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「富士日興上人詳伝」は昭和24年7月から昭和30年1月まで大白蓮華に掲載され、昭和38年10月には一冊の「富士日興上人詳伝」として発刊されました。
私が研鑽した書籍は、これを上下巻に分冊した文庫本「富士日興上人詳伝」で、昭和49年1月の発行です。
本書には、誤謬伝説やその解説の一部を割愛したとありますので、連載当時はさらに批判が盛り沢山だったと思われます。
日亨上人は、一般の人に読むようにこれを著わされました。
当時の大白蓮華はもちろん、「富士日興上人詳伝」の文庫本も学会では誰もが知っているような位置にありましたから、法主の権威になしくずし的に幻想的な夢を見る人は、単に相当な不勉強家だったということです。
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ああ、そうだ。特に「昔の学会はこうだった」とか知ったかぶりしている人(あっ、君ね)は、よーく読むように。
本文
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(正文書) 日興上人御伝草案 (富士宗学要集第五巻宗史部①御伝土代七ページ)
日興上人は八十八代一院の御宇、寛元四ひのえうま御誕生、
俗姓は紀氏、甲州大井庄の人なり。
御弟子たる大石寺日道上人が興師御存命中の草案で、その正本が現に大石寺に存在する唯一の確実な史料であるが、その表面だけにて判明せぬところがあるから、つぎつぎに引用する参考史料、または側面の通史をもって解釈すべきである。』(上巻p27)
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この日興上人詳伝も、弟子の日道上人がまとめた御伝草案(土代)を底本にされている。
土代とは草案のこと、下書きのことである。
草案であるから、整足されていない部分もあるが、これが『大石寺に存在する唯一の確実な史料である』と述べられている。
その他には日興上人の直筆のような確実な史料は、全く大石寺には伝わっていないことがわかる。
(心の声:「あれ?いろいろとあるんじゃあ?大御本尊についてとか・・・・。」)
しかし心配はいらない。伝わっていないことについて日精上人がいろいろと見てきたように言ってくれるのだ。
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