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本書はそれほど分厚い書物というわけではないが、実に過去の学会観等、様々な誤解に光を届けられる点が多い。
これほど多いのは重箱の隅をついているわけではなく、正直、日精上人の誤りについてもかなりのところを省略している。
大白蓮華の発表時には日精上人の批判はさらに多く、書籍の段階で削除されたそうであるから、これでも控え目 である。
当時に学会で連載していた大白蓮華は、今のようには内容も重層的ではないから、毎月掲載されたこの隠尊猊下の御指南と言うべき数ページ分は、どれほど心から喜んで迎えられただろうかと思う。
なにしろ読みやすいし、わかりやすい。
今回は、大石寺第4世、日道上人を指弾されておられる。
日亨上人は、この日道上人の著した三師伝の記述には間違いが多いことを指摘されながらも、
「捏造、故造の悪筆ではない』、「深くとがむるにもおよぶまい』(上巻p146)と言われていた。
だが、日道上人は、あちこちの御真筆に自筆を書き加える癖を持っていたようで、日亨上人は嫌味を言われている。
本文は、日興上人が書かれて日目上人に与えられた二つの御本尊について。
本文から
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『正文書
興師御筆曼荼羅の授与書 保田妙本寺所蔵(富士宗学要集第八巻史料類聚①ニ○六ページ)
元亨四年十二月二十九日、最前上奉の仁卿阿闍梨日目 (道師加筆) 日道之を相伝し日郷宰相阿に之を授与す。
正文書
おなじく興師御筆曼荼羅の授与書 大石寺所蔵(富士宗学要集第八巻史料類聚①一八八ページ)
正慶元年十一月三日、最初上奉の仁、新田卿阿日目に之を授与す一が中の一弟子なり、(道師加筆) 日道之を相伝す。』(上巻p165)
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と、まず日目上人へ与えられた御本尊の授与書に、日道上人が、後から書き加えた事実を挙げられている。
これを法主なのだから何をしたっていいのだろうと勝手に想像してはいけない。
法主であった日亨上人の感想を、そのままに受け止めるべきである。
本文から
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それから道師が目師の跡を受けられて、この御本尊に加筆せられたのも、また諌暁八幡抄(御正筆)の末にも、目師御写の法華題目抄(いまは陸前の柳目妙教寺にあり)の末にも、その外にもあるが、これまったくごていねいの意味であるが、さいわいに道郷問題解決の方便となるのもある。(上巻p166)
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日道上人は、御本尊以外にも、大聖人の御書にもよく加筆していることを指摘されている。
諌暁八幡抄など、「私は読んだよ」とでも言うつもりか、何のためのサインか、誰がみても不遜である。
日亨上人は「これまったくごていねいの意味である」と嫌味を言われてる。
もし先師が加筆されたものが意義深しと思えば、「これまったくごていねい」などという表現をされるわけがない。
さらに「さいわいに」と続くことでやはり「ごていねい」が嫌味であったことを強調されている。
「ごていねい」と心から喜んでいるのなら、「~が、さいわいに~方便となるのもある。」とは続かない。
ここでの方便とは、本来は意義が無い、ただのいたずら、自己主張であったとの意味である。
それがたまたまだが、結果的には史料として日郷との紛争の研究には役立ったのだということである。
第四世といえば、日目上人の次で、毎日の御記念文にも見えていた法主である。
これを見て学会員はのけぞったのだろうか。だからそんなことはない。歴史を曲げているのは誰なのか。
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