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2016-01-09 映画『クリード チャンプを継ぐ男』感想

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ボクシングのヘビー級チャンピオンであったアポロ・クリードの息子、アドニス・ジョンソン(マイケル・B・ジョーダン)。さまざまな伝説を残したアポロだが、彼が亡くなった後に生まれたためにアドニスはそうした偉業を知らない上に、父との思い出もなかった。それでもアドニスには、アポロから受け継いだボクシングの才能があった。そして父のライバルで親友だったロッキー(シルヴェスター・スタローン)を訪ねてトレーナーになってほしいと申し出る。


参考リンク:映画『クリード チャンプを継ぐ男』公式サイト


2016年1作目。

1月5日のレイトショーを観賞。

21時近い時間に映画館のロビーで小学生をみかけて、「えっ?」と思ったのですが、まだ冬休み中だったことに気づきました。

観客は中年以上の男性ばかり5人。


あの『ロッキー』シリーズの続編というべきか、スピンアウトと考えるべきか微妙な作品ではあるのですが、ネットではかなりの高評価。

先日『とくダネ』で、「ガソリンスタンドで若い女性に車をぶつけられた際のスタローンの神対応」の映像が紹介されたとき、デーブ・スペクターさんが「いま公開されている『クリード』の評判が良くて、アカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされるんじゃないかと言われており、それでスタローンは上機嫌なんじゃないか」と言っていました。


それにしても、『ロッキー』の影響というのはかなり大きいよなあ。

僕などは、実際のボクシングの試合をテレビで観ていると、つい、「ああ、この試合も『ロッキー』みたいな激しい打ち合いじゃないなあ」なんて、つい思ってしまうのだから。

あんな高山 vs ドン・フライみたいな試合を毎回やっていたら、ボクサーはみんな廃人になってしまう。

フィラデルフィアには『ロッキー』の銅像もあって、観光名所になっているのですが、ここまでくると、もう実在の人物なのだか、フィクションなのだか、わからなくなってしまいます。


この『クリード』、正直なところ、主人公にはあまり感情移入できませんでした。

ボクシングって、そんなに簡単なものじゃないだろう、とは思うし(いくら地獄の特訓を積んだとしても、そんなに手っ取り早く強くなるのだろうか)、ヒップホップとかが流れてくると、「ああ、時代の変化なんだろうけれど、これが『ロッキー』なのか……?」という「ちょっと違う感」もあったんですよね。


その一方で、シルベスター・スタローンが、ロッキー・バルボアの「老い」をきちんと演じていたのはすごく印象に残りました。

これまでのスタローンは「年は取ったけど、まだ若い者には負けちゃいないぜ」という役回りが多くて、それはそれで高齢者に勇気を与えていたのかもしれないけれど、今回は「身体の老い」だけではなく、「いろんなものに先立たれた孤独」と「それでも諦めきれない情熱の残り火」みたいなものが伝わってきました。

思っていることをいちいち口にするわけでもなく、愚痴も言わない。

「俺のことは放っておいてくれ」と言いながらも、他人のことは放ってはおけない。

そのしがらみみたいなものを受け入れて、力にして、ロッキーは再び立ち上がる。

もちろん、現役ボクサーとしてではないけれど、人生の「現役」に復帰するのです。


ストーリーとしては、『ロッキー』の第1作をなぞっていて(演出的には「新しい」のだけれど)、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のときに感じた、シリーズ化されるような人気作品は、第1作最強!という思いを再確認しました。

これが許されるのは、第1作から時間が経った、歴史的名作だけだとは思うのだけれど。

さんざんじらしておいて、クライマックスで「あれ」が出てきたときには、涙が出そうになってしまいました。

ベタなんだけど、そのベタさに、つい自分のこれまでの人生を重ね合わせてしまうところもあるのです。

しかしこれ、『ロッキー』を知らない人が観たら、「わかる映画」なのだろうか。


この映画を観ながら、血のつながりと、人間のつながり、ということについて、ずっと考えていました。

ロッキーには実の息子がいるのですが、作中にはほとんど出てきません。

ロッキーが苦しんでいるとき、実の息子は、その相談相手の選択肢にも入ってこないのです。

ドニーは「実の父親」であるアポロに複雑な感情を抱いており、そのドニーを育てたのはアポロの「正妻」であり、ドニーとの血のつながりはない「母親」でした。

母親は、危険な世界からドニーを引きはがそうとし、十分すぎるほどの愛情と教育を注いできた。

でも、そうすればするほど、ドニーは「ここではない、自分がいるべき世界」を求めてしまった。

こういうのって、本当に難しいですよね。

実の父親からボクシングを習ったロッキーの息子は「ロッキーの息子でいることに耐えられなかった」のに。


これは、血のつながりが無い人たちが、濃密につながっている映画なのです。

こういう「血縁よりも後天的なつながり」というのは、日本の映画では自然に描けない。

描くとしても、そこには、なんらかの「特別な理由」みたいなものを挿入する必要がありそうです。

こういう関係に「説明」を加えなくても良いのが、アメリカという国の強さであり、難しさなのかもしれません。


あと、リッキー・コンラン役のアンソニー・ベリューさんがやたらと悪くて強そうだったのがすごく印象に残りました。

やっぱり、こういう作品のライバルは強くなきゃ、ね。

(この人、イギリスのアマチュア世界チャンピオンに三度輝いたことがある、現役プロボクサーだそうです。納得!)