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本弟子が定められた重書は、「御遷化記録」と言われており、日蓮大聖人が亡くなった折のことが記録されている。
大聖人が亡くなられた時はどのようだったのだろうか。
以下、大聖人の入滅と葬儀について
本文から
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正文書 御遷化記録(日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集一〇二ページ)
『○、同十三日辰の時御滅 御年六十一 即時に大地震動す、同十四日戌の時御入棺 日朗日昭 子の時御葬なり。』(上巻p202)
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大地が震動したと。それからお葬式をやって・・・。
本文から
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一、御葬送の次第
先 火 二郎三郎 鎌倉の住人、次に大宝華四郎次郎 駿河国富士上野の住人
次に幡 左四条左衛門尉 右右衛門大夫 次に香 富木五郎入道・・・・』(上巻p202)
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ところが、その次には御葬送として、身延まで御遺灰を持っていく葬送行列の様子がずらりと続く。
日興上人も行列の中ほどの左側に見える。
そしてこれが一般に葬義のように言われているが、実際にはこれは葬送行列である。
あれ?お葬式は?
当時の儀式の詳細は分かっていないが、亡くなられて火葬にされ、御遺灰を身延まで大行列で皆で持っていったようだ。
この「御遷化記録」には、葬送行列についての記述の詳細さ、御遺物の処置などが記載が、かなり詳細なだけに、入棺から御遺灰の行列が出発するまでの葬儀内容そのものについて記録が無いのかが目に付く。
葬儀の儀式つまり形式は取り立てて重要ではなかったのであろうか。
時代を超えての重要な儀式であれば記録がないのはおかしい。社会状況に合った形式でよいとしか解せない。
今日的な感覚での葬儀内容が重要では無かったことだけが、印象づけられる。
そんなものよりも身 延までの葬送行列の歩き方のほうが重要だったのだ。
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