2016年1月11日07時56分
■寄稿 作家・中村文則さん
僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。
それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。
でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。
その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。
僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。
正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。
「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。
その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。
友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。
「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。
当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。
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朝日新聞社会部
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