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みんなが、「あればいいな」と思っているものを出してくれるのが日精上人。みんな、よかったね。
日精上人批判、第九回目。
大聖人、あるいは日興上人が著されたものとして、御義口伝、百六箇抄などの重書がある。
だが、正本はいずれにも見当たらず、その文献学的根拠については現在でも真剣な研究が為されている。
だが、ここにただ一人、その模様を年月日付きで詳細に説明した文書を著した人がいる。
しかも軽く、御真筆もちゃんと「重須」(他宗)にあるのだとまで言っている。
日精上人の文書である。
本文から
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『参考史料
日蓮聖人年譜(富士宗学要集第五巻宗史部①一三四ページ以下)
日興度々聞を集め部帙を成して御義口伝と名つく亦日興記と号するなり。
二年己卯、日興三大秘法決を筆記、○。
五年壬午二月、○、本尊七箇決、教化弘教七箇決、日興に伝授したまふ又、補処遺状日興に下ださる。
三年庚辰正月十一日、血脈抄(百六箇)上下日興に賜ふ亦本尊の相伝之れ有り、○。
参考資料
家中抄上(富士宗学要集第五巻宗史部①一五三ページ)
(略)
合して二百廿九箇条、其の外度々の聞を集めて日興記(編者注:御義口伝)と名く、
これ聖人編集の註法華経に就ての口伝なり (御筆今重須に在るなり)、○、
(以下略、この後も百六箇抄、本尊七箇口決、本因妙抄などが続く、、、、)』(上巻p173)
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これに対して日亨上人は手厳しい。
一言で言えば、日精上人のただのウソだろう、というものである。
鼻からまるで信用されていない。
本文から
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精師の年譜および家中抄の文詳細なるようにて過不及あり。
すでに前に記するがごとし。読者の検討を乞う。
ただし御義口伝にいたりては、興師に限りての要目にあらざれども、
その正本が重須本門寺にありとは、果たして本師一見したる上の記事なりや。
重須古今の記録等に、御義口伝を珍蔵せりということを、いまだ見聞せず。
予が文庫に精師筆と見るべき御義口伝上巻(首尾共欠)一冊あるが、
重須正本ありとしてより写したりと見るべき所のもの、さらになし。
あるいは師の誤聞にあらざるやと思わざるをえぬ。(上巻p174)
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『過不及あり』だと。勝手に想像で説明しているのだろうと。
だからその評価はいきなり、『前に記するがごとし』なのだ。もう今までと同じだよと。
もちろん日亨上人が日精上人に信頼を寄せた評価などは前を見ても一度もない。
前にいったように妄想の類だろうと言われているのである。
いきなりのこの結論なのだから、日精の信用度がよくわかる。
さらに御義口伝の正本が重須にあるとしたことについても、日亨上人の評価は迷いが無い。
「果たして本師一見したる上の記事なりや。」である。
あっさりと、まったく、日精は見た上で書いているのか、と疑いをいれるのが正しいのである。
そんなものは重須にもないんだと。
そして最後にはあまりに可哀想になったのか、もしかしたら「誤聞」かと思いたいと述べている。
誤聞では済まないことはその上の文章で明確である。文脈からすると、日精上人の嘘でしかないが、
あるいは日精上人は風聞を信じたのだというふうに思いたいものだということだ。
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