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百六箇抄という相伝書であるなら、後加された文章もきっと、何か意味のあるものではないかと人は思い勝ちだ。
だが事実はそうではない。かなりふざけた内容ではある。
百六箇抄の末文の後加文には、大聖人が佐渡から赦免後、身延山に入られるさまが、誤った記述で綴られていると指摘されている。
本文から
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『百六箇御相伝の付記(富士宗学要集第一巻相伝信条部二二ページ)に
「然るに鎌倉殿より十万貫の御寄進有りしを縁と為して諸所を去り遁世の事・甲斐の国三牧は日興懇志の故なり」とある。』(上巻p60)ことを、
『十万貫なんという途方もない厚遇ができようはずがない。(中略)かくのごとき漫筆をたくましゅうするから、塩尻なんどに漫馬せられて宗祖の顔に泥を塗ることになる。』(上巻p61)
『十万貫のヨタを飛ばす』(上巻p61)
『頭から頼綱の妥協案は大聖人にはいれられぬ』(上巻p62)
『こんな馬鹿げたこと』(同p62)
『大聖人を愚弄するもはなはだしいものである』(同p62)
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日亨上人がここで “ヨタ”であり、“愚弄するもはなはだしい”と述べられているのは、これまで相伝として伝えてきたことなのである。
大聖人が頼綱より十万貫という大金を寄付にもらったので、幕府に楯突くのをやめて、身延に遁世したと書かれているのだ。
「漫筆をたくましゅうする」とあるが、もちろんこれは弟子の文章として伝えられてきたものではない。
ここの部分も、「弘安三年」と大聖人御存命中の年月日がわざわざ記され、念入りなことに日蓮在御判と判形まで記されており、大聖人の文章として伝えられてきたものである。日付や大聖人のサインまで施して偽装しているのだ。
勝手に相伝書に偽作を加えるのも許しがたいことながら、その相伝されてきた中身のレベルがあまりに無信心なものであることを日亨上人はここまでお怒りなのである。
こういう愚弄すべきものを日蓮正宗では、全て大聖人の相伝としてきたのである。
他の御書でも「読んだよ」とわざわざサイン入りで書いた大石寺の法主もいるが、それはもう拝するという感覚ではない。
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