大聖人の仏法の最も躍動した思いを受けるところ、最も信仰に歓喜をもたらす、その事実を彼らはまるで知らない。
いったい御本尊に何を祈るのだろうか。信仰で何を目指すのだろうか、信仰の原点は何か、そこを問うべきではなかろうか。
文献の有無は重要ではあるが、そこは仮にだ、たとえ仮に無くても、周辺の教義から行き着くところ、当然にその存在に気付くべきものだと思う。でなければ万人の共感などありようもないではないか。
話が少しそれてしまったかもしれない。本文のほうは、富士門下から見た富士の意義を辿るところである。
世間では、上古に宗祖を本仏とする文献はなく、正式に宗祖を本仏と置いたのは日寛上人の文献が最初と言う。
日亨上人はそうではなく、たとえば日順の書からも宗祖を本仏と見る向きが自然であったことを述べている。
本文から
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『正史料 表白(日順)(日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三一七ページ、富士宗学要集第二巻宗義部①一一ページ)
○、我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍って日本と名く、富士山をば或は大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人大本門寺建立すべき故に先き立って大日山と号するか、将た又妙法蓮華経を此処に初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山と名づくるか、初め西より東に至るは猶ほ月の生ずるが如し、今亦東より西に伝ふ日の昇るが如しと云ふも実なるかな、(以下略)』
「我朝は本仏の所住」云云の本仏の二字に注意すべし、宗祖本仏論は後世の発展のごとく誤評する釈迦本仏・一大円仏の空想教団の人々を深く味識せられるべきである。(下巻p40)
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ところで富士門下では、大聖人の御事跡を継ぐべき宗派の名称は、「日蓮宗」だったようだ。
本文から
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『正史料 本因妙口決(日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三〇六ページ、富士宗学要集第二巻宗義部①七八ページ)
第十一に彼の弘通は台星所居の高嶺なり、此の弘経は日王能住の高峯なりと書く心如何、答ふ彼の弘通は台星所居の高嶺とは天台大師・漢土の天台山に於いて弘め給ふ彼の山の名を取って天台大師と云ふなり、此の弘経は日王能住の高峯とは富山をば日蓮山と云ふなり、彼の山に於いて本門寺を建立すべき故に日蓮宗を立て給ふ事なり、彼は迹門の本山是れは本門の本寺疑ひ無き者なり、○。』
第十一とは、天台家と日蓮宗との種々の差を、二十四番に分かって劣勝をわけたまえる日興上人の御義の解釈の中の十一番目である。(下巻p41)
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この他の大石寺の文献にも日蓮宗の名称が散見される。
今日では大聖人ではなく天台門下を名乗った門末が「日蓮宗」を名乗っていることは、考えてみれば皮肉なものであるが、今更に現代の日蓮宗以外の宗派がその名称を使いたいとは誰も思わないだろう。しかしもし名称にこだわるのならそういうことである。日蓮正宗という名称も、一を止めて云々とは感じ遊びでしかなく、特別な意義らしきことを聞かされるが、単に「日蓮宗」の名前が使えなかったから日蓮正宗にしただけのことでしかない。
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