成人式の思い出はありません。出席しませんでした。
しかし、小学校の成人のクラス会がありましたので、それに出席しました。公立小学校です。小学校以来に集まるということなので、行ってみたのですが、中身は凄惨でした。
つまり、よろしくない人が混じっているわけです。端的にもう関わりを持ちたくないような人や、付き合ってもしかたがないような人です。
そういう人との関係性がこれで復活したり、面が割れたりするのはリスクでしかありませんから、何も考えずに出席した私の考えが浅はかだったと思うと共に、人生の残酷さを理解して、さっさと帰ってきました。
そういえば、そういうひととは、学校を卒業するたびに、うまく縁がきれてきました。
日本では、偏差値によって、セレクトされる学歴社会ですので、小学校、中学校、高校、大学と、進学するたびに、偏差値が同じようなレベルのひとが集まるようにセレクションがなされるようになっています。
私自身の通った小学校はレベルが低く、担任は暴力を振う新任の体罰教師で、これによって身体的にも精神的にも問題を抱えておりましたし、公立の中学校は荒れていて危険で、そのような場所にいては、いじめにあったり、危険であるとおもい、勉強して私立中学に行きました。
小学校の体罰教師については、いまでも恨み節でこんな記事を書くくらいですから、いわゆるPTSDにほかなりません。つまり小学校で学んだ最も大事なことは、自分の身を守るには、所属する組織を選べるような立場にならないといけないということでした。(これは社会に出てからも一緒です)。それが、私が勉強を始めて、中学受験をした理由です。
荒れていた公立中学に行かなくて済むようになり、大学受験も成功し、真っ当な大学に行くことができましたので、社会で関わりたくない人とはもう縁が切れたつもりでしたが、そこに来て成人式や成人クラス会というのは、かつての良からぬ関係をもういちど持ちだしかねないもので、非常に危険とおもいました。
逆に言いますと、そういうった方々におかれましては、成人式というのは逆襲のチャンスでありまして、まともな成人が多数出席して、著名人が招かれるセレモニーのなかで、暴動を起こすというのは一つの反乱であるわけです。
社会にでて時間がたてばたつほど、そういった場を荒らすこともできなくなるでしょうから、それなりの公式セレモニーの場を、成人の言い訳のもとに免罪符つきで破壊できるというチャンスはこれが最後なのは自明です。ですから、そういったまともな社会の象徴であるセレモニーを徹底的に破壊せしめるという、荒らしの行為は、非常にモチベーションにかなったものであります。なぜ他のイベントが荒れないのに、成人式だけが荒れるのかは、これが理由です。
つまり、成人式が荒れる原因は、偏差値によって分断された社会を、もう一度一緒に集える機会を設けてしまったことで、逆襲のチャンスになってしまっているという点が、本当の本質でありまして、ですから、これを防ぐには、成人式を階級別に開催するしかないと考えるわけです。