|
|
5.
そして、いよいよ登場! 日精上人。
日亨上人が全く信用されなかった人物に、歴代法主の一人、日精上人がいる。
今でもこの人物に誤謬がないという幻想を見せている団体があるが、日亨上人がどれほど要点をついているか見てみたい。
ここはその第一回目となる。
本文から
===================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
『(誤謬伝説)
日蓮聖人年譜、大石寺日精記、年月不明、(富士宗学要集第五巻宗史部①一〇五ページ)
録外 呵責謗法滅罪抄に云く、同行七八人云云。御伴には伯耆房日興其外上下七八人なり、
その外は皆召し返さる、其の証拠は道中使日記、並に在島の内の請取の日記等、
日興の自筆今に重須に之れ在り往拝す可し。』(上巻p66)
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
===================================
※
日蓮大聖人が佐渡に行ったときに、日興上人はお供をしていて、その道中を記した日記があるんですよ、と、日精上人は「日蓮聖人年譜」で言われているのであるが。
もし、日興上人のそんな日記が片鱗でもあればすごい事で、これまでの歴史に中で重須の人も誰もそれについて述べていないわけがない。まさに日精上人だけが知っていることになる。しかも余所の家にあるんだと言っているのである。
この日蓮聖人年譜の記述について、日亨上人は(誤謬伝説)と名うってあるとおりで、以下のように批判する。
本文から
===================================
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
またこれらを道中日記等に現在するように精師は記せるも、宗内には本末ともにその写しの片影だに見えず。
重須本門寺でも正写ともに現存せず、またかってありしという文献もなし、これまったく本師の夢か、
後人さらに念校せらるればさいわいである。(上巻p67)
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
===================================
※
と、そのような文献は実際にはありえないでしょうと、いきなり日精上人の夢とまで言われるのであるから、
まったく日精上人の信用度がよくわかる。
単に根拠となる文献が見当たらないとか、記述に間違いがあっただけでは、ここまで侮辱的な表現はされはしない。
また留意したいのは、法主である日精上人に特別に何か伝え聞いていたのであろうかとかいう発想は、日亨上人には一切見られはしない。これは先の百六箇抄でも同じでこれまで相伝として伝えられてきたことを、道理から判断して排除したに過ぎない。
|
|