竹田圭吾さん死去、51歳すい臓がん 公表後もジャーナリスト魂貫く 

2016年1月11日6時0分  スポーツ報知
  • 死去した竹田圭吾さん

 フジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」「とくダネ!」などにコメンテーターとして出演していたジャーナリストの竹田圭吾(たけだ・けいご)さんが、10日午後2時ごろ、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去した。51歳だった。昨年9月に番組内でがんを告白した後、やせ細った姿で出演を続け、鋭い舌鋒(ぜっぽう)で時事問題を斬り、最後までジャーナリストとしての使命を貫いた。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。

 竹田さんが最後の出演番組となったのは、毎週月曜日に司会を務め、4日に放送されたFMラジオ局J―WAVEの「JAM THE WORLD」。絞り出すような声でリスナーへ新年のあいさつをした。「実は来週(11日)でいったんお休みさせていただくのですが、どうしてもみなさんに伝えたいことも…、そんなにないな(苦笑)。来週に本当にみなさんへの思い、それから、リスナーの人への感謝、それから、なんで月曜日のナビゲーターを降りるのか、その辺をきちんとした形でみなさんにお伝えしたいと思ってます。ですから、来週の最後にもう1回こういった形で、僕の思いを伝えたいと思うので、来週のエンディング、ぜひ聞いてほしいと思います。よろしくお願いします!」。力強く語った約1分半の言葉が最後の肉声となった。

 2013年11月、病気療養を理由にすべての出演番組を一時降板した。翌14年2月には早期復帰を果たすが、ほおがこけるなど変わり果てた様子に体調を心配する声が上がっていた。昨年9月の「Mr.サンデー」でがんを告白。抗がん剤治療の副作用で頭髪が抜けるため、かつらを着用していることも明かした。ツイッターでは「がんが見つかったら生き方の中で何を優先しようかな、と検診の段階から思い浮かべていくのが大事ではないかと、自分の体験からは思います」とつづり「どれだけ治療が順調で、家族に寄り添われて、友人や仕事仲間から励まされても、孤独からは絶対に逃れられない」と覚悟を示すような記述もあった。

 1964年12月30日、東京都中央区生まれ。88年に慶大文学部卒業後、アメリカンフットボール専門誌を経て、93年に出版社「TBSブリタニカ」に入社した。「ニューズウィーク日本版」の編集部に入り、2001年1月に編集長に就任。生活情報を充実させるなどの刷新を行い、部数の下落に歯止めを掛けた。10年に退社後はジャーナリストとして活動。各メディアで精力的に活動した。

 ツイッターなどでもユーザーらと積極的に交流。最後のつぶやきは、昨年12月24日。自民党で夫婦の宮崎謙介衆院議員(34)と金子恵美衆院議員(37)が育児休暇取得の意向を示したことに「衆院議員の給与は税金だからダメというなら公務員はすべて取るべきでないという話になってしまいますね」などとつづっていた。

 この日夜、放送された「Mr.サンデー」では番組の最後に竹田さんのVTRを放送。司会の宮根誠司(52)は「こうやって生きて、旅立っていくのだということを体現した人。ご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。

 ◆膵臓がん 膵臓は胃の裏側にあり、消化器のがんのなかでも治りにくいとされ、50~70代の男性に多い。発生率は胃がんや大腸がんの3~5分の1程度だが、国内死亡原因の第5位(1位は肺がん)。膵臓がんと診断された時には大半が進行しており、早期発見が難しい。症状は腹痛と黄だんが多く食欲不振、全身のだるさ、体重減少などがある。

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