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一方、日興上人が伊豆の大聖人のもとに行かれたことは、百六箇抄の末文の記述にもある。
百六箇抄というのは、日蓮正宗の奥義である相伝書である。
この百六箇抄の末文(宗学要集では数頁にわたる長い部分)が全て後加であることについて。
本文から
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百六箇抄の末文である。これまで、この相伝書を富士門ではぜんぶ蓮祖の御書としていたが、他門では記事が史実に合致せぬ辺からも偽書であると主張して、たがいに争論の的らしきなっていたが、愚僧は疾くに本註混合して、悪しき註のために本相伝書が汚されていると信じ、これを発表もしておいた。すなわちそれは、富士宗学要集(第一巻相伝部二二ページ)の諸文であるが、ぜんぶ後註である。(上巻p41)
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つまり、それまでの日蓮正宗の歴史では百六箇抄などに偽造され付け加えられてあるのを、大聖人の相伝であると、ずっとそう思って伝えて来たんだと日亨上人は言われている。
それが誤りであり、それを偽加であり、“悪しき註”であり、“本相伝書が汚されている”として、日亨上人がおそらく初めて、その相伝書の訂正を発表された。
今までは間違った相伝を伝えていたのだと、厳しくも明言されているのである。
本当に酷い話ではあるが、相伝書に落書きできるのはどのような人なのか。それはもちろん保持者に他ならない。
相伝書が上代にどのような経緯で伝わったかは不明であるが、ここでは大聖人「御滅後より百年内外に日目上人御門家に」よるものと推測されている。
相伝書として伝わってきたものを、日亨上人は「汚されている」と軽蔑していることを普通の信徒に示されたのだ。
これが戸田先生の当時の学会の姿であり、また日蓮正宗の御隠尊の法主の御指南だったのだ。
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