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大聖人は、遷化される数日前に、六人の高弟を定められた。
これが有名な、六老僧である。
六老僧というのは後世の通称であり、日興上人の正本には「本弟子六人」と記載されている。
その真筆は今も西山本門寺に保管されている。
本文から
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正文書 御遷化記録(日蓮宗宗学全書第ニ巻興尊全集興門集一○一ページ。富士宗学要集第八巻史料類聚①ニペーシ)
○、十月八日、本弟子六人定め置かる(此の状面々帯すべし云云。日興一筆也)
定、一、弟子六人の事不次第
一、蓮華阿闍梨日持 一、伊 代 公 日頂 一、佐土公 日向
一、白蓮阿闍梨日興 一、大国阿闍梨日朗 一、弁阿闍梨日昭
右六人は本弟子なり仍て向後の為に定る所件の如し、
弘安五年十月八日 (上巻p186)
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※
特に注目すべきは、その六人をわざわざ、「不次第」であるとして、順位がないとされていることである。
念を入れたことに順番は、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の入門の逆で並べられてある。
ここに日興上人の優位性はまったく見られない。
富士門徒は、当然ながら、2つの現実を直視することになる。
文章を見る限り、日興上人が特別な弟子としての記載が無いことである。
もし、日興上人が二箇相承によって、仏法の全てが付属されたのであれば、ここに伝えなかった理由は何だったのだろうか。
もう一つの現実として、このうち五老僧はすぐに退転して、天台門下などを語るようになる。
なぜこんなにもあっさりと退転する人たちを、大聖人は本弟子だと決められたのか。
日弁が上人とされたのに退転したことも同じである。
大聖人が本弟子として後事を託したからといって、何か特別なものが流れるわけではないことを改めて認識したい。
大聖人は、人間的な信頼によって後事を託したのだ。
それを「仏の言ったことなのに外れるのか」などと思うのは、それこそ的をはずれている。
大聖人も座して、「仏言が当たるんだろうな」とか言ってたのではなく、仏語を虚妄にしないために必死に戦ったのだ。
虚妄にしないため行動するかどうか、そこが信仰の本質であり、またそこでしか信仰は理解できない。
託されたりしたらそれだけで大聖人側の人なのだと期待している人は、アテが外れてもがっかりしないようにしてほしい。
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