「珈琲法要」に隠されていたもの
成田専蔵先生が黒石市の黒森山にある浄仙寺で毎年行っている北方警護で殉難した津軽藩士を弔う珈琲法要で演じたものを、80分の作品に仕上げた「珈琲法要」が中三スペースアストロで公演となり、これまでのご縁で実行委員の一員としてお手伝いと観劇の一日でした。
津軽藩士殉難については、佐藤ぶん太、が「祈り」という曲の出だしで語ることもあり津軽の歴史の中で忘れてはならないことと心に刻んでいますが、今回の劇は斜里に赴いた津軽藩士2人とアイヌの女性の3人芝居で、いつ誰が亡くなっていったのか藩士を演じた河村竜也さんが悲しみと怒りをこめて読み上げたとおり、北方警護の悲惨さと理不尽が伝わってきます。
そこで蔓延した浮腫病の薬としてふるまわれたのが珈琲で、これが一般人がコーヒーを飲用した最初ということから、専蔵先生は宗谷岬に殉難の碑を建立し、毎年の法要を執り行ってきたわけで、ここにただ喫茶店が多いだけではない弘前の珈琲文化に重みを与えています。
ただ、今回の劇でハッと気づかされたのは、私たち和人(わじん)が勝手に北方警護することにした蝦夷地=北海道はもともとアイヌの地であり、そのせいでアイヌの生活が乱されたり殺されたりした者もあったという、さらに隠された歴史を演者であり脚本家の山田百次さんは克明に掘り出していて、それを菊池佳南さんがムックリというアイヌの楽器やユーカラで見事に演じていて、非常に心に響きました。
この津軽藩士殉難のことも戦後になるまで隠し続けてきたのですが、弱き者破れた者の歴史は語られることがないだけに、その立場に思いをはせながら歴史を再構築する必要と責任を改めて考えさせられました。
今回は、定員いっぱいの来場者で、何とかキャンセル待ちで入場していただくほどの盛会でしたが、ぜひ多くの人に観ていただきたい劇ですし、これを通じて歴史を考えるきっかけになってほしいと思います。
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