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酒席に興じて女性に絡むような人物は、大聖人の遺志を継ぐ者ではない。
大聖人亡き後、日興上人以外の五老僧は、日興上人に反逆してしまう。
日亨上人はこれに一章を設け、20頁にわたって文献から客観的に述べられている。
教義上の相違だけでなく、五老僧の一人、日向についてはその所作もおおいに問題としていた。
日興上人は、日向の人となりを「邪見奇異」と表現している。
本文から
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正史料 原殿書(日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集一七〇ページ、富士宗学要集第八巻史料類聚①一〇ページ)
(前略。『尚民部阿闍梨の邪見奇異に覚え候』の段から引用)
入道の室内にして一日一夜説法して布施を抱え出すのみならず、酒を興ずる間、入道其の心中を知って妻子を喚び出して酒を勧むる間酔狂の余り一声を挙げたる事、所従眷属の嘲弄口惜とも申す計り無し、日蓮の御恥何事か之に過ぎんや、此の事は世に以って隠れ無し人皆知る所なり、此の事をば只入道殿には隠し進せては候へども、此くの如き等の事の出来候へば彼の阿閨梨の大聖人の御法門継ぎ候まじき子細顕然の事に候へば、日興彼の阿闍梨を捨て候事を知らせ進せん為に申し候なり。(上巻p233)
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※
酒席で女性にお酌をしてもらいながら一声を挙げたとのこと。
一声の内容が不明であるが、世間の「人皆知る所なり」というほどだから相当なことであったのだろう。
日興上人はこれをもって「大聖人の御法門継ぎ候まじき子細顕然の事に候へ」と評し、日向を捨てると宣言される。
波木井氏はもっと早くに教えてもらうべきだったのか、この後、いろいろと逆恨みを述べた手紙を日興上人に送ることになる。
そして、これは過去のことではない。日亨上人はこの結びで手厳しく言われている。
本文から
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不謹慎極まることで大聖人直門の高僧の所行であれば、ただちに宗祖の御面目を汚すと憤慨せらるるはとうぜんのことである。あながちに時代の清濁を考慮し過ごして寛大に付すべきではなかろう。末法無戒を変に勝手に楯に取って、自他ともに問題にせぬようになりてはおしまいである。あさましさを通り越して、破法潰山の道に猛進しつつあるのである。(p236)
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僧侶の不謹慎な所作を誰も問題にしないようでは終わりなんだと。
「破法潰山の道に猛進しつつあるのである」とのお言葉がどのようなお気持を指すかは明白である。
つい周囲に漏らした言葉ではない。当時の大石寺を見て破仏法の方に進んでいると大白蓮華誌上で公言されていたのである。
そんなことを期待されても無理というもので、今日、僧侶と一般人に振る舞いの差など何もありはしない。
「日亨上人。」
今日、貴方のように研究に勤しむ人も、迷酔の相手にどこまでも正義を語る人も在家にしかいません。