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日興上人の弟子分与帳によると、門下には多くの御本尊が与えられたが、それらの御本尊の大半は散失した。
ところで、日興上人はそれらの御本尊の脇書きによく「本門寺の重宝としなさい」と加筆されていた。
日興上人は、本門寺が立つ時には、それらの大聖人の御本尊を集めて重宝としなさいと遺命されたのだ。
本文から
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とにかく余の五十幅の行くえ不明の原因は、いまでは想像もつかぬ。
富士の開山上人は、大聖人の御本尊をおいおいに収容して、将来大理想の富士の大本門寺の重宝たるべしとの御意で、縁由ありしときに可為本門寺重宝也の添え書をなされたので、いま現存するもの多々ある。(上巻p110)
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だが残念ながら、現在、この世に残っているのは、わずかに十六幅のみである。
日興上人の御指南を果たすことはもう出来ない。
そればかりか他宗に渡った御本尊は、意図的に日興上人の添え書きそのものが抹消されたりしてしまっている。
本文から
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いまはようやく自門(富士)に九幅のみ現存して、信仰を異にして謗法の徒輩とあなどる他教団に七幅も厳護珍蔵せられておるが、中には富士に反感を持つためにか、わざと興師の添え書きを抹殺したものもある。(上巻p110)
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という現実をよく見つめるしかない。
ほとんど多くを失ったばかりか、添え書きを抹殺されたりもした。もう戻りはしない。
日興上人が将来のことを決定されたにもかかわらず、これは実現されなかったことの一例である。
歴史が綴られていくるのは厳然たる事実で、手放しで仏法が興隆していくわけではない。
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