波乱の歌人生 2016.01.08


死のふちをさまよい…。
愛する人をがんに奪われた。
先輩からは心ない言葉も。
これはあの小林幸子が…。
私泣いたらもう…すみません。
あの坂本冬美も…。
ありがとうございますってことを言いたいですね。
涙なしには見られない人生のひと幕が明らかに。
万感の思いを込めて更に伝説の歌姫スタートです!ということで早速でございますけどもいってみたいと思います。
最初の歌姫はこの方です。
(拍手)どうぞ。
どうぞ洋子さん前へ。
そうですね。
どんな人生を歩まれたのかそれでは長山洋子さんの波乱の歌人生ご覧ください。
今年で「じょんからじょんから」今初めて明かされる洋子が歌に目覚めたきっかけは4歳で入った地元の民謡教室。
自分の歌で喜んでくれる人の笑顔が見たくて毎日のように歌の練習に励んだ。
テレビ番組に出演。
やがて歌の才能と美少女ぶりが芸能事務所の目にとまり…。
洋子の演歌歌手デビューを誰よりも喜んでくれたのが実はうん。
またまた!父にも後押しされしかしデビュー直前洋子やっぱり当時は80年代毎年のようにたくさんのアイドルが誕生していた。
時代の流れに乗り洋子も一転はじめは戸惑いを隠せなかった洋子だが…。
気持を切りかえてアイドル歌手として頑張る覚悟を決めた。
ところがそんな洋子のアイドルデビューに思わぬ壁が立ちはだかる。
洋子!父の猛反対。
歌手になるのは幼い頃からの夢。
いちばんの理解者だったはずなのに…。
父と娘のすれ違いがここから始まった。
父に認められないまま何がなんだかさっぱりわかりませんがとにかく自分自身の力を100%出し尽くして一生懸命頑張りますと胸をときめかせて語ってくれました。
長山洋子さんです。
『春はSA・RASA・RA』。
「ああ桜並木で風が」「ひと荒れしそうな…」固い決意を胸に歌う…。
新人アイドル歌手として目の前の仕事に全力で取り組む洋子。
しかし自宅に帰ると…。
父は洋子と目も合わせようとしない。
頑張れば洋子はその思いを胸にアイドル歌手としてステージに立ち続けた。
芸能界は甘くはなかった。
翌年2年目のジンクスが洋子を襲い仕事が激減。
ともにトップアイドルを目指していた同期のライバルたちも次々と田舎に帰っていった。
しかし洋子は夢を諦めるわけにはいかなかった。
父の猛反対を押し切ってまで選んだ歌の道。
トップアイドルになるまでは…。
この頃洋子に残されていた人が集まるはずの商店街でさえ足を止める人は少なかった。
父に負けたくない。
高校を卒業した洋子はある覚悟を決める。
両親のもとにいては甘えが出る。
父にこの気持を伝えよう。
ところが…。
どうして父はわかってくれないのか?またしてもすれ違う父と娘。
トップアイドルになるまでは父に会わない。
反対を押し切ってはじめた一人暮らし。
そんなとき巡りあった曲が…。
「She’sgotitYeahbabyshe’sgotit」「I’myourVenusI’myourfire見つめて」『ヴィーナス』は14万枚のヒット。
ようやく父に認めてもらえると思ったが…。
歌番組は減りアイドルブームも去った。
シングルを何枚出しても洋子はアイドルとして崖っぷちに立たされた。
諦めかけていた洋子の歌人生を一変させる出来事が。
起死回生すべくなんとだが…。
どうせ
(笑い声)ただでさえ元アイドルへの風当たりは厳しく孤独な船出となった。
そんななか一本の電話が。
あれほど反対した父が応援してくれているというのだ。
実は陰ながら心配していた昌平さん。
長山洋子っていうんだ。
そうなの?うん。
あ〜そう頑張ってね。
あのそう思うだけで強くなれた。
たった1人で闘いを挑んでいた洋子にとって父の支えは何よりの励みだった。
「あゝあなた」「死んだら涙流してくれますか」演歌デビュー曲『蜩−ひぐらし−』は演歌歌手長山洋子の名が日本中に知れ渡った。
その年…。
平成7年『捨てられて』が大ヒット。
ポーズが大きな話題となる。
平成15年には『じょんから女節』をリリース。
「下から…」「糸さえ切れる」ヒット曲にも恵まれ洋子は演歌歌手として不動の地位を築き上げていく。
歌手として夢を叶えた洋子。
結婚して子供を持つこと。
仕事で出会った男性としかし洋子はまた壁にぶち当たる。
そう父昌平さん。
お父さん。
ん?洋子から電話。
もしもし?お父さんね…。
演歌歌手として順調な今なぜ結婚なのか。
昌平さんはどうしても許せなかった。
またしても父を子供を持つ夢を叶えるためにももう待てない。
そして洋子は待ち望んだ覚悟を決めて出産に臨んだ。
しかしこの時まだ知らなかった。
命の闘いの全貌。
そして涙。
覚悟を決めて出産に臨んだ。
しかしこの時まだ知らなかった。
あぁうぅ…。
その痛みのなかで思った。
(赤ちゃんの泣き声)頑張りましたね元気な女の子ですよ。
頑張りましたね。
洋子が病室で目覚めると。
ずっと結婚に反対していた父が立っていた。
お父さん。
ん?ちょっと赤ちゃん抱いてあげて。
おぉ…よしよしよし。
父と娘の気持がようやく通い合った。
父が心を開いた理由それはよいしょ。
長女の誕生後洋子の夫ともすっかり仲よくなった昌平さん。
今では夫の大好きなビールを持って2人の家を訪れるという。
時に壁となり時に支えとなった父昌平さん。
そんなそれが『望郷ひとり泣き』。
娘長山洋子が私が泣いちゃいけないんだけれどもこういう人生があったの?洋子さん。
全然泣くつもりなかったんですけど。
へぇ〜もうアイドルでねすぐに『ヴィーナス』がヒットしてまったく順風満帆で。
そうではなかったんですよね。
そうなんだね。
いい?はい。
ここはやっぱりそうですね。
『望郷ひとり泣き』これをひとついつもとは違う感じで歌ってください。
はいわかりました。
それでは長山洋子さんに歌っていただきますのはそのお父様がいちばんのお気に入りだというこの曲『望郷ひとり泣き』です。
ではお願いします。
ありがとうございました。
澤田先生ありがとうございました。
「ふるさとが」…。
すばらしいやっぱり。
「ふるさとが涸れた心にしみて来る」。
お父さんこのところもうたまんないだろうな。
へ〜。
はい。
どういうところが特に?なんですかねやっぱり私でも皆さんあれだよ。
ねぇすてきなご主人…。
ご主人が手紙を書いて。
ね〜いい方に巡り合って。
いえいえ日本語で。
アメリカの方ですか?アメリカ人です。
演歌と民謡で日本語を覚えたんですって。
すご〜い。
演歌と民謡が大好きなアメリカ人。
意外でしょうこれ。
すごい。
すごい人生だよね。
つながりがすごいですね。
このあとは絶対泣くなと。
そして涙。
デビューした坂本冬美。
『祝い酒』『夜桜お七』など数々のヒット曲を放ち…。
大ヒット。
そんな彼女の歌人生に欠かせない人物それが数々の名曲を世に送り出した大作曲家。
そんな恩師出会いはテレビの素人対抗歌番組。
猪俣と組んで出場することになったが…。
初めて会った猪俣は…。
どう見ても怪しい人。
これは猪俣のふだん着。
それが第一印象だった。
冬美は石川さゆりの『波止場しぐれ』を歌い猪俣に歌のポイントを教わった。
こぶしをまわすといいんじゃないかな。
はい。
レッスンが終わると猪俣は意外な言葉を口にする。
冬美ちゃん。
そうそう最初みたいに。
《じゃあなぜ細かく教えたの?》冬美は猪俣の考えがまったくわからなかった。
これこそが本番冬美は猪俣に言われたとおりレッスン前の歌い方で歌う。
あのあんまりね…。
「波止場しぐれが降る〜夜は〜」ってあんまりやらないのね。
「波止場…」そのあとはね「しぐれが…」。
「波止場しぐれが…」ざんざん降ってる感じ。
しぐれって感じしないから…いこうあたまから…はいゴー。
よしいいぞ。
スーッと消してって消してって…次。
少し教えれば格段に上手くなる…。
結果冬美は作戦は功を奏した。
その後冬美は上京。
内弟子として猪俣の家に住み込むことになった。
家の掃除から朝晩の…。
更に一日中働いた。
だがレッスンはしてくれない。
運転手までしていた冬美。
飲みに行った猪俣を待ちながら…。
そんな状況にもかかわらず猪俣は冬美をデビューさせた。
『あばれ太鼓』は新人にしては異例の80万枚を超える大ヒット。
突然冬美は多忙な生活を送ることに。
デビューを境に一人暮らしも始めた。
先生…。
レッスンをしてくれるなら家に行こう。
多忙のなか訪れると…。
座れ座れ。
はい。
相変わらずしかも。
いつでも自分と話ができるようにと…。
いつも明るいが実は寂しがり屋で人間くさい男だった猪俣。
冬美のことを実の娘のように思い接してくれたという。
猪俣はある病魔におかされる。
病院に見舞いに行った冬美は別人のような猪俣の顔色にがく然とした。
55歳の若さで帰らぬ人に。
最後に冬美が託された曲…。
それが『船で帰るあなた』。
この曲を歌うときに最後のアドバイスを思い出す。
猪俣公章が残した歌遺産。
恩師の言葉を胸に心を込めて歌う。
ふだんなかなかレッスンしてくださらなかったってことですけどこの曲のその「さようなら」の部分っていうのは指導があったんですね。
セリフのところなんですけど…。
やっぱり歌っちゃいけないって言われたんですけど。
なんか上手にやっぱり…。
先生に言われるようにはなかなかできなくて…。
じゃそのですね曲を歌っていただいて大丈夫?こういう感じだったんですね。
そうなんだよそうなんだよ。
今の心境のままぜひこの曲を歌ってくださいよ。
そうだよねほんとに。
ちょっとやっぱり歌えなかった曲なので。
どうもありがとう。
冬美ちゃんありがとうどうも。
歌に…歌になりませんでした。
ものすごい説得力があるというかこれが歌なんだなっていうふうに今感じたね。
でも先生に自分が泣いちゃいけないってことをいつも実は言われていたんですね。
紅白に初めて出たときも『祝い酒』を歌わせていただいたときも。
絶対泣くなと。
だからたぶん今日は怒ってるかもしれませんけど。
あの「さようなら」でいいんじゃない?いいんでしょうか?猪俣先生はあの「さようなら」を求めていたんじゃないかしらね。
今ねこの歌をほんとに久しぶりに封印を解いて歌われて。
天国でお聴きになってる先生に言葉をかけるとしたらどういう言葉を選びますかね?いい歌をたくさん作ってくださってありがとうございますってことを言いたいですね。
そうだよねほんとね。
ほんと残念だよねあんないい先生が55歳でね。
そうですね。
早すぎますよね。
昭和54年小林幸子の名を世に知らしめた大ヒット曲…。
この曲のヒット以来…。
1年がかりで作り上げるその衣装は毎年日本中の注目の的。
まさに演歌界の女神としてまばゆい光を放ち続けてきた。
ところがその輝きを曇らせる苦難が幸子に襲いかかる。
今から4年前事務所トラブルの影響もあり…。
しかし幸子はこの逆境をものともせず周りを驚かす次の一手を打つ。
若い世代に人気のインターネットサイトニコニコ動画でなんと若者に向けて歌ったのだ。
「千本桜夜二紛レ君ノ声モ届カナイヨ」圧倒的な歌唱力が話題を呼びまたたく間に以来ゲームで最後に出てくる敵ラスボスと呼ばれるように。
若い世代の心も鷲づかみ。
先日「紅白歌合戦」にも見事復活。
原点とは?「いつの間にやらハシゴ酒」演歌好きだった父の影響で幼い頃から歌が大好きだった。
ある日のこと。
学校から帰ってくると父が。
どうだ?観光かと思いきや向かった先はなんとテレビ局。
父は幸子に内緒で素人歌番組に応募していたのだ。
はじめは驚いた幸子だったが見事に大人の出場者をも差し置いてなんと…。
昭和の大作曲家古賀政男。
幸子の歌声を聴き…。
なんと大作曲家がところが何言ってるんですか。
幸子に委ねられた。
9歳の決断だった。
東京オリンピックが行われた昭和39年。
10歳の幸子はたった一人で新潟から上京。
「嘘つき鴎に」するといきなり一躍人気者に。
ここから幸子の不屈の歌人生が始まる。
故郷の新潟市で大地震が発生。
幸い家族は無事だったが営んでいた精肉店は経営が成り立たなくなり間もなく仕事がなくなった両親と2人の姉が上京。
一家5人暮らしが始まった。
幸子はこのピンチを前向きにとらえた。
家族のために私が歌手として頑張ろう。
15歳末っ子ながら覚悟を決めた。
これから歌を歌わせていただきます。
皆さん聴いてってください。
家族の生活費を稼がなくては…。
幸子はレコードを売るため毎日キャンペーンを行った。
「私を置いて」しかし…。
とたんに歌詞カードを捨てて立ち去ってしまう。
みじめさで体が震えた。
夜にはキャバレーでもキャンペーン。
しかし客の目的はお酒。
ただしな…。
ハハハハハハ!更に。
うるさいんだよ!あっひどい。
このあと小林幸子のどん底人生に全員涙。
夜にはキャバレーでもキャンペーン。
しかし客の目的はお酒。
うるさいんだよ引っ込んでろ!ちょっとそれはまずいんじゃ…。
すべてはつらい仕打ちにもじっと耐えた。
デビュー曲の『ウソツキ鴎』から出したレコードは27枚。
まったく売れる兆しがない。
このままでは家族が路頭に迷ってしまう。
泣きたいときには家族に聞かれないよう自宅の何よりも大好きだった歌なのに…。
家族のため生活のため歌えば歌うほど追い詰められてゆく。
しかし幸子は…。
心で泣きながらも女の意地で歌い続けた。
24歳のとき歌の女神が微笑む。
あの曲と出会った。
適当に選ばれたB面の曲。
どういうわけか幸子は聴いてくれるお客さんのため心を込めて歌った。
するとかつてなかったなぜかその曲だけ拍手が起こるのだ。
それがB面の曲『おもいで酒』。
まもなく幸子にというのもこのときヒット中だった。
まさかと思いつつ幸子はダイヤルを回した。
ありがとうございます!B面の曲『おもいで酒』はすぐさまA面として発売された。
懸命に歌い続けたことでじわじわ人気を呼んだ『おもいで酒』は…。
長年の夢だった「紅白」出場も果たす。
15年間の暗闇を不屈の魂で耐え抜きついに幸子は光をつかんだ。
時は流れ…。
幸子は若い世代の心をも虜にし演歌界の女神として君臨。
おととしデビュー50周年。
幸子の夢だった武道館で大輪の花を咲かせた。
決してあきらめず立ち上がり続けてきた小林幸子。
その不屈の歌人生の原点それが『おもいで酒』。
武道館のコンサートは俺の隣の人も泣いてたね。
ありがとうございました。
本当にここまで来たかっていうのもね…。
じゃ幸子さん歌の準備よろしゅうございますかね。
はいなんか今VTR見てホントついこの間のことのような気がします。
(徳光)そうだよね。
はいありがとうございました。
お父さんに…。
浸かった湯船はのちに涙を隠す湯船だったわけですもんね。
今日最高の『おもいで酒』聴かせてください。
お願いいたします。
それでは『おもいで酒』お願いします。
なんかあれだね一段と染みる『おもいで酒』だったね。
いやなんか今日は違う『おもいで酒』になっちゃった。
ホントに…。
ごめん。
(徳光)さっきのストーリー見てるとね。
(柴田)そう。
泣かないで歌えてよかったです。
私もう泣いたら歌えなくなっちゃうんですみません。
私芝居のネタとかいろいろ考えてるときに小林幸子さんの歌だけをすごいいっぱい聴いたことがあってネタ探しのために聴いてたの。
そうしたらだんだんハマってきて見てたらホントに全部丁寧に歌われる。
そう思ったら必要もないのにこんなとこにホクロつけたりしてホントにね何やるにも一生懸命の人なんですよ。
この人は一生懸命でいつもいつも一生懸命で夢を諦めなかったんだなと思ったらホントに感動しちゃって。
すごいなと思って。
人生いいことばっかじゃないけどでも決して悪いことばっかりでもないということ。
それが人生だっていうこと。
昭和54年『舟唄』が大ヒット。
演歌の女王八代亜紀。
画家としてドラマやバラエティーでも活躍。
今年歌手生活46年を迎えた。
彼女にはあるその歌は今は亡き父を思い出す曲。
当時亜紀は新曲のレコーディングを終えると真っ先に実家の父のもとを訪れていた。
そう?そう?父の何よりの楽しみは娘と一緒に新曲を聴くこと。
それまでとはイメージを一新…。
しかしひとつ不安が。
レコーディングを終え実家を訪れた亜紀は迷っていた。
思わずついた嘘。
それが父との最後の思い出になるとも知らずに…。
そして涙…。
しかし演歌が好きで思わず嘘をついてしまった亜紀。
よかよか。
今まで父に嘘などついたことはなかったのに。
亜紀は父の意外な言葉を耳にする。
なんと父はすると父は…。
亜紀のついた嘘を優しく包み込んでくれた父。
しかしその後父が突然他界。
これが亡き父を思い出す曲…。
亜紀は今でも父についた嘘を後悔している。
でもお父様のこと想っての嘘だったんですよね。
でもすごいよかったねって言ってくれて…。
なるほどねでもまさに新境地だったんで…。
歌の準備よろしいですか?歌うんですか?ちょっと…。
ごめんなさいねさんざん追い込んどいて歌ってくださいっていうのも…。
歌えるかな。
じゃあね嘘をついたお詫びにカメラの向こうにお父様がいらっしゃるということで歌ってください。
わかりました。
それでは歌にまいりましょう。
八代亜紀さんお父様との思い出の1曲『花
(ブーケ)束』。
お願いいたします。
八代亜紀のために『舟唄』をかいた阿久さんがこういう世界をおかきになったんですよね。
はい。
だからこれをどういう思いで天国いったのかなとか思うとなんかいつもお父さんごめんねってこの歌言ってくれるんですよ。
言うんです私に。
言えばよかったね亜紀ちゃんって言うんですよ。
このあと石川さゆり真実の物語。
更に藤圭子壮絶デビュー秘話。
「赤く咲くのはけしの花」可憐な容姿と独特の歌声で人々を魅了した伝説の歌姫彼女のデビュー曲には隠された物語があった。
「夢は夜ひらく」浪曲歌手の父と三味線奏者の母との間に生まれ北海道で育った藤圭子。
歌手を志し上京。
17歳で無名の作詞家石坂まさをと出会う。
石坂は圭子の天賦の才を見抜きリズム感を養うためにバレエを習わせるなどその才能を磨いていった。
しかしなかなか石坂も圭子も苦悩の日々が続く。
時には夜の新宿をさまよい花園神社で寝るという生活を送ったことも。
そんななか石坂が全身全霊で生み出したのが『新宿の女』。
昭和44年この曲でデビューすると藤圭子の名は瞬く間に日本中に知れ渡った。
(拍手)今の映像はね後年の藤圭子さんですけども…。
今見ても鳥肌でかっこいいですよね。
そうですよね。
才能才能ですからね。
「別れてあげる」小悪魔的なイメージで世の男性を虜にした奥村チヨ。
その歌人生にはある名曲が生んだ運命の出会いがあった。
高校在学中製薬会社のCMソングを歌いデビューのきっかけをつかんだ奥村チヨ。
昭和44年から45年にかけては恋の3部作が大ヒットしかし男性にこびた歌詞が印象的な『恋の奴隷』のイメージからかファンがつきまとうようになり自宅周辺にまで現れるように。
今のイメージから抜け出したい。
そんな奥村の前に現れたのが浜はあどけなさと女っぽさが同居している奥村に心惹かれ自分が作った曲を歌わせたいと思っていた。
そんな彼が作曲したある曲を聴くと…。
と奥村は懇願。
『恋の奴隷』のイメージから脱却するこうして昭和46年に発売された『終着駅』は大ヒット。
更に運命の出会いはそれだけではなかった。
年齢の近かった浜圭介の猛烈なアタックにより2人は結婚。
『終着駅』は2人にとっての始発駅となった。
このあと淡谷のり子ステージの裏に隠された恋の遍歴。
次の方は伝説という言葉にピッタリでございます。
この方です。
淡谷のり子。
生涯を歌に捧げたブルースの女王にはあるターニングポイントがあった。
昭和5年日本の流行歌でレコードデビュー。
80歳を超えても歌い続けブルースの女王と呼ばれた。
そんな彼女は生涯で相手は新進の昭和6年正式に籍を入れたわけではなかったが晴れて夫婦となった。
しかし…。
失意のなか新しい歌を模索していた淡谷が出会ったのが…。
このとき淡谷はブルースの低音を出すため離婚を経験し男なんてと思いつつもこの歌を歌うときには自分をときめかせそして過ぎ去っていった男性たちの姿を思い出すのであった。
日本の女性シャンソン歌手の先駆者というふうにもいわれてるわけでございますけども。
幅広い層に愛されたというホントの歌姫でございましてね。
おもしろかったですね。
続いての歌姫は…。
石川さゆりさんです。
よろしくお願いいたします。
そして4年後彼女をスターダムにのし上げたのが…。
「こごえそうな鴎見つめ泣いていました」日本を代表する演歌の歌姫となった。
更に昭和61年の『天城越え』も大ヒット。
その地位を不動のものにする。
そんな彼女の活躍に欠かせないキーワードそれは…。
ロックバンドユニコーンの奥田民生THEBOOMの宮沢和史。
そして椎名林檎といったまったく違うジャンルの歌に挑んできた。
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の作者とコラボしたジャケットも話題に。
昨年10月にはアニメ『ルパン三世』のエンディング曲で大野雄二やつんくともコラボ。
昨年はこんな人ともコラボしていた。
そして生まれたのが…。
石川さゆり情念の歌声がここに。
歌姫の数だけ刻まれている波乱の歌人生。
辛い出来事をさんざん味わってきたからこそその歌声は優しくそして力強く私たちの心を揺さぶる。
(阿部)毎日過ごす部屋だからプロの技とアイデアですてきにコーディネート。
2016/01/08(金) 18:58〜20:50
テレビ大阪1
波乱の歌人生[字]

演歌歌謡界の第一線で活躍している女性歌手にも波乱の歌人生物語があった。初めて明かされるエピソードと共に、想い入れのある楽曲を1曲入魂で披露!小林幸子、長山洋子ほか

詳細情報
出演者
【司会】
徳光和夫、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)

【出演歌手】
石川さゆり、小林幸子、坂本冬美、長山洋子、八代亜紀(50音順)

【スタジオゲスト】
柴田理恵、藤本美貴、森公美子(50音順)
番組内容
◆坂本冬美「船で帰るあなた」
恩師・猪俣公章が最後に伝えたかった坂本冬美への歌遺産
◇八代亜紀「花(ブーケ)束」
八代亜紀が今も後悔している亡き父親への最後の嘘
◆長山洋子「望郷ひとり泣き」
初めて明かされる父親の反対を乗り越えてきた娘.長山洋子の女歌道

つづき
◇小林幸子「おもいで酒」
何があっても決して諦めない原点、小林幸子“忘れられない女の意地”
◆石川さゆり「あぁ… あんた川」
既成概念にとらわれない演歌の枠を超えたコラボレーション

そのほか、昭和に活躍した歌姫物語も過去歌唱映像とともにお届けする。

ジャンル :
音楽 – 歌謡曲・演歌
バラエティ – 音楽バラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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