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日精上人の批判、第3回目である。
日精上人はあるはずもない日興上人の直筆の日記を見て書いたと述べたことに対して、
日亨上人から、夢、幻影、とあっさりと揶揄されてしまった。
しかしこれらの批判は、まだ先師の立場にあった日精上人に気を使った緩やかな表現なのである。
日亨上人は、日精上人に対して十分に気を使って控えめな表現を用いられた。それが「夢」である。
一方、この日精上人の記述をそのまま引用した第三者には、批判も表現に遠慮はない。
本文
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『(誤謬伝説)
日蓮聖人御伝記十一巻絵入 (延宝九年、京都中村五兵衛開板、著者不明)
(※注:引用文の内容は長いので省略)
取材は、六人立義私記・家中抄・註画讃等の旧本によれるも、文飾は大分ととのっておるが、
当時家中抄は富士門に限らず一般にまとまりたる史伝として重宝がられたものか、
この書の八の巻には実相寺や熱原の法難が精師説のごとく書かれてある。
いまからみればはなはだずさんだが、また大石寺の本門戒壇の御本尊も、日法作の御影も、
その他大石寺精師の伝のまま記されてある。』(上巻p68)
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※
日精上人を信用したばかりに、『精師の伝のまま記されてある』その内容を、『はなはだずさん』だと。
端的にずさん、つまりいい加減であると言われている。この伝記は1681年、日精上人が亡くなる2年前とほぼ同時代の書である。
日精上人を信じて書いたら、後世の日亨上人からハナハダズサンだと言われるのだ。
そして本門戒壇の御本尊等が、具体的にどうズサンなのか、それは後の記述に譲ることになる。
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