「怨みに濡れた目がしらに」「人生って嬉しいものですね」
今夜はその昭和歌謡曲を改めて楽しめる3時間
その時代に歌謡界を
当事者だからこそ知るスターとの貴重なエピソードや曲にまつわる秘話を披露してくれます
開幕です!
(拍手)『甦る歌謡曲!懐かしの昭和の名曲大全集』始まりましたね。
はい。
昭和歌謡の世界はとても魅力的ですからね本当に楽しみですね。
大好きですね。
そして今回はその昭和歌謡の名曲についてたっぷりと語り合おうという事なんですね。
はいそうなんです。
という事でご覧の豪華なゲストの皆様にお集まり頂きました。
本日はよろしくお願い致します。
武田鉄矢さんはまさに昭和の音楽シーンにいらっしゃいましたよね?そうですね私は。
真っ盛りですよね。
そうですね。
うろうろしてましたね。
そして天童さんは20回目の『紅白』出場という事でお疲れさまでございました。
ありがとうございました本当に。
さあそしてテリーさんにも世代的には昭和歌謡についてはお詳しいんではないかと…。
そうですね。
いいですよね。
(東)確かにね。
東さんはるなさん中川さんは昭和歌謡の世界はどうなんでしょうか?ちっちゃい時に自分も習ってたり…。
しょこたんち…。
(中川)うちの店も…。
この空間が懐かしいなという…。
その雰囲気ですね。
(中川)ちょうど銀座みたいですね。
(東)ママやってた…親が。
さあそれでは早速参りましょうか。
大みそかの『紅白歌合戦』にも出場した天童よしみ
皆も認める圧倒的な歌唱力でその『紅白』に出場する事連続20回という記録を達成
1996年に大ヒットしたこの『珍島物語』ではレコード大賞最優秀歌唱賞も受賞
まさに歌謡界を代表する
そんな彼女が力を注いできたのは
男女を問わず昭和歌謡の名曲をカバーする事320曲
そんなありとあらゆる歌を歌ってきた天童よしみがうなった…
本当に歌がうまい昭和の女性歌手を発表
登場するのは昭和歌謡を代表する3人の女性歌手
歌のうまい天童だからこそ語れる本当に歌のうまい女性歌手とは一体誰なのか?
(拍手)という事で天童さんよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
今回は芸能生活43年という天童さんが特に歌がうまいと思う女性歌手をご紹介頂けるという事なんですね。
そうですねはい。
非常に興味深いですね。
それでは早速ですが天童さんが歌がうまいと思う1人目は誰でしょうか?藤圭子さんです。
こちら藤圭子さんですね。
(天童)そうですね。
一応ご紹介しておきますと第1回日本歌謡大賞を受賞されていて代表曲は『新宿の女』『圭子の夢は夜ひらく』などが有名ですね。
ポイント解説を天童さんお願いします。
私が思う藤圭子さんの魅力はこちらです。
うまい表現だな。
藤さんのなんの曲を…?そうですね圧倒的な存在感を持ってらっしゃる藤圭子さんの歌をね感じてもらうため2曲選ばせて頂きました。
さあそれでは甦る歌謡曲天童さんがセレクトした藤圭子さんの歌のうまさがわかる名曲です。
(拍手)中川さんはご存じですか?宇多田ヒカルさんのお母様として知ってそこから楽曲にたどり着きました。
(天童)そうですね。
テリーさん藤さんというといかがですか?やっぱり今言ったね宇多田ヒカルさんもそうですけどビブラートがビビビッとなんか動きますよね声が。
その声の動き方はやっぱり一緒ですよね。
すごく歌に哀愁がある。
私は一番この低音部にものすごい魅力を感じて…。
ですからその低音部を強調する事によって聴く方がものすごくキャッチしてう〜んなるほどこういう生き方の人なんだっていうすごく生活感がドンと出た感じの歌唱法をされるので…。
そうですね。
絞り出すというのはドスの利いた声でも当てはまるんですけど…。
「赤く咲くのはけしの花」…ってこんな感じですよね。
(榊原)なるほど!すごいわかりやすい今の。
すごいわかりやすい。
それではですね天童さんが歌がうまいと思う2人目の方を教えて頂きたいのですが。
テレサ・テンさんです。
こちらですね。
テレサ・テンさんといえば今年で亡くなられてから21年という事で。
アジア各国で今なお絶大な人気を誇っているアジアの歌姫です。
でもテレサ・テンさんのお名前が挙がるとやっぱり歌声聴きたいですよね。
(はるな)聴きたい!やっぱり日本のみならずアジアでもう本当に大ヒットした歌を2曲選ばせて頂きました。
では甦る歌謡曲天童さんがセレクトしたテレサさんの歌のうまさがわかる名曲ご覧ください。
いい!名曲だな。
何回でも聴きたい。
ついつい歌いたくなっちゃいますよね。
でもホントなんなんでしょうね?このテレサ・テンさんの魅力って。
ポイント解説お願い致します。
私が思うテレサ・テンさんの魅力はこちらです。
さらにもう1つの代表曲にまつわる秘話も明かされる
私が思うテレサ・テンさんの魅力はこちらです。
(天童)これ。
これですね。
具体的にどういう事なんでしょうか?やっぱりこの…言葉言葉に…。
ホントにお話をしているように相手にこう伝えるっていうかストレートにこうなんか乗っていってる感じですかね。
語り歌っていうのがもうやっぱりすごい歌唱法ではないかなと思うんですけれども。
演歌系で言うとあの…。
「時の流れにぃ身をまかせぇ」とかなんかためながらこう…。
うまいね!
(天童)これがやっぱり…重い!重いです。
テレサさんの場合は間を取らずに…。
「時の流れに身をまかせ」ってこうスッとリズムに乗っていってるっていうのがね。
だからキュッとくるんですよね女性のハートっていうか…。
うんとくるんですよ。
でもやっぱりうまいですねこの人は。
ホントになんか…。
(榊原)なるほどそれですよね。
(武田)だからお父さんうまい事言ってましたよね。
(武田)カラオケでですよ。
(徳光)ホントそうですよね。
(榊原)でもみんな歌えそうな感じになるんですよね。
そうなんですよ。
そうそう。
ここで徳光和夫がテレサ・テンのあの曲にまつわる秘話を語る
だから例えば『愛人』っていう歌では「愛して」「別れて」「そして」とか「て」が繋がるんですよ。
(はるな)え?どういう事なんですか?それ。
この音がテレサ・テンの一番魅力の…魅力的な音なんですって。
「て」っていうの。
(はるな)「て」が繋がるといいんですか?
(徳光)「て」が繋がるといいらしいんだよね。
「て」で止めるっていう歌をですね…。
荒木とよひささんおっしゃってましたね。
という事でその『愛人』を聴いてみましょう
さあそれではですね続きまして歌が本当にうまい昭和の女性歌手最後の1人を紹介する前に天童さんがまだ紹介したい歌手の方がいるという事で…。
さらに天童よしみが選ぶ魅力たっぷりの昭和の女性歌手とは一体誰なのか?
私がとっても大好きな人がいらっしゃるんです。
それがこちらです。
ちょっとその曲を聴いて頂きたいと思います。
では甦る歌謡曲天童さんが大好きだというお三方の歌をお聴きください。
まずは女性による洋楽カバーの先駆けとも言われた江利チエミ
ハスキーな声と本場仕込みの英語がポイントだそうです
続いては当時アイドル的な存在だった黛ジュン
ポップスだけじゃなく演歌調の曲も歌いこなす歌唱力に注目です
さらに演歌だけじゃなくポップス大好きだった天童さんが選んだのはその代表とも言うべきこちらの歌
(拍手)
(中川)かっこいい!すごい。
天童さん江利さん黛さん今さんのどういうところがお好きだったんでしょうか?はいやっぱりこう…。
江利チエミさんはとにかく『テネシー・ワルツ』が大好きだったんですね。
なんとも言えないその…。
ピンキーとキラーズ今陽子さんはとにかくやっぱりあの帽子と…ハットとちょっと…。
僕が18歳の時に彼女まだデビューする前に新宿の小田急デパートの上で食事しながら音楽が見れるというところにいたんですよ。
まさにスターになるなってやつですか?さあではねお話は尽きませんが天童さんが歌がうまいと思う昭和の女性歌手最後のお一人お願いします。
もうこれは本当に皆様がよく知ってらっしゃると思いますが…。
美空ひばりさんです。
(拍手)そうですね。
今年で亡くなられて27年という事で。
女性初の国民栄誉賞を授与されているという事なんです。
ではまずは聴いてみたいと思います。
甦る歌謡曲天童さんがセレクトした美空ひばりさんの歌のうまさがわかる名曲ご覧ください。
このあと美空ひばりの魅力を天童さんが解説
さらに…
(拍手)さあそれでは天童さんこちらのポイント解説をお願いします。
私の尊敬する美空ひばりさんの魅力はこちらでございます。
(天童)はい。
ひばりさん…。
例えばあの…。
「よ〜お〜」っていかないんですよね。
「よ〜お〜」って到達する…高さのところまで下から入らないで…。
「よお〜」…っていくんですよ。
(榊原)気持ちいい!そこからいくからものすごい気持ちがいい。
きれいなんですね。
いやいや…。
(榊原)今の気持ちよかった。
(東)真似しちゃってるじゃないですか出来ないって言ってて…すごい。
いやもう本当に…それはやっぱりひばりさん独自の声の出し方ですね。
こんなすごいほとんど高音の…歌い出しからもう全部がすごいっていうのはあまり…。
少なかったですね当時。
さあそれでは甦る歌謡曲天童さんが絶賛する『哀愁波止場』をお聴きください。
歌い出しに注目です。
さらに高音だけじゃなく低音の魅力を味わえる曲もあります
五輪真弓の名曲をカバーしていました
(拍手)うまいねえ!うまい!素晴らしい!天童さんのおっしゃるとおりですね。
すごい!『恋人よ』もすごかった〜。
いい曲選んでくれたねホントにね。
私聞いた事あるんですけどひばりさんはあんまり自分の曲をアレンジしないで若い時に吹き込んだらその時の声でその時の歌い方でいくら年を取って歌ったとしてもちゃんとその当時のまんまの歌い方をするって。
みんなの耳に残ってるそのまんまをちゃんと甦らせて歌ってくれるんですよね。
(はるな)やっぱり大変な事なんですね。
その時のまんま歌うっていう事は。
それねやってるとわかりますけどね…。
(武田)歌手は。
私どももそうですよ。
キーをみんな落として…。
(武田)落とすんですよ。
それはねもう聴くとねわかるんです。
(一同笑い)
(東)そりゃあねプロはわかるでしょうね。
何も気づかないけどこっち。
さあこれまで美空ひばりさんの名曲を聴いてきましたがひばりさんの数ある名曲の中でも特に幅広い世代に歌い継がれている曲といえば皆さんもうおわかりでしょうね。
(拍手と歓声)
(榊原)待ってました!
(テリー)待ってました!それでは聴いて頂きましょう。
甦る歌謡曲天童よしみさんで『川の流れのように』です。
このあと昭和を代表する歌う銀幕スターが登場!
当時の秘蔵映像盛りだくさんでお送りします
続いては…
「俺らはドラマーやくざなドラマー」
映画が庶民にとって最大の娯楽だった昭和30年代から40年代
「喧嘩代りにドラムを叩きゃ」
たくさんのスターが銀幕から生まれました
そして当時銀幕スターたちが映画の中で自ら歌った歌は数々の流行歌となって今でも色あせない名曲となっています
劇中にまるでミュージカルのように歌のシーンが入ってくる事が多かった昭和の映画
そこでまずは銀幕スターたちが作品の中で歌を披露している名シーンをご覧ください
お前まさかその流行歌俺のジャズを…!?そうだよ。
いい曲だから俺とチャコちゃんで文句考えたんだよ。
イカしてるだろ?やめろ!
(ピアノの音)泣きたくなったよ俺は…。
コラ!キン子が歌っちゃいけないの?次郎さんと2人の歌だから。
そうよ。
うわ〜!
続いては…
そして幹部社員としての腕を磨く。
そうだよ。
俺はね…。
映画『いつでも夢を』で純愛コンビの浜田光夫と一緒に歌う名シーンが…
「北風の中にきこうよ春を」
さらにこちらはなかなかお目にかかれないあの高倉健が劇中で歌を披露する貴重な映像
しかも
そして小林旭の『ギターを持った渡り鳥』はシリーズ化した映画とともに大ヒットしました
そんな中から今夜は映画の黄金時代にデビューし数々の大物スターの背中を追いかけてきた
そんな高橋英樹が見た歌う日活スター石原裕次郎と小林旭を大特集
(拍手)
(中川)うわ〜楽しみ!さあVTRご覧頂きましたが日活スターの中でも裕次郎さんと旭さんは別格だったと。
本当にこの2人は両巨頭でしたね。
他にも渡哲也さんとか吉永小百合さんとか歌を歌ってそれがヒットする俳優さんたちいっぱいいました。
で逆に全く歌がヒットせずにずっと細々とやっている高橋英樹とか宍戸錠とか二谷英明とかいう俳優も頑張っておりましたけれどもね。
残念歌はダメだったんですね。
ええ全然ダメでしたね。
一応歌は歌ったんですか?あのね主題歌っていって必ず映画の中で歌わされるんですよ。
ですから歌は歌ってるんです。
主題歌として。
誰も聴かないし家族も買わないというレコードでございます。
そんな中でまず最初に見るのがこちらです。
そうですこちら。
(テリー)当時…。
いや全然…。
あの日活はねよくそう言われてたんですけどじゃあ裕次郎さんと旭さんは一緒にプライベートで飲みに行ったり歌を歌ったりっていう事はあったんですか?あります。
私ご一緒致しました。
ご一緒致しましたがさあそれでは石原裕次郎さんの歌の魅力に迫りたいと思います。
それでは参りましょう。
今回は裕次郎さんのヒットソングで三本の指に入ると言ってもいい名曲から作られました作品をご用意致しました。
裕次郎の代表曲の一つ『赤いハンカチ』
この曲が大ヒットした事から映画は作られました
(東)うわ〜いいなあ…。
(中川)かっこいい。
裕次郎さんの歌声の魅力っていうのはなんでしょうか?裕次郎さん独特の世界を作り上げるんですよね。
あの声って当時としては歌手としては珍しい声で非常にこう低音というか柔らかいというか…。
それで覚えやすいんですよ。
ですから映画を見て主題歌を歌うと映画館から出てくるお客さんがみんな…。
「アカシヤ…」って出てくるんですよ歌いながら。
(中川)すぐ歌えちゃう。
すぐ歌えちゃうの。
だからヒットするんですよね。
女性は。
そうだよね。
だからディック・ミネさんが歌った歌なんかでも裕次郎さんが歌うと裕次郎さんの曲になっちゃいますね。
だからそういうところが不思議な方でしたね。
死ぬほどモテましたか?やっぱり。
そうなんだ…。
当時からもう大スターであるそうですね。
さあところでテリーさん。
共演女優で最も数が多い人これどなただと思います?芦川いづみさんですか?正解こちら。
看板女優浅丘ルリ子さんですね。
(榊原)えーっ!そうなんですか?でもこの浅丘ルリ子さん劇中で一緒に歌ってるシーンっていうのはないんですよ。
さっきみたいに別々のところで歌ってるのはあるんですけど一緒にデュエットみたいにしてるっていうシーンは全くないんですね。
『夕陽の丘』なんかないの?ないんですねえ。
劇中ではないんですがテレビ番組でですねまあ…2人がデュエットする貴重な映像これご用意致しました。
はい甦る歌謡曲歌う日活スター石原裕次郎と浅丘ルリ子のお宝デュエット映像をご覧ください。
映画の主題歌であった『夕陽の丘』は石原裕次郎と浅丘ルリ子初めてのデュエット曲でした
そんな2人の貴重なデュエットは日活スターが同窓会のように一大集結した特別番組で実現しました
ああうまくいったね。
ありがとう。
(拍手と歓声)これ貴重ですねえ!
(テリー)お宝だなこれは。
高橋英樹さんもいらっしゃって。
若い私も出てましたね。
(テリー)英樹さんかっこいい。
でもこの方
(榊原)えっそうなんですか?そうなんです。
私一度レコーディングにねおいお前今日レコーディングあるからちょっと付き合えって言って若手が4人ばかりついて。
で行った事があるんですが…。
まあその時歌われた曲をですねあとでラジオかなんかで流れてきて…。
そのくらい…。
ええ〜っ!
(テリー)伝説ですね。
(東)あれもやっぱカンペ見て歌ってたんですかね?もちろんです。
(一同笑い)もちろんですよ。
ちょっと目線が下だったもんね。
裕次郎さんはかなり多くの曲をね…。
まあいっぱい歌ってるんですがさあ裕次郎さんの中で一番歌われているデュエット曲といえば?うん…やはりそうですね。
歌いましたねこの歌はね。
(一同笑い)
(中川)やっぱり…。
(東)これで口説いてたんですか?ホントにマジな話ね…。
この『銀座の恋の物語』。
裕次郎さんと大物女優さんが歌う『銀座の恋の物語』始め裕次郎さんの大変貴重なお宝デュエット映像をこれ3つご用意致しました。
(中川)おおっ!甦る歌謡曲歌う日活スター。
テレビ朝日に残る裕次郎さんのお宝デュエット映像3連発です。
どうぞ。
日活の女優陣に囲まれ照れる裕次郎にもご注目ください
続いては兄である石原慎太郎との貴重なデュエット映像
(拍手)
(裕次郎)若い時のディック・ミネさんみたいだな。
そして渡哲也の名曲『くちなしの花』をデュエットする貴重映像
「くちなしの白い花」
さらに『くちなしの花』にまつわる貴重映像をもう1つ
吉永小百合が演奏するピアノで渡哲也が歌いそして裕次郎が歌詞のカンペを出すという極めつきのお宝映像です
(ピアノ)それはないですよそれは…。
(観客の笑い)どうも失礼しました。
(拍手と歓声)
(中川)うわ〜もうスター…。
(テリー)すごいお宝ですね。
そうですね。
この映像を撮ってる時私ずっと同席しておりました。
あら。
はい。
でああ…。
うらやましいなあってずっと思ってました。
吉永さんがまたきれいですね。
きれいですよねえ。
これが銀幕スターですね。
普通スタッフさんが出される…。
だから…。
(中川)面白い。
それでも緊張するよね。
そういう事ですか。
さあそして今回はもう1つお宝映像があるんですよね。
はい。
ご用意してるのはこの方との歌ですから。
勝新太郎さん。
(武田)うわ〜!
(榊原)えっ!あれだ…。
石原裕次郎さんと勝新太郎さん。
この2人が歌っている映像が…。
(中川)夢のコラボ。
これこの当時ですね日活と大映ですから五社協定ってのがありますよね。
ホントはだから映像では一緒になれないんだけど歌ではちゃんと歌っているという。
映画会社が違うと共演出来なかったんですか?出来なかったんですこの頃。
そうなんだよね。
甦る歌謡曲歌う日活スター。
日活石原裕次郎と大映勝新太郎の大変貴重なデュエット映像ご覧ください。
このあと甦る歌謡曲歌う日活スター。
日活石原裕次郎と大映勝新太郎の大変貴重なデュエット映像ご覧ください。
その奇跡の共演が実現したのは石原軍団20周年記念パーティーを放送した特別番組の中で2人のデュエットは突然実現しました
「秋には太陽が空と別れる」…僕は自分の歌がわかんないんですよ。
(拍手)ホントに歌詞覚えてないんですね。
覚えてないです。
カンペがなかったから出なかったんですかね?そう出ないんです。
(榊原)勝新太郎さんの方がちゃんと覚えてらっしゃったっていうね。
このお二人はよく一緒に歌ってましたね。
京都でよくお会いしましたけども…。
そうですか。
すごいね。
ライバルと言いながらもやっぱり陰ではすごく信頼し合ってた仲なんですかね?ホントに兄弟分ですね。
勝プロが作った映画にも裕次郎さん出てますもんね。
『人斬り』ですね。
いい映画でした。
そして歌う日活スターで欠かせない方がいらっしゃるんですよね。
そうなんです。
それがこちら。
小林旭さん。
この中でやっぱり歌はね日活の中でもうまかったですね。
一番うまかったかな。
特別なね声をしてましたよね。
非常に高い声で…。
ハア〜!と声出すんですよ。
すごい声出す人ですね。
もうだって小学校の時の憧れの大スターですよね。
でね小林旭って違うんですよ。
(徳光)あっそうなんだ。
小林旭って『さすらい』シリーズで旅してるから…。
『渡り鳥』シリーズ。
(武田)そうそう『渡り鳥』…。
だから
(徳光)なるほど面白いなあ。
(テリー)確かに。
旭さんの場合はですね…大概の場合映画っていうのは映画の中で主題歌を歌ってその歌がヒットするって事が多かったんですけど旭さんはご自分で歌を歌ったのがヒットしてそれが逆に映画になったりするケースもある。
『昔の名前で出ています』とかそうですね。
さあそれでは歌う銀幕スターから歌手としての地位も確立しました小林旭さんをご覧頂きましょう。
甦る歌謡曲小林旭さんスペシャルメドレーです。
(テリー)うわっいいなあ。
(徳光)いいですねえ。
この曲は翌年に作られた映画『投げたダイスが明日を呼ぶ』の挿入歌になりました
ダイスが俺を呼ぶんだ。
そして近年のコンサートで必ずといっていいほど歌われる『熱き心に』
これは小林旭のファンだったといわれる大滝詠一が作曲したんです
(拍手)英樹さんのデビュー作も小林旭さんの作品…。
小林旭さんの一作の中に私デビュー致しました。
相手役の浅丘ルリ子さんの弟役でデビューしたんです。
昭和36年です。
小林旭さんってどういう方だったんですか?まあとにかく負けず嫌いでどんな事でも自分でおやりになる人でどんな高い崖の上からでも自分で落ちるという…。
えっ!?えっスタントマンは…。
スタントマンが怖くてやらない事を自分でやってました。
(榊原)えっ!?だってそんなスターだからやらせないんじゃないですか?普通だったら。
ワンカットでも階段から全部2階から落っこってきてるの…。
(中川・東)えー!ご本人から聞いたらね香港の町歩いてたらジャッキー・チェンがねやって来てね「OhMyアイドル!」って抱きついたって…。
(真麻・榊原)へえ〜。
でも今はもうホントに歌手活動ずっとしてますからね。
(徳光)そうですよね。
はい。
映画人としても素晴らしかったですけど…。
そして小林旭で欠かせないのは紅白初出場を決めたメガヒットシングル『昔の名前で出ています』
のちに公開される自身の映画の挿入歌にも
今夜は去年『紅白』に初出場した三山ひろしに歌って頂きましょう
(拍手)
(拍手)
このあとも懐かしの昭和の歌謡曲が続々登場!
続いては…
昭和30年代から40年代
日本の歌謡界をにぎわせたのが
聴けば当時を思い起こすムード歌謡ですが今では懐メロと呼ばれる少し忘れられがちな存在
そこでこの先も歌い繋いでいくため語り合いましょう
「あなただけが」
(徳光)という事でちょっとムード歌謡をですね再浮上させて頂きたいと…。
我々からすると
(徳光)翔子ちゃんだけが知らないかな?そうですね。
大人の皆さんがカラオケで歌ってたなっていうところから知る事が…。
(徳光)お母さんはご存じだと思いますよ。
ムード歌謡といいますとですねまず最初にムード歌謡の定番といいましょうか1つの定義と致しましてはこういう事が挙げられると思います。
(東)デュエットになるんだ。
(徳光)デュエット。
デュエットはされた事ありますか?郁恵ちゃんはどうですか?スタッフとかそういう人たちと一緒に行って。
早速聴いて頂きましょう。
甦る歌謡曲ムード歌謡のデュエットソング3曲お聴きください。
まずお聴きください。
「なぜ泣くの」
(東)大人!
(中川)いい曲ばっかり。
(徳光)こういうのがデュエットソングなんでございますけれども。
『東京ナイト・クラブ』が男と女がワンコーラスの中で掛け合ってるわけです。
『東京ナイト・クラブ』が出るまではですね割合とその一方的にっていう感じで…。
という事は初めて会話するような掛け合いで歌った歌という事なんですか?そういう事です。
そうなんですか!
(徳光)『東京ナイト・クラブ』が。
だからそれ以降あれでしょ?結構掛け合いが多いでしょ?ところがですねこの『別れても好きな人』は実は武田さんロス・インディオス&シルヴィアの前にですね10年も前にあるグループが歌ってたのご存じでしょうか?
(徳光)知りませんか?
(武田)あっそうですか。
このグループが歌っておりました。
えっ!?パープル・シャドウズ?
(中川)男子たちが…。
(東)男の人しかいない。
でもこれはデュエットじゃないですよね?これはデュエットじゃないです。
だから『別れても好きな人』がヒットしたのは男女の掛け合いにした事によりましてこれ大ヒットするわけですね。
(はるな)えーっ!?
(中川)デュエットで輝いたんですね。
(テリー)パープル・シャドウズが歌ってたんだ。
このデュエット曲っていうのはどうしてヒットしていったんでしょうか?やっぱりダンスをしながら歌って踊れる。
そうするとつまり間奏がありますよね。
間奏のところで適当におじさんたちが口説いていた。
会社の上司もそうです。
だからそれがパワハラだったわけでありますけども。
(テリー)夢のような時代ですよね。
(徳光)夢のような時代です。
いやいやいや…。
(東)娘の前だから急に喋らなくなりましたね。
(徳光)口説いた事もおありになりますよね?はい?口説いた事もおありになりますよね?まだまだムード歌謡にも語り尽くせない魅力あるんですよね?
(徳光)あるんです。
デュエットソング以外にもですねムード歌謡には欠かせないものがもちろんあるわけでございますがそれがこちらでございます。
(テリー)要は女歌って事ですよね。
(徳光)女歌です。
さあそれでは甦る歌謡曲ムード歌謡の世界女性目線の歌詞に注目してお聴きください。
(拍手)
(拍手)
(徳光)なんかだんだんムーディーな…。
このままちょっとあれでしょ?なんか…。
(榊原)ミラーボールですか?ミラーボールがねちょっと回りそうなこう雰囲気になって参りましたけれども。
ムード歌謡が全盛の頃っていいますとねやっぱり強い男性からですね優しい男性を女性がこう求めるようになってきたという。
そこで男性が女性の気持ちを優しく歌う。
それには若干おネエチックに歌うと。
(はるな)確かに。
狙ってたんですか?それは。
それはもう明らかに狙いでしたね。
(はるな)えー!そうなんだ。
そしてまだまだムード歌謡にも語り尽くせない魅力あるんですよね。
その魅力っていいますのはコーラスでございますね。
先ほどからお伝えしていますように。
「デュデュデュデュ〜」ってありますよね。
「ワワワワ〜」とか。
(東)イメージあるね。
(徳光)これがね非常にやっぱりムード歌謡をより以上にムーディーにしたという事になるわけでありますけど。
(徳光)続きましてはですねムード歌謡にやっぱり欠かせないものとしましては楽器。
あ〜そうか!
(徳光)1つはレキントギター。
レキントギターが泣いてましたね。
(徳光)泣くでしょ?レキントギターは泣かせるんですよホントに。
それではムード歌謡の魅力がわかるコーラスが特徴的な『ラブユー東京』お聴きください
(コーラス)「ウーウー」「アーアー」
さらに高音が特徴のレキントギターを使った東京ロマンチカの『小樽のひとよ』お聴きください
(レキントギター)ムード歌謡について熱く語って頂きましたがこれがねもう先ほどからお伝えしておりますように女性目線。
ムード歌謡コーラスのコーラスがある。
そしてなんと言いましてもですねちょっとおネエチックに歌う。
これが私の大推薦でございましてぜひひとつお聴き頂きたいと思います。
(拍手)「街ではもう」
このあとテレビ朝日のライブラリーに眠る秘蔵映像が目白押し!
昭和の名歌手たちが極上のものまねを披露します
続いては秘蔵映像盛りだくさんのこのコーナーです
皆さんかつてこんな番組があったのをご存じでしょうか?
1967年から1977年にかけてテレビ朝日で放送された『象印スターものまね大合戦』
ものまねタレントではなく…
実はこの番組を見てものまねの道に進んだのが…
続いては…
発表します
(一同笑い)
(コロッケ)今日は私はね真面目にやりますからね。
(テリー)面白い事やってるじゃないか!
(東)真面目にやってください。
(コロッケ)何?ずれてる?
(榊原)顔がずれてる顔が。
顔がずれてる?じゃあ申し訳ございません。
それでは一生懸命…はい?
(東)真面目にやってください。
すいません。
顔がでかいんでね位置がよくわからない…。
(テリー)コロッケはね…。
(一同笑い)
(コロッケ)お願いします。
コロッケさんが驚いた貴重映像10選という事なんですがコロッケさんも『スターものまね大合戦』の大ファンだったと伺いました。
もうこの番組があったからコロッケが確立されたんですよ。
(一同)へえ〜!こういうふうにやればいいんだとか。
ですから私が勝手に作ったものまねは基本的にそんなにないんです。
これを見てこれが基本ベースになってますから。
これがすごい…。
すごい時代なんです。
今日は貴重な映像ばかりなんですよね。
そういうある大物歌手の方の普段見られないとても貴重なものまね映像ちょっとお見せしたいと思います。
それでは早速参りましょう。
甦る歌謡曲大物歌手3人のものまねご覧ください。
(玉置)ピーターの『夜と朝のあいだに』。
華麗なデュエットが当時の話題を集めました。
(はるな)美川さんがピーターさんのものまね?
(はるな)本人もいるんですか?これ。
(テリー)すごい!
(武田)ひばりさんいるんだ。
(テリー)うわっひばりさんの横でやるんだ。
(榊原)ご本人横にして緊張しますよ。
このあと芸人コロッケの基礎となったものまねが登場!
必見です
(中川)今度はピーターさん。
(榊原)アハハ!
(はるな)すごい映像。
ビックリ!このピーターさんがやってらっしゃった事っていうのは今回のは今声出して歌ってらっしゃいますけども元々当て振りをやってらっしゃったんですね。
ちあきなおみさんとか越路吹雪さんの曲をかけてそれに当て振りをやってらっしゃった。
(東)じゃあエアー的な感じだったんですか?
(コロッケ)そうです。
ですから今のエアーものまねは愛ちゃんがはるな愛ちゃんやってますけどその前が僕でその前がピーターさん。
(一同)へえ〜!私はコロッケさんのエアー芸を見てちっちゃい時に見てこうやって口を合わせれば声なんでも自由自在に出来るんだと思ってやったんですよ憧れて。
ホントに?
(はるな)コロッケさんはピーターさんを…。
(コロッケ)そう。
えーっ!
(コロッケ)最初はピーターさんがやり出してそういう顔と振りとを…。
あれ今だから元々はピーターさんが最初ああいうのやり出して…。
さあそれでは昭和の歌手の貴重なものまね映像続いてご覧ください。
(中川・はるな)かっこいい!
(榊原)秀樹さんもうまかったですよものまね。
(テリー)うまいね。
(榊原)ご本人登場?あら〜。
(玉置)淳子ちゃんです。
浅田美代子『赤い風船』。
(榊原)あっ五郎さん。
うまいんだ五郎さん。
(拍手)
(榊原)あっにしきのあきらさんも上手だったものまね。
(榊原)三田明さんすごい上手。
(テリー)三田さんはすごいね。
(東)すごい!うまいね!すごいんですよ。
(東)確かにデフォルメとかじゃないですね。
三田明さんのものまねっていうのはクオリティーが高くて最初に橋幸夫さんとか森進一さんをやられたのが三田明さん。
ずっと優勝してましたよね。
(コロッケ)もうすごかったですね。
それでこの…まず共通点があるんです。
こちらです。
(コロッケ)アイドルがものまねをする。
今で言えば例えば嵐とかHey!Say!JUMPが近藤真彦さんマッチの真似をするようなもんで。
すごいアイドルだったんですか?大変なアイドルです。
大変なアイドルですよ。
(テリー)にしきのあきらさんはそれこそねジャニーズのスターが『an・an』の表紙になるでしょ?あんな感じで人気あったんですよ。
えーっ!?今なんか…ねえ?ホント…。
(榊原)何?何?このトップアイドルの方たちがこの先輩の真似をよくぞやりましたっていう。
もうあり得ないような…。
(東)今だったらねだって歌ってて本物あとから出てきてビックリ!みたいなのあるじゃないですか。
最初からもうずっといるんですね…。
(榊原)すごいプレッシャーですよ。
(東)めっちゃプレッシャーですよ…。
こんな近い距離でガン見しながらって…。
西城秀樹さんも森進一さんがフッと来られたらもう出来ないですよ横で。
急に歌わなくなりましたもんねやっぱりね。
(榊原)でもその当時は当たり前というか…。
得意じゃなくても何かやらなくちゃいけないみたいな。
郁恵さんも…?
(榊原)結構やりました。
(コロッケ)そうですよねやってらっしゃいましたよね。
日吉ミミさんとか…。
(はるな)ちょっと…どんな感じ?
(テリー)高音でね。
(はるな)どんな感じで?「恋人にふられたの」「よくある話じゃ…」
(コロッケ)ありがとう!
(東)すごい。
(中川)いきなりでももう…。
だって若いアイドルでそういう先輩の歌手の方を真似したのも結構走りですから榊原郁恵さんは。
コロッケはさ結構オーバーだったでしょ?それ…最初は怒られなかったの?あの…怒られなかったっていうか…。
(東)逃げるように帰ってたんですね。
僕はずっと永遠の逃亡者ですから。
ものまねといえば武田さんのものまねはみんなやってましたよね。
ちょっとやってくださいよ。
武田さんは僕ホントに好きなんですよ!
(テリー)そんな事はいい!顔を横に振ってらっしゃいますけどどんなんでしたでしょうか?武田さんのものまねでも僕の中では歴史がありまして。
(榊原)違うの?
(テリー)昔からやって。
昔は同じせりふでもこう上から喋る感じが多かったんですよ。
あなたたちに言いたい事があるんだ!…ってこう上にこういってた。
それを今の武田さんがもし同じせりふを喋るとしたら…。
あなたたちに言いたい事があるんだ。
…っていう下からこう。
(テリー)武田さんこれどうですか?今のは。
(一同笑い)
(東)怒ってるんだよ!
(コロッケ)すいませんすいません…。
ここまでね見てきましたけれどもレベルはどうなんでしょう?皆さん。
スターの方がスターをものまねするっていう。
いやいや…そりゃレベルもすごい高いですよ。
やっぱり皆さん歌手として確立された方たちが歌をちゃんとものまねで歌われるので…。
すごいです。
やっぱりこのお二人はもうものまねっていうより逆にものまねではない自分のものにしてらっしゃる歌い方。
まずこの方からです。
(榊原)おお〜五木さん!うまいですよ。
(東)うまい。
(徳光)うまいねえ。
(テリー)うまいねこれ。
(コロッケ)うまいですよね。
(徳光)歌がうまいから…。
(榊原)うまい。
(徳光)これもいいんだよ。
一節太郎。
これ最高ですよ!
(榊原)うまい。
(はるな・中川)全然声違う。
(テリー)うまいねえ!
(榊原)うまい!
(徳光)うまいねこれ。
これはすごい。
(拍手)
(コロッケ)素晴らしいですよね。
元々五木さんの自分の声じゃないところで絶対出ないような声を出してらっしゃるので…。
やっぱりそのものまねによって七色の声を持ってらっしゃる。
そもそも五木さんの声っていうのはどういう声なんですか?五木さんの声っていうのはどちらかというとよく皆さんものまねをする時に低音から入るんですけど実際はそうじゃないんですよ。
「よこはま」…って皆さんこうやってやるじゃないですか。
でも本当は違うんです。
もう少しこう軽い感じで…。
「よこはまたそがれ」…っていうこういう感じでこう前にウワッといかないでこう引いて歌うような。
さあここまで9人のねスターの方のものまねを見て参りましたが。
男性の方ではやっぱり素晴らしいのは五木ひろしさん。
で女性の方だともうやっぱりこの方しかいないです。
甦る歌謡曲ものまねレベルがぶっちぎりに高かった最後のこの方ご覧頂きましょう。
(武田)あっ似てる。
(徳光)似てるでしょ?
(武田)ああ〜似てるわ。
(榊原)うまーい!
(テリー)すごいなこれ。
(榊原)うまい。
(武田)うわ〜!
(コロッケ)これもうまいんですよね。
(武田)わあ〜似てる!
(徳光)似てるね。
クリソツだよねこれ。
(徳光)ああうまいなあ。
(テリー)わあうまいなあ…。
(テリー)すごいね。
(中川)うわ〜。
(司会)さあ見ものです!はるみさんとの共演です。
(はるな)すごい!
(コロッケ)すごいなこの画。
(一同)えーっ!
(中川)激似!うまいねえ〜!
(東)うわきれい!
(拍手と歓声)
(テリー)すごいな!
(東)すごい!
(コロッケ)すごいですよね!ですから森昌子さんのものまねのレパートリーっていうのはこれだけたくさんあります。
(東)えーっ!
(榊原)うわーっ。
(コロッケ)ですからちょうど同じ頃のアイドルの方たちから演歌の方皆さんの真似をやってらっしゃったんですよね。
すごい仲間由紀恵まであるんですか?あべ静江さんさっきほらせりふだったでしょ?歌のうまさとはまた別にせりふって生じゃないですか。
そこでも似てたんですよね。
もうレベル高すぎるな。
(コロッケ)で歌がまたホント音程がしっかりしてらっしゃるんで聴いてて心地いいんですよねものまねが。
もしさあの当時ね怖い事言わないでくださいよ。
(一同笑い)
(コロッケ)すいませんね。
今日はですねコロッケさんが驚いた貴重映像10選をご紹介頂きましたが…。
いやでもねこれねまだ紹介しきれないんですよ。
まだねいっぱいあるんですよ。
ですからなんかもう逆にそれをまだいっぱい僕は紹介したいのがたくさんあるんでもう1回ねこれねお願いしたいです。
ぜひ続編もねやって頂きたいと思います。
という事で本日はコロッケさんどうもありがとうございました。
どうもありがとうございました!
(拍手)
続いては…
昭和40年代から50年代日本の音楽シーンにおいて一大ブームを巻き起こしたジャンルがあります
それは「今日ですべてが終わるさ今日ですべてが変わる」「今日ですべてがむくわれる」
数々のヒット曲には若者ならではの社会への強いメッセージそして若者の青春が描かれていました
続いては
フォークソング全盛期その渦中にいた当時のエピソードとともに語ります
(拍手)はい!というわけでございまして申し訳ございませんちょっと地味になりましたけどフォークソングという事で。
さて皆さんはフォークソングを聴いていましたか?テリーさんいかがでしょうか?ちょうど…同じ歳ですよね?ホントに聴いてました。
はい。
僕はね歌謡曲とか演歌の司会してたじゃないですか。
フォークソングが突然台頭してきた時にはですねホントにあの…やきもち焼きましたね。
なんでこんなに惹きつけるんだろうとフォークソングが…。
みんな歌謡曲のファンの人たちを持っていっちゃうんじゃないかなっていう…。
まず最初にフォークソングとはなんなのかそれを表してる1曲を選びましたので。
お願い致します。
それでは甦る歌謡曲武田さんが選んだフォークソングを象徴する1曲お聴きください。
(拍手)
(中川)やっぱり名曲。
(榊原)うん。
皆さんわかりましたでしょうか?私がやっぱりそのフォークを象徴する1曲だと…。
これですか。
やっぱりフォークソングの時代の特徴なんですけどもやっぱりその目線そのものが若者目線でもちろんこの『神田川』に関しましてはプロの作詞家が詞を作っているわけですけどもそのプロの作詞家自身もまあいわゆる歌謡界とか演歌界とは縁の遠い学生仲間から出てきたというような。
でそういうなんかこう一種若者の世界の中から若者自身が自分たちの手でその…歌の世界を作り始めたといいますかね。
でみんながどこか密やかに思っていたのはあの…嘘は歌わないんだと。
なんかやっぱり自分の体験とか日常とかそういうもののリアル感手触りのある歌詞を作るんだと。
だからその…。
(武田)ほとんどねその…。
(武田)こういう面白い世界だったんですね。
武田さんがあれですか?フォーク志したっていうのはやっぱり自分たちで音楽を作るっていう…。
そうなんです。
昨日一昨日女の子にふられて昨日出来た歌詞を仲間2人に見せるとメロディーをつけるという。
そのたまらない即時性ですよね。
ワクワクするんですよ。
その3日前の失恋が歌になるという事。
なんかそういうのがエネルギーだったんですよね。
早速ですが初期のフォークソングとはどういうものだったのでしょうか?え〜その初期のフォークソングを象徴するキーワードがこちらです。
(一同)あ〜!
(武田)やっぱりね何はともあれこれですね。
社会への反抗。
私たちの世代特有なんでありますがあのやっぱりあまりこう上の世代を…そのなんていいますか従わないといいますかね。
そういうとこありましたね。
それがポリシーだったんでしょうね。
その時に生まれたのが…
岡林信康を始めとする
これを機に次々と生まれた社会への反抗を歌うフォークソングご紹介しましょう
また当時は受験戦争が激化
そんな社会への皮肉を込めた曲も生まれました
(拍手)
(武田)まあこういう非常にこう…若者の世界若者の目線で歌を作っていく。
でまあその中にありました大きい目線でありますが『戦争を知らない子供たち』という…。
これはやっぱり父親世代に対する一種我らの反抗ですね。
でその流れで大きく社会を動かす学生運動ですね…全共闘世代が荒れて荒れまくるんでありますけども…。
ある出来事をきっかけに大きな転換期にフォークソングも入ります。
その事件がこちら。
(武田)やっぱりテリーさんこれだよね。
(テリー)ここで正直言ってがっかりしましたね。
この当時僕学生運動やってたんですね。
でこの前の東大…紛争の時安田講堂が突っ込まれるでしょ。
涙流しながら中にいる連中がかわいそうだと思ってたの。
でもこのあさま山荘から…これからね連合赤軍がさっき言ったリンチ事件で仲間を殺していった時…。
僕たちがやろうとしていたそれこそ日本を変えるっていうのはこんな仲間を殺してなんか…そんなんじゃないよって言ってこれで本当にしらけましたね。
このあさま山荘事件辺りから急激に学生運動ももう一気に下火になっていくわけですね。
その変化もまたきちんとこの時代の歌…フォークソングになって残っているんであります。
はい。
さあという事で甦る歌謡曲武田さんが選んだ時代の変化を歌ったフォークソングをお聴きください。
このあとフォークソングが転換期を迎えた時代の名曲お見せします
甦る歌謡曲武田さんが選んだ時代の変化を歌ったフォークソングをお聴きください。
さらに昭和50年にヒットした『「いちご白書」をもう一度』
ばんばひろふみさんに歌って頂きましょう
学生運動に別れを告げるような歌詞に注目です
(拍手)こうやって聴くとなんかまた違う歌に感じちゃう…。
様々な歌謡曲とか演歌と違って我らが歌うフォークソングって時代が映り込みますよね。
(一同)うん…。
泉谷しげるは「今日ですべてが終わるさ今日ですべてが変わる」というもう自分を変えていかないと生きていけないっていうような息苦しさをなんかこう泉谷しげるは乱暴な語り…歌い方ですけどもやっぱり懸命に訴えて。
で彼がこの歌を歌う時やっぱりすごかったですよねウケ方が。
彼が切なそうにあの…。
「季節のない街に生まれ」って歌い出すとうわーって学生が喜ぶんですね。
そしてこの歌があさま山荘事件の2カ月後にリリースされて。
(榊原)そうなんですか。
だから非常に象徴的な歌ですね。
さあそしてですねフォークソングはまた変化を遂げるという事なんですけれども。
実はそのきっかけになったちょっと疲れた不安定な時代を象徴する歌声が実はこの曲この歌。
(徳光)ここでこれが来ますか。
(武田)はい。
へえ〜。
(テリー)これはすごいなあ。
(武田)すごいです。
この人もある意味天才だよね。
天才ですね。
天才です。
しかし…。
こんな歌は過去2000年日本の歌謡界にはなかった歌詞であります。
1行目。
異常だと思いませんか?
(一同笑い)これはすごい歌詞です。
この髪の毛がね肩まで伸びるって…。
そこまで伸びたりしそうになるっていうのは
(武田)ですよね。
うん。
さあちょっと足を急がせて次のキーワードいってみたいと思いますがそのキーワードがこちら。
そうですね。
社会から“個”へ移っていくという。
時代背景も影響しております。
第一次オイルショック昭和48年に起こりまして世の中はいわゆるトイレットペーパーを奪い合うというような…。
オイルショック。
(武田)はい。
石油を絶たれると景気がよかった日本がいとも簡単に揺れるというこの不安定な時代の中歌の世界が転換していくわけでありますけども。
そんな“個”の世界を歌った歌を選びました。
それでは甦る歌謡曲武田さんが選んだ“個”の世界を歌ったフォークソングお聴きください。
このあと『22才の別れ』『なごり雪』…
武田鉄矢が選んだ
お聴きください
大ヒットとなった『神田川』を歌ったかぐや姫
そのあとに生まれたのがこの曲『22才の別れ』
(東)いい歌。
ああ〜いい。
いい歌。
(武田)そうですね。
何度聴いてもいいですね。
これは名曲ですね。
その中でこの手の歌が出てきてこの歌がのちにニューミュージックと言われるような小椋佳さんとか松任谷由実さんですね…井上陽水さんみたいな歌に連続していって。
そこからまた今度は桑田さんみたいな日本語の語感を残しつつさらにパーソナルな歌になっていくという。
あれですね『22才の別れ』とね『なごり雪』って伊勢さんじゃないですか作詞が。
手触りがあるよね。
伊勢さんはやっぱりね…あの曲はね神がかってましたね。
風景が全部思い浮かびますよね。
(武田)思い浮かぶね。
そしてですねフォークのムーブメントを牽引した場所があるんですよね。
はい。
それがこちら。
(東)ああ〜。
有名ですよねこれ。
(武田)ライブハウス照和。
ここには九州出身のいわゆるアマチュアバンドが集まって。
客席にはなんと驚くなかれ今出てきました正やんがよく来て予備校生で。
で正やんが見つめるステージに立ってたのがチューリップとか私ども海援隊とか。
その時に一生懸命我々が歌ってる時にコーヒーを運んでたのが甲斐バンドの甲斐君でしたね。
(中川・東・榊原)えーっ!
福岡県博多にあるこの小さなライブハウスがフォークムーブメントの中心的な役割を果たし長渕剛さんなど数多くのアーティストがステージに上がっていたんです
でも僕が知ってる甲斐バンドっていうとやっぱ『HERO』っていう曲がね有名ですよね。
我々がおりました頃は彼まだ1人で吉田拓郎さんなんかのコピーやってたんですけどもそのあとは彼自分でバンドを集めて九州最後の大物といわれるようなね甲斐バンドを結成するわけですね。
このあとその
たっぷりとお見せします
それでは甦る歌謡曲ライブハウス照和出身歌手のヒット曲をお聴きください。
海援隊の皆様にはあの曲を実演して頂きます。
(司会)『心の旅』はチューリップ。
そして海援隊にはあの名曲を披露して頂きました
(拍手)3時間にわたってお送りして参りました『甦る歌謡曲!懐かしの昭和の名曲大全集』。
貴重な映像とそして貴重なお話とたっぷりお届けして参りました。
色々お話ししてくださった皆様本当にありがとうございました。
そして高橋英樹さんもお話ありがとうございました。
ありがとうございました。
さあという事でまた次回お会い致しましょう。
さようなら!2016/01/07(木) 19:00〜21:48
ABCテレビ1
甦る歌謡曲[字]
昭和の歌謡曲にまつわる貴重な映像・エピソードを当事者たちが公開!石原裕次郎、美空ひばり、テレサ・テンらの貴重映像も!
詳細情報
◇番組内容
高橋英樹・徳光和夫・天童よしみ・コロッケらがプレゼンターとなり、昭和の歌謡曲の貴重なエピソード・秘蔵映像が公開されていく。
美空ひばり、石原裕次郎、テレサ・テン、藤圭子らの歌唱シーンに加え、有名歌手らの意外なものまね映像なども公開!
◇出演者
【MC】
高橋英樹、高橋真麻
【ゲスト】
徳光和夫、武田鉄矢、天童よしみ、コロッケ
榊原郁恵、テリー伊藤、東貴博、はるな愛、中川翔子
海援隊、敏いとうとハッピー&ブルー、菅野ゆたか、ばんばひろふみ、三山ひろし
◇おしらせ
☆番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/kayoukyoku/
ジャンル :
バラエティ – 音楽バラエティ
バラエティ – トークバラエティ
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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