スレッド一覧

  1. アルベア論(65)
  2. アラシ行為記録(21)
  3. 正義のあかし(47)
  4. 虚構の大石寺疑惑(3)
スレッド一覧(全4)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:30595/34851 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

「富士日興上人詳伝」 17

 投稿者:メモリ  投稿日:2012年 9月 4日(火)21時44分27秒
  通報
  17
今回は少々長い。

日精上人批判の第八回目となるが、今回は要法寺の日辰師が登場する。
今回の日亨上人の考察は、かなり長いので、今回は要点のみをまとめた。

日蓮大聖人の最晩年、その正義を天皇に知らしむため、日興上人は日目上人をして天奉に遣わした。
実際に京都に向かったのは日目上人で、2回目のおりには園城寺の碩学の批判について対応した可能性もある。
その結果、そのときの天皇は、大聖人への帰依をほのめしたらしい。

日目上人の功績は大きく、日興上人は御本尊の脇書きに賞賛文を記して日目上人に与えた。
日目上人を讃えて、「最前上奏の仁」、「新田阿日目に之を授与す一が中の一弟子なり」と。
そのあとに日道上人がちゃかり自分の名前をわざわざ書き加えたたことを日亨上人が取り上げたことは前回に述べた。

要法寺の日辰が、この天奉について記録している文章を、日亨上人は今回は取り上げている。
日辰のそれは内容が十分ではなく、また「疑わざるをえぬ」部分もあるが、日亨上人はそれを少しも軽んじていない。
重々の推測を加えて、「望蜀」という言葉まで用いている。
日辰は造仏を主張し大石寺にも影響を与えた人物であるが、日亨上人は怪しむところがない。
日辰への評価は「文筆にていねいなる日辰」である。
そればかりか、日辰を見習えといわんばかりの文章で終わっている。

本文から
========================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

辰上がその要山の開山日尊を貴重する念より目上を尊重するごとく、またそれ以上に興門の眉目をまた一宗の名声を明らかに顕に高揚すべき法孫の義務なのである。(上巻p169)

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
========================================

日辰は日目上人を尊敬していたからこの記録があるのだと。
この一宗の名声である日目上人の功績をを高揚していくことこそが、法孫の義務ではないかと。
これは誰に対して言われた文章なのか。日目上人の名声を高揚しなかったのは誰なのか。
答えはそのすぐ後に出てくる。

その直後には日精上人の「日蓮聖人年譜」と「家中抄」が伝説資料として取り上げられている。
日亨上人の残念な気持がこちらにも伝わってくる。

本文から
========================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

『伝説資料 日蓮聖人年譜 精師(富士宗学要集第五巻宗史部①一三八ページ)
薗城寺の申状を以て奏聞したまふ御使日興日目なり天奏の最初也。

伝説資料 家中抄上 精師(富士宗学要集第五巻宗史部①一五四ページ)
同(弘安)四年には聖人薗城寺の申状を書いて日興に給ふ、日興、師の御代官として奏聞の使節を勤めたまへり是当家天奏の最初なり其の後日目等相続して奏聞す。』(上巻p169)

『伝説資料 同じく家中抄中(富士宗学要集第五巻宗史部①一八四ページ)
又大聖人の御代官として奏聞の最初なり 奏状は大聖人の御自筆薗城寺申状是なり 第二度目の奏聞には御下し文ださる遺状に薗城寺の下し文と有るは是れなり、○。』(上巻p170)

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
========================================

日精上人の記述は、支離滅裂な点があるが、最初の天奉が日興上人に代わって日目上人であったことすら記載されていない。
日亨上人は、まず最初から「薗城寺の申状」としている点を『いかがのものなりや』と苦言を呈している。
日精上人は、要法寺の主義を石山に輸入した人物でなのに、いつもはその『日辰の説を無検討に』ありがたがって載せているくせに、
どうしてここだけ日辰の記録を少しも見習わないのかと。

高祖開山の代わりとして日目上人が天奉を行ったという大事な記述部分を、何の説明も無く削除して、目師を軽んじて
他の表現に変えているのは、『何のためなるや。』と疑問を呈して言われている。

そして勢い止まらず、さらに家中抄の日精上人の記述を一々挙げられて指摘されている。

本文から
========================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

さらに直見したこともなかろう申状に「大聖人の御自筆」なんど無用の念注を挿入せられたことと、
「遺状に薗城寺の下し文」といわれた、その遺状とは、何であるか。
同師の筆に写りしものの中で「日興跡条々の事」の中には、この文は見えぬ。
三師(目、仙、善)誡状の中にはあるが遺状ではない。(上巻p170)

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
========================================


と、見たこともないくせに「大聖人の御自筆」とウソを述べていることを、「無用の念注」と侮蔑を込めて戒めておられる。
そして突然さらりと言葉に出てきた「遺状」について、先にも述べたが日精上人が書いた「日興跡条々の事」では削除しておいたくせにとお怒りである。読者諸氏が何でもないよと言っても日亨上人はここで「何であるか」と繰り返し糾弾されている。

そして最後に、日亨上人は日精上人の評価をこう結論する。これが非常に手厳しい。

本文から、
========================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

要するに、いかに考えても、同師はこの史実について確固たる物をつかんでおられぬから、後の研史より支離滅裂のありさまに見ゆるをいかにせん。
いわんや、これに影響せられた以後の諸記に至ってはなんらの検討を加えずにありがたがってるものばかりであるが、ここでは一々引き出して煩わしく正誤せぬことにしよう。(上巻p170)

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
========================================


日精上人は、結局のところ、相伝書を見ていても、「確固たる物」をつかんでいないのだと。
日目上人を尊敬した他山の造仏家の日辰を見習えとまで言われているのだから情けない。
そしてついに、日精は「支離滅裂」だと、もうここまで言われてしまってるのである。
最後には、この日精上人の嘘が後世に大きな影響を与えてしまったが、煩わしいので相手にしないでおこうと。

日辰師と日精上人の両方の評価を対比してみれば、造仏思想家であったかどうかだけで人を見誤ったというような、日亨上人の人物観を見下した拙速な評価をなす人々には、まるで真実がないと思って当然である。

それにしても「支離滅裂」と評価された法主って。
 
》記事一覧表示

新着順:30595/34851 《前のページ | 次のページ》
/34851