バレても全く問題ないような嘘で、かつバレにくい嘘を普段からつくようにする
たとえば「今日焼き肉食べたよー」とか「さっき駅前で転んじゃった」とか「ごめん、ねちゃってた!」というような嘘。
嘘は、自分が実際経験したことがないことなので、とても忘れやすい
大きな話題の嘘は、相手は覚えているのだが、自分は全く覚えていないということが多い
特に「○○が死んだ」のような嘘は
話した相手にとっては「○○が死ぬなんて、なんて悲しいことなんだ」と認識して、「大丈夫?」「悲しいだろうな」と思うが
嘘をついた者自身にとっては「大袈裟な嘘」に過ぎず、悲しみが存在しない
10年後も「Aさんに『○○が死んだ』と伝えた」と覚えているのは相当に難しい
嘘は、真実に差し込んで人を欺くものであり、整合性をあわせなければいけない
嘘をつくときに、その嘘物語を真実に繋げることをぼくは個人的に「グランドに繋げる」と呼んでいる
真実に繋げたあとのことはすべて真実なので、もはや嘘をついてはいない。
「今日焼き肉食べたよ」という嘘をつくときは、「焼き肉をたべた」という嘘を単につくのではなく、
「焼き肉を食べた日」を想像して嘘をつくと、リアリティが格段に増す
「友だちと食べてきた」「ハラミがおいしかった」「新宿の××というところで食べた」「途中店員さんが野菜落としてぶちまけてて大変そうだった」のように、いくらでも活用できる。
嘘なのは、「今日焼き肉を食べた」であって、「今日」と「焼き肉を食べた」は嘘ではないのだ。
こうすることで、ぼくがついた嘘とは
「今日→焼き肉を食べた」の観念の「→」という結合部分だけであり、しかもこれは普通の人が覚えていないような些細な程度の嘘で完結する
この嘘は、少なければ少ないほどいい。
また時を超えた真実と真実の嘘結合は、人間が日付を覚えることが苦手なこともあって、かなりバレにくい
ともかく、複雑な嘘はやめたほうがいい。複雑な嘘が必要になった場合は、入念に考えて嘘をつかなければどこかで嘘が破綻するだろう。
(また嘘をつくのに慣れていない人は、目の方向を右上に向けて咄嗟に「イメージをクリエイトしようとする」ので、そうではなくて、左を見て「イメージを思い出そうとする」のが良い。左利きの人は逆だそうだ。
嘘を見破ってくる相手は、この目の動きをかなり観察している)
特に「寝てたこと」は確認もできないし、実際寝ていたのもそうだし、寝た時間を覚える必要もない、大変お手軽な嘘である
よく寝てる相手は脈なしとおもったほうがいい
さらに、嘘の「寝てた」に「どんだけ寝るんだよwww」と返すのは愚策である
「ほんとは寝てないのに。何言ってんだこの人」みたいに思われるからだ。ひどい
「嘘かどうか」であるようなことを疑われると、嘘とバレる心配が生じてくる。
逆に「完全に真実」を「実は嘘なんじゃないか」と疑わせておく方が、実際嘘ではないので、いくらでも弁明できる。
なので囮として、全く嘘ではないものについて、「嘘なんだよ」というボディランゲージを適用する
普段から「怪しい行動」をとるということだ。
ただこれはある程度嘘をつくのが上手になったときにやらないと、ただ相手に「ぼくは嘘をつくときこんな怪しげな動きをします」とアピールするだけで
やり過ぎると「嘘つき」というありもしないレッテルを張られてしまうので、ほどほどにすること
「相手に本当のことを "嘘" だと思わせたい」ときにも使う
どれほど言葉で覆い尽くそうが、無意識のバーバルコミュニケーションは、
それをすべて上回る「ちぐはぐさ」を醸し出す。
上手に嘘をつく人でも、ずっとやっていれば失敗はするし、相手が不審を抱いたあとも延々と嘘をつくのは難しい
嘘をつかなくても、行動を隠せるような立ち位置につくことも重要だ
特に「人のプライバシー」系に関わる問題に、人は容易く乗り込んではこない
乗り込んできたとしても「乗り込んでこないでー」と言えば跳ね返せる
嘘つきだと思わせないことが何より大切だ
また、たとえば「俺は年収1000万円だぞ」なんて嘘をつくよりかは、
「本当に年収1000万円」になったほうがよっぽど真実味があるし、事実真実で、嘘をつく必要が無い。
ぶっちゃけ権力・能力があれば嘘をつく必要なんて少なくなるので、欺く能力を磨くよりもよっぽど重要だ。
嘘なんて、つく必要がなければつかない方がいい。