|
|
日精上人批判第4回目。
日精上人はあまり古文献を読めなかったらしい。宗門の最も詳しい歴史書を書いているにもかかわらずである。
こう言うと、「さすがにそれは言いすぎだろう。」と思われる人もいるかもしれない。
それは本書の最後に複数の事実から判断された日亨上人の結論であるが、ここもその証拠の一つとなる。
本文は日興上人が、伊豆地方に行かれた時、虎王丸(後の日目上人)と出会うところである。
日亨上人によれば、後世の伝説のような偶然の出会いではなく、紹介されたたものと推測されている。
大石寺が所蔵する大聖人の御正筆の一つ、新田殿御書(御書p1452)の最後に、
『五月二十九日 日蓮在御判 新田殿御返事並に女房の御方』
とあることについて。
本文から
===================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
この御状の中の「並に女房」とあるを「曽如房」と読み誤り、
その「曽如房」を日目上人とせし重々の誤読をしたのは日精上人である
(富士宗学要集第五巻宗史部①一八七ページ)。
天註に批正しておいたが、まだ本文にも多少の誤読がある。
今から三、四百年前で大聖人に近き世の人で、この誤りは宗門の不面目である。』(上巻p81)
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
===================================
※
つまり今度は日精上人が虚言を放ったとか、そういうレベルでもない。
日精上人は大聖人の書かれた文字すらまともに読めなかったのだ。
しかも誤読した上に、その単語を日目上人のことにしてしまって、涼しい顔をしてしまったのあるから、
単に無学だったとか、ぼーとしていて誤ってしまったということではなく、かなりいい加減な人物なのである。
宗学要集の方も見ると、同じ頁に、比叡山と鎌倉を間違えるなど、あまりに日精上人に誤りが多すぎるので、
ついに日亨上人は『誤読多々なり一々此を訂せず』とまで記されてしまってる。(第5巻p187)
現代のように筆を日常では使わなくなった時代ならともかく、日精上人の時代は筆で読み書きする時代である。
『今から三、四百年前で大聖人に近き世の人で』と、日亨上人の批判は続き、
何百年も前の江戸時代初期での『この誤りは宗門の不面目である』と断定されるが、当然であろう。
|
|