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熱原の法難で、日興上人と共に活躍した僧侶に、日秀、日弁の二人がいる。
この二人は、法難の後に、大聖人から讃えられて、上人号を賜った。
今回はこの上人号について注目したい。
昨今では「上人」と名前が付けば、まるで錯誤のない特別な人ととる風潮があるので実に滑稽である。
本文(大石寺第4世 日道上人が記述した「三師伝」を引用)
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『さて熱原の法華宗三人は頸を切られ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に
遊ばすのみならず日興の御弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ、
大聖人の御弟子数百人僧俗斯の如く頸を切たるなし、又上人号なし、』(上巻p145)
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※
このように大々的に「上人」とされたのである。他にはいないと。
大聖人が上人と認めて、そう称されれれば、どれほど立派な人なのだろうか。
しかしである。
このうち日弁のほうは、この後の「弟子分本尊目録」に、「弘安年中白蓮に背き了ぬ」とあるように異流義を立てて退転したとされる。
大聖人から「上人」とまで呼ばれ信頼された僧侶なのに、あっさりと退転しているのである。
役職や肩書きが付いたり、あるいは呼び捨てにされることで何か人物の中身が変わるわけではないのだから。
大聖人からの信頼は、人間的な信頼であって、なにかの保証制度ではないことはここからも明確である。
どのような人物も縁にふれて変わりうる可能性があるという十界論ぐらいは早く身につけてほしいものだと思う。
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