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一橋を出てニートになりました

英語を勉強して、ニートを脱出するまでの軌跡ブログ。気になるニュースも。

メンヘラはブログをやらない方がいい、のか?

考えたこと パニック障害

メンヘラとは、元々は2ちゃんねるの「メンタルヘルス板」にいるような人のことを指し、これが転じて侮蔑的に、精神病・精神疾患を持つ人を指すことが多い。

私はパニック障害である。
パニック障害とは、激しい動悸や胸痛、呼吸困難という症状とともに、「このまま死んでしまう」という強い不安感に襲われる、どうしようもなくくだらない病気である(自虐的な意味で)。

だからまあ、メンヘラと言っていいであろう。
(パニック障害は、うつ病・躁鬱病や統合失調症などの精神病ではなく神経症なので、狭義では入らないけど、ここでは便宜的に入れる)

今日は、メンヘラ(私)がブログをやる上で気をつけなければならないことを、後で読み返せるように自分のメモとして書き残しておきたい。

メンヘラはブログをやらない方がいいのか?

結論から言うと、やらない方がいいと思う。理由は下記だ。

  1. なぜかブログを書くと夜型になりやすいが、夜に神経を刺激すると病気によろしくない
  2. ブログを書くと、精神が高揚したり、はてブのコメントなどの批判が気になったりし、精神が疲弊して病気によろしくない
  3. 一般的に、メンヘラだと「客観性」を持って文章を書くことが難しいため、他人に不快な思いをさせてしまうかもしれない

1については、自分の体感として、下の記事には同感である。

深夜のインターネットは「こころの回復」に適していない - シロクマの屑籠

「えー」と反論したくなる気持ちはよく分かる。深夜、布団でごろごろしながら、真っ暗い中でスマホを見るのはとても楽しい(目と神経には超絶悪いが)。

2については、精神が健康な人でもはてブのコメントなどには悩まされるようなので、言うまでもない。

私が、未来の自分に一番強調したいのは3だ。

ブログで自分語りする時には客観性とエンターテイメント性のバランスが必要だ

ここでは、一般受けは想定していない。

メンヘラブログをわざわざ読む読者を、下記と想定する。

  1. 自らも病んでいる人
  2. 病むまではいかなくても、悩みをかかえていて、だれかに共感したい人
  3. 自らは健康だが、精神を病んだ人に興味がある人(いわゆる「ヲチャー」)

上記の人は、メンヘラブログに関心がある時点で、全くの無関心な人よりは、精神状態が悪い人を理解できる素地がある。(理解できるかはまた別の話)

だから、多少「重い」「暗い」話なら、エンタテイメントとして昇華できる限り、むしろブログの個性になる。

ここで大事な、「自分語りを、独りよがりではなく、娯楽として昇華すること」だが、それには、
客観性とエンタテイメント性のバランス
が必要だ。

メンヘラには、一般的には「客観性」が欠けている。

なぜ客観性が必要かというと、独りよがりに「自分は苦しい」だけを押し出しても、読者は「ウザっ」「自己責任乙」と引いて読んでもらえず、ブログを書く時間がムダになるからだ。

だが、客観性を出し過ぎても、文章の勢いや経験が持つ迫力といったエンタテイメント性が薄れて、パサパサした文章になってしまう。

最近、この記事で自分語りをしたが、振り返って中途半端感が否めない。

読むと、自分では客観的に書いたつもりが、単に「過去の栄光にこだわっている人」という印象を受けるものに終わっている。

さらに、概略を手短に書いて、個々の経験をほとんど書いていないせいもあるが、転落人生が持つであろうドロドロとした面白みや生々しさが全く出ていない。

客観性を意識してあっさり書いたつもりが、一番客観性が必要だった「過去の栄光(って言うほどでもないんだけど)へのこだわり」が強烈に残っていて、経験の面白みというエンタテイメント性だけがバッサリ消えているのだ。

また、「パニック障害」という病気がやはり中途半端かつ謎すぎて、共感もしにくい。

次は、試しに客観性を捨ててみて、ドロドロした世の中への恨み節を、ハイテンションな笑える文体(?)で書いてみたい。

「笑えて、少し共感もできる恨み節」、それこそが目指したいものである(難しいが)。

青二才氏のアイドル性

ここで思い出すのが、ブロガー青二才氏のことである。

かくいう私も青二才でね

(この文章は、純粋な羨望「うらまやしー」という気持ちから構成されています。批判として受け止められたら、それは誤解です)

私は、青二才氏のことをほとんど知らない。ブログの文章しか知らない。
はてな民との軋轢や、twitterでの発言などもほぼ知らない。
だから、私が青二才氏のことをほめると、「お前は何にも知らないんや」と言われるかもしれない。

青二才氏のことは、「好き」でも「嫌い」でもない。
「気になる」のだ。

思えば、このブログを中断していた5ヶ月間、はてなのことなど思い出しもしなかったのに、青二才氏のことだけは時々思い出して心配していた。
「あの人、病気悪くなってないかなー」と。

これはすごいことだ。
友達でも何でもない、青二才氏のことを全く知らない私に、彼のことを心配させるだけの引力が、青二才氏にはあるのだから。(別に好きでも何でもないのに)

はてな民も、よほど彼のことが気になるらしく、彼を本気で心配しているブコメもよく見る。
たとえ、本人はヲチ対象にされていると思っているとしても、そのアイドル性はまさしく生まれ持った才能である。

青二才氏が書く躁鬱病に関する記事は、割とさらっと読める。
この「読む人をさほど引かせない」というのは、精神障害関連の記事にはとても大事なことだ。
さらに、メンヘラブロガー(そんな区分ないが)に絶対必要な、はてブなどの批判に負けない強いメンタルも備えている。

まさに最強、唯一無二のメンヘラブロガーだ。

私が見習いたいのは、青二才氏の「この人これからどうなるんだろう」というリアルタイムの「気になる」感を刺激する引力だ。

私も、自らの転落人生をエンタテイメントに高め、リアルタイムで進行するドラマ(見世物)感を出すことができるよう、青二才氏を見習いたい。

私が持つ「一橋大学卒」「パニック障害」というフックは扱いが難しく、今では書いたことを後悔しているほどだ。

私のような無能な高学歴って(言うほど高学歴でもないが)、傍から見ればプライドだけ高く鼻持ちならない存在で、そうならないようかなり意識しているのだが、文章からにじみ出てしまっている。つまり、読者の共感の邪魔になってしまっているのだ。

そこは、青二才氏の親しみやすさを見習いつつ、このブログのテーマである「メンヘラニート(派遣)の人生再生物語」として二つのフックが活きるよう、美味しく調理できる力量をつけていきたい。

それで結局、メンヘラはブロガーをやらない方がいいの?

結論だが、一般的なメンヘラなら、下記を守ればブログをやってもいいと思う。

  1. ブログ執筆により、生活のリズムを崩さない
  2. 批判は読まない。うっかり読んでもすぐに忘れる(はてなブックマークのコメントも非表示にする)
  3. 客観的になれないのなら、自分語りをしないジャンルを選ぶ(日記は書かず、ひたすらアフィリエイトに徹するとか)

私としては、このブログで、まずはモチベーションとなるよう検索重視の記事をメインとし、実生活では英語を勉強して英語力をコツコツと積み重ねていき、気分が良い時に「メンヘラが人生再生を目指して頑張る日記」を書こうと思っている。

どーでもいいけど、「メンヘラ」という単語をなかなか覚えられない。
いつも、メルヘンとハーメルンとフエルアルバムがごっちゃになっちゃうぽ。